第七章 責任者は誰だ(1)

 太陽が天頂に近いころだと言うのに、薄暗い空に風にちぎれた黒雲が次々と流れて行く。もはや空の青い部分などおおかた覆い隠された。


  この小太りの僧のどこにそんな力があったというのだろう。アンディはガレキとも思える岩石で埋め尽くされた荒れ地をなかば引きずられ、己の決めたことをまともになしえぬ自分に絶望の念を抱きながら”神の遺跡”への道のりを歩まされていた。


 王城近くの遺跡とは違い、ここの”神の遺跡”の大きさは王城そのものにすら匹敵していた。

 乱立する高い壁はクルカンたちを拒むかのように乱立し、固い翼の巨大な鳥たちも今はその身に生命を宿すものは見られない。


「この地へ来てから私は何度も調べたのだ。神を呼ぶならここしかありえぬと思っておりましたからな。あの台は遺跡の中央にもほど近く都合がよい……。おお、ここがそれ。さぁ、王子。自らに課せられた義務を御果たしなさいませ」


 何者の言葉も聞かずクルカンは延々としゃべり続けた。アンディはその言葉も心に届かぬまま、これから自分に課されることを期待されているその行いに目の前が暗くなる思いだった。


「宝剣はこちらに。……さぁ、王子! あなたはここだ! この剣を両の手で捧げ持った後にですな、片手で天上にかざし、”ウォルフォール王族の血が体内に流れる者、ここに請願す。今こそその御姿を地上にお現しあれ”と申していただきたい。……こういうことも前々からお話しておけばよかったのだ。王子とはいえ王族であったのだから使えたものを……」

「僕は、呼ばない」


 着々と進む準備の中、震える足元を感じながらもアンディは精いっぱいきっぱりと言ってのけた。クルカンは祭儀の準備の手も止めず、振り返りもしまいまま子供をあやすような声音で話かけてきた。


「今さら何をおっしゃいます。今やガザル殿の自邸ではカトランズ兵、教会軍双方が激突、頼みとなされていた”空飛ぶ船”すらも破壊されあとかたもありますまい。今や自らの力でお出来になるのはこの儀式だけですぞ、おうじ。”ウォルフォールは神が降れる場所”。その伝統を事実とお示しになることこそが肝要でありましょうに……」

「イヤだ! 」


 子供っぽい言動なのは自覚していた。だが自分自身の意思を曲げぬためには、たとえそれがどれほど子供っぽく思われようとも言わねばならぬことがあるのだと、アンディはこの旅で悟っていた。


「神の力にすがらなくてはできないことなんてほんのちょっとしか、ないっ! 僕はまだ諦めて、ないっ! 命さえ拾うことさえできるのならばなんとでも、なるっ! 僕にはまだ出来ることがあるはずだっ! 」

「お諦めなされ。まったく強情な……。いったい何がそなたをそこまで強情にしうるのだ。あのならず者を乗せた魔法使いの船か? あの旅の者たちは漂泊の末にここに流れ着いたのみ、今や身の危険を感じて逃げ去っておろう。もはや私、いや神以外、そなたを助けようというものなどおりはせぬのだ……」


 アンディは苦渋に満ちた瞳であたりを見回した。そして、それを見た。


 それは黒雲の中の白鳥。

 強風に流されることなくまっすぐこちらへとやってくる一対の翼。

 流れる暗雲すらにもびくともせず飛翔するかの者たちの砦。


「ヘルメス号だ! 」


 アンディの歓喜に満ちた声にクルカンも思わず作業の手を止めてそちらを振り返った。神の遺跡に阻まれてその外へと降り立った白木造りのその船は、まるで古の意思に拒まれ立ち往生しているかのようだった。


「時間がない。急ぎますぞ。さぁ、王子こちらへ……」

「やらないっ! 」


 クルカンの性急な要請にもアンディは屈することなく受け答えた。ヘルメス号のクルーたちが来てくれた! だから大丈夫だ!


「クルカン司教! あなたは間違っている! なぜ人々の口から口へと伝わる間にその御言葉が変わってきたのか! それは! その姿こそが人々の望みだからだ! ともに宴を囲み! 人と共に生きる姿! かの法皇ですら語っていた姿だ! あなたが御望みになるような。そんな殺戮兵器のような神なら、僕らはいらないっ! 」

