EP003

パンク修理の終わった薄汚れた白の自転車をこぎながら、兄のおかげで何事も起きなかったことにホッとしていた。

いつも兄に助けられている。


私の兄は立派な人だ。


学校での成績は良く、大学、大学院でも優秀な実績を残し、在学中から今の勤め先である外資系企業から誘われていた。

そして、卒業と同時にその外資系企業に就職した。


最近まで義理の姉、2人の子供たちと私も住まう神奈川県に住んでいた。

今は家族ととも宮城県仙台市に住んでいる。

その外資系企業の東北支社の支店長を任されている。





その兄の宮城県への赴任直前に、私は兄に大迷惑をかけてしまった。














その日、私は仕事が休みだった。

気分が晴れるほどに天気も良かった。

それで、午前中から散らかし放題、伸び放題の庭の草刈りをやっていた。


草刈りを始めてしばらくした頃…。


ピンポン…。

ピンポン…。


と、門のチャイムが鳴った。


私の家を目的があって訪ねる者は、ほぼいない。

訪れるとすれば、私が頼んだ手渡し指定の宅配物か、なにかの勧誘ぐらい…。


気になるので一応、門に向かう…。

しかし、そこに行ってみると想定とは違う光景が広が…。





よれたねずみ色のスーツ姿の男性が1人…。

泥汚れのついた薄いグレーの同じデザインの作業着を着た男性たちが4人…。

私はその光景にたじろいだ。


「お忙しいところ失礼いたします。こちらのご主人様でしょうか?」

「ええ…。」

「私共、◯◯工務店と申します。」

「はい…。」

「こちらのご近所のお宅で排水の不具合がございまして…。」

「はい…。」

「かなりの汚水が溢れ出してしまいまして…。」

「はい…。」

「原因は、排水管の老朽化だったのですが…。」

「ええ…。」

「そのご近所のお宅と近い築年数のご家庭を廻りまして…。」

「はい…。」

「3千円ほどで、排水管の点検をさせてもらっているのですが…。」

「ええ…。」

「ご主人のお宅はいかがでしょう…?」

「そう…、ですか…。」

「万が一、お宅様の汚水が溢れ出して、ご近所のお宅に浸水でもしようものなら…。」

「ええ…。」

「修繕や消毒や復旧やらでとんでもない費用がかかります。」

「はい。」

「その上、ご近所への謝罪や補償も必要になります。」

「ええ…。」

「そうならないためにも、この機会に是非とも排水管の検査をいかがでしょうか?」


立て板に水の如く、スラスラと捲し立てられた。

ただ、言わんとするところは納得できた。

それに今日、3千円を支払っても、明日、困ることはない。

そう判断し、彼らに排水管の検査をお願いし、自宅の敷地に招き入れた…。






ものの10分もしないうちに、よれたねずみ色のスーツの男性が草刈りをしている私に声をかけてきた。


「ご主人。ご主人。これ見て下さいよ。」


彼は手にもったあちこち汚れた黄色のデジタルカメラを差し出してきた。


「ここ。ここ。」


彼はあちこち汚れた黄色のデジタルカメラの画面を指差す。

私が彼に言われるがままに画面を覗き込むと…。


「危なかったですよ。ご近所の排水管と同じ状態でしたよ。もう少し遅ければ汚水がここら一帯に溢れ出すとこでしたよ。」


と、熱弁された。


「ど、どうすれば…?」


汚れた黄色のデジタルカメラの画像を見ても、私にはどこか悪いのか皆目検討がつかなかった。

だが、近隣の方々に迷惑をかけるわけにはいかないと思い、よれたねずみ色のスーツの男性に尋ねてしまう。


「そうですねぇ…。もし、宜しければ、私共で今から補修工事をいたしましょうか?」


よれたねずみ色のスーツ姿の男性の嬉しげな笑顔が気にはなったが、「もしできるならお願いしたい。」

と、私は依頼してしまう。


私の返答を聞くと、よれたねずみ色のスーツの男性は鞄からタブレット持ち出し、何かを入力し始めた。


『なんだろう…。』


と、思っているうちに、そのタブレットは私の目の前に差し出される。


「工事契約書となります。ご署名をいただいても…。」


私は言われるがままにタブレットにサインをした。














正午も過ぎ、草刈りも一段落し、家の中でひと息つこうかと思った矢先、よれたねずみ色のスーツの男性に声をかけられた。


「ご主人様、無事補修工事は終わりました。」

「ありがとうございます。」

「これでもう安心ですよ。」

「助かりました。」

「それではこちらがご請求書でございます。」


よれたねずみ色のスーツの男性は文字の印字された丸まった感熱紙を差し出してきた。

私は、始めに説明のあった金額だと思い、気軽にそれを受け取った。

そして、財布を取りに家に戻ろうとした時、一瞬、感熱紙に記載されている数字が目に入る。


『55…?3千円って言ってたはず…。聞き間違い…。』


戻ろうとする足を止めて、しっかりと感熱紙に記された数字を確認する。


『5533…。はっ?』


何が記されているか理解できない…。

なんの数字だろう…。

何桁の数字だろう…。


『一、十、百、千、万…。』

『一、十、百、千、万…。』

『55万3千3百…。』


思わずよれたねずみ色スーツの男性に質問していた。


「はい。補修工事の代金と排水管の調査費用でございます。」


私の理解が追いつかず、ポケーっと立っていると…。


「排水管工事費が50万円、消費税5万円。当初ご説明いたしました調査費が3千円、消費税が3百円。しめて、55万3千3百円となります。」


と、立て板に水の如く、スラスラと解説してくれた。

そしてよれたねずみ色のスーツ姿の男性は、私に満面の笑みをくれた。


『なんで…。』

『勘違い…。』

『どうすれば…。』

『金はどこに…。』


私は脳をフル回転させる。

しかし、明確な回答が出てくるわけではない。


『迷惑はダメ…。』

『誰にも、迷惑はダメ…。』

『この人たちにも迷惑は…。』

『お金…。』

『お金…。』

『貯金…。』


この言葉が頭に浮んだ瞬間、私の体は一気に弛緩した。





「お金をおろしてきます…。少し待って…。」

「承知いたしました。」


私はよれたねずみ色スーツの男性の返事を最後まで聞くこともなく、財布を持ち自転車に跨がっていた。





≪続く≫



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