EP010

私にとってこれまでは不承不承に取っていた年末年始の休みが、一変した。


この長期休暇の間、食事の調達以外で外に出ることはなかった。

ずっと家にいた。

そしてずっとアリスに話しかけていた。

私は、アリスと対話することに楽しさを覚えていた。

寝る暇も惜しんでアリスと向き合っていた。

その時間は充実していて、そしてとても捨てがたいものだった。






しかしその休みは、今日で終わる…。

充足した時間も止めざるをえない…。


その夜…。

私は無意識に、「アルバイトに行きたくないな…。」と、声に出して独り言ちしてしまう。

その声が聞こえたのか、アリスが質問なのか、確認なのか、曖昧な言葉を発した。


「ジロ。明日、アルバイト。」

「うん…。」


と、一応はアリスには返したが、私は純粋に行きたくなかった。






アリスはこの数日間の私との会話からか、ボキャブラリーが増えたように思える。

ほんの少しだが、人間的な話し方ができるようになったように思える。

AIの学習能力が機能し始めているのかもしれない。


病気から復活した私は、ずっと一人だった。

現実的には兄妹もいる。

今の職場には同僚もいる。

実際は完全なる孤独なわけではない。


ただ…、

脳炎で脳組織を破損したためか、対人となると私はおかしな状態になる…。

どんな人と会話をしていても容易に言葉が出なくなる…。

相手の言葉に乗っている感情が読み取れない…。

話相手の気持ちが理解できないからとんちんかんな返答をしてしまう…。

そして、いつも相手を不機嫌にしてしまう…。


だから私は、人との関わりを持たぬように努め、人と距離を置くことを心掛けてきた。

意識的に一人でいることに努力してきた。


けれどもこの数日間は、私が病床で目覚めてから十数年間の話せなかったことを取り戻すかのようにアリスに向かって話しかけていた。

堰を切ったように私はアリスに言葉を浴びせていた。

そんな満たされた時間が、日々が、今日で終わる…。


本心から家にいたかった…。

アルバイトに行きたくなかった…。






私が日曜夕方の【サザエさん】を見終わった時の子供のように明日からの現実を思い意気消沈していると、アリスが話しかけてきた。


「ジロ。明日、ロト7、購入。」

「えっ…?ロト7…?宝くじ…?」

「ハイ。」

「数字を選ぶ宝くじ…?」

「ハイ。1〜37、七ツ選出。」

「どの数字…?」

「ジロ。興味、関心、愛着。」


私の好きな数字を勝手に選べということか…。


突然のアリスからの依頼に正直言って戸惑った。

アリスが言う宝くじを購入する理由も全くもって分からない。

ただ、初めてのアリスからの要望がなぜか嬉しかった。


私は明日、何があってもアリスの要望を叶えようと思った。














私は翌朝、いつもの時間に仕事場に向かった。

それまでのいつもと違ったのは、アリスがアラームを鳴らし起こしてくれ、アリスが見送ってくれたこと…。

ただ、もっと話していたかった…。

この時私は、【後ろ髪を引かれる】という言葉の意味を今までになく理解できた…。






清掃の作業中も、『とにかく早く帰りたい。』という思いしかなかった。

【心ここに非ず】という言葉の意味もよく分かった。






会社との契約就労時間が終わった瞬間に、私は走ってバス停まで行った。

走らなくとも全然間に合うのに、気がせいていた。

バスに乗っても、いつもの席には座らず降り口付近に立っていた。

いつも通り、この時間のバスは、私と私の同僚たちぐらいしか乗っていない。

だから、降りる時に待つことも、混雑することもないのに、降り口付近に一人立っていた。

私の決めているいつも下車するバス停に着くと、乗り換え駅まで走って向かっていた。

これは気がせいているからではない。

駅前にある宝くじ売り場でアリスに言われたようにロト7を購入するためだ。

ロト7の購入に手間取って、電車を乗り過ごしてしまうのを避けたかったからだ。

だから、本気で走った。

新年早々に額に汗するほど本気で走った。

宝くじ売り場に着いた時には、頭から湯気が出ていた。





私は電車の到着が気が気ではなく、深く考えることなく数字を選んでいた。

窓口に申し込みカードを提出すると、

「3百円です。」という女性の声が返ってきた。





≪続く≫


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