「王子! あなたはこの宝剣にまでそれをお言いになるのか! 神を呼ぶため、今ここにある宝剣に! 」


 そうクルカンが再び宝剣を高く掲げた時。


 雷鳴が轟いた。


 クルカンの脇1ひろというところに落ちた落雷に、クルカンはあたりを見回した。そしてアンディは近くの丘の上、並び立つ二つの闇を見つけ出した。あの一つは……。


「カトランズの魔法使い! 」


 アンディが見忘れるはずもない。それは”ズァ・ガンの岩牢”からの逃走中、ヘルメス号に向かって攻撃をしかけてきたあの魔法使いだった。


「ダルバザード! 王子じゃないわ! 宝剣を狙うのよ! それでこの”神の遺跡”は沈黙するわ! 」

「……そこまで細かい細工は利かんぞ、オウリア。総てを吹き飛ばすのみ」


 オウリアと呼ばれた闇を纏った女もまた魔法使いなのだろうか。ダルバザードと呼ばれるカトランズ軍の魔法使いに呼びかける声を聞いて、アンディはそれが王城でディアスと問答を繰り広げた女性だと気がついた。


 確かに落雷の直撃を受けても”神の遺跡”には傷一つつかない。それでもそれは確実に宝剣とアンディに迫りつつあった。


 焦るクルカンにアンディは逃亡の機会が訪れたことを悟った。

 砂兎のごとくに走り出したアンディにクルカンは一瞬虚をつかれた。


「待て! 逃がさぬ! 」


 ろくに剣技も知らぬだろうのに。クルカンは、高く掲げたその宝剣をまっすぐアンディに向かって振り下ろした。


 そこへ。白いものが飛び込んだ。


「ガザル翁! なぜ! 」


 白き衣、白き髪と髭を真紅の血で染め、老臣は身をもって主を守ったのだ。アンディは、自分の瞳から流れ出ているものにしばらくの間気がつかなかった。


「王子……王に御成りなされ……」


 苦しい息の下、ガザル翁はそう言った。


「死んだと見せかけ国の外へと御逃げになられた父君や兄君のことなど御考えめさるな……。アンドリュー王子こそが王にふさわしい……」


 この重い傷を負いながら、どこにこのような力があったというのだろう。満身の力を両の手に込めてアンディの服を握りしめた。


「これは天罰でしかない。……言葉で教会勢力と手を切ることを納得させられなかった己が、隣国の助けを得て武力で排除しようと思ったのが総ての始まり。だがお信じ下され! 国を滅ぼそうという気など毛頭ありませなんだ! ……あのカトランズの魔法使いの目を晦ますためとはいえ、死んだものとして国王皇太子両陛下を逃がしたのも愚策中の愚策。……王子を御救いすることでこの老いぼれの罪をお許しいただけますまいか……」

「許す! 許す、ガザル翁! だから死ぬな! 」


 アンディは涙声になるのもかまわずにそう叫んだ。


「良き王とおなり下され……。それこそが、民の願いでありますぞ。王家の傍系の一族に生まれた己に課せられた、これが最後の務め……」


 服をつかんでいた老臣の手が力なく離れた。


「ガザル翁!!!」

「ほう……この老人が王族に連なるものとは気づきませんでしたな……」


 空飛ぶ船の向こう側には天まで舞い上がる土埃まで見えてきた。二大兵力群がここまで迫りつつあるのだ。クルカンの追い詰められた狂気の瞳がさらにいっそうの凄みを増す。


「この血が! この血こそが総ての鍵! 」


 クルカンは宝剣片手にアンディを押しのけると、おぞましくもガザルの傷口に顔を近づけ、音をたててすすった。


「見よ、天よ! これで私も”体内に王族の血の流れる者”だ! 従え! 我が呼び声に応えたまえ神よ! 」


 砂塵のごとく台のもとに舞い戻ったクルカンは、天高く剣を掲げた。


 空気の色が、変わった。


 まわりに群れ集う”神の遺跡”が石ではない、何か別のものへと変わりつつあった。


 重傷に気を失ったガザル翁を抱えながら、アンディは自分を取り巻く総ての状況に混乱を隠せなかった。


 空を覆う無数の稲光ですら通常のそれではない。それはまるで、空を破って現れようとする何者かへの最後の抵抗のようにも見え……。


「クルカン! 」


 台の元に立つ狂僧の頬に、拳が飛んだ。手から宝剣を取り落としつつ殴り倒されたクルカンの目に、握りこぶしを固めつつ、悲しげな情けなさげな、それでいて情愛深げな瞳で見下ろす小太りの僧の姿があった。


「とうとう人外に落ちたか! ガザル翁の地下倉で語っていたことをついにやってしまったのか! 僧は! 善良たる信徒の手本であるべきものを! 神を呼ぶことがそれほど重要か!? 獣のようなその姿をさらしてまでもそれはやるべきことと言えるのか!?あなたも司教となった身の上ならば、それぐらいはわからなかったのかっ……!! 」


 相手にすがりつき、興奮のあまり泣き出したフォートンを、憑き物でも落ちたのか奇妙な生き物を見る幼子のようにクルカンはきょとんとした顔つきで眺めていた。


 アンディはそれを風景の一部としてとらえつつも、それを覆う、空と神の遺跡の風景に恐れをなしつつあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る