第7話 ガザス山岳地帯を歩く(1)
戸鞠鳥とまりと第一級調査団の魔術師であるハロンとユグリの3人は、
黄路華はガザス山岳地帯を切り崩して誕生した都市であり、つまり、周囲はそのままガザス山岳地帯に囲まれている。ガザス山岳地帯は険しい山々が広範囲にわたって乱立した厳しい山脈ではあるが、数多くの植物や動物が棲みつく自然の恵みがあふれた環境でもあった。
ハロンはぬかるんだ岩肌に気をつけながら地図に目を落とす。
「まずは日が落ちるまでに西側の山中にある第3中継拠点を目指す。そうすれば明日にはガザス山岳地帯を抜けられるだろう。それでいいか?」
ハロンは戸鞠鳥とまりに確認を取る。
ガザス山岳地帯には黄路華の交易ルートにあわせて中継拠点が点在している。山々には狂暴な魔物も数多く生息しているが、いくつかの安全なルートが開拓されており、主要なルートでは黄路華の兵士たちが守りを固めているため、「世界一安全な交易道」と呼ばれることもあった。
戸鞠鳥とまりたちはそんな交易ルートのうち、もっとも短く険しく
「問題ないよ。2日で抜けられるなら早いほうだからね」
戸鞠鳥とまりはそう答えながら道脇に生えている黄色の花を咲かせた植物を切り取った。それはオグレストという花で限定的な環境や季節にしか生息しない珍しい植物である。純粋な魔素を多く蓄えていることから魔術研究や魔道具の開発など活用の幅は広く、また、魔物にもよく好まれた。
「オグレスト、春にしか咲かない花。野生のものは初めて見た」
戸鞠鳥とまりの手にあるオグレストを見てユグリは感慨深げに言った。12年ぶりに訪れた春の陽気が、ガザス山岳地帯の環境にも影響を与えている。山肌は緑に包まれていた。
ハロンはメガネに手をかけてため息をつく。
「オグレストが咲いたってことはコーラドの動きが活発になるってことだ。コーラドはオグレストの根っこを好む。夜だけじゃなくて昼間も注意しないとな。面倒だが」
ハロンの短い髪が温かい風に揺れる。
コーラドは山岳地帯に生息する4足歩行の草食の魔物で、特にオグレストの根を好んで食べる。コーラドは人を食べることはないが、縄張り意識が強く人も魔物も襲うことで有名だ。そしてコーラドが活発になるとその他の魔物たちも触発されてより活発になる。春の陽気は良いことだけではなく悪いことも連れてきてしまうのだ。
「そうだね、空気中の魔素も少し濃くなってきてるからなおさら注意は必要になる。君たち二人ならこのあたりの魔物くらいは大丈夫だと思うけど用心に越した事はないからさ」
戸鞠鳥とまりはそう言ってから「ということで道案内は頼んだよ」とハロンに先を促した。ユグリも当たり前のようにハロンの後ろにぴったりとつく。
ハロンは少し怪訝な顔をしながら歩みを進めた。それから後ろの戸鞠鳥に質問を投げかける。
「道案内は俺が適任だろうからそれはいいんだが、空気中の魔素が濃くなっているというのはどういうことだ? 魔素の濃度は少しくらいは変動するだろうが濃くなっているというのは聞いたことがない」
戸鞠鳥とまりは「普通はそうなんだけどね」と答えた。
「常に魔素を計測していればわずかだけど濃度が高くなっていることに気がつくはずだよ。基本的には魔素の濃度は均衡して一定に保たれる。だけどたまにこの均衡が崩れることがある。たとえば大きな災害が起こった時なんかね」
ユグリは驚きつつ、興味津々といった表情で頷く。
「第一級調査団でも魔素をちゃんと計測できるようになったのはここ数年の話。やっぱり戸鞠鳥とまり様は凄い人なんだ」
ユグリのその言葉に軽く眉を上げながら戸鞠鳥とまりは「ボクは人じゃないけどね」と返した。
ハロンは納得した様子で考えを巡らせる。
「災害……ハインツェルか。特級魔法の行使によってハインツェルが滅び、大きな魔力が動いた。その余波が空気中の魔素にも影響しているということか」
「そう。たとえ特下級の魔法でも莫大な魔力が消費されることには変わりない。そして消費された魔力は消えてなくなるわけではなく形を変えて周囲に解き放たれる。それがハインツェルを中心にどんどん広がってこのガザス山岳地帯にまで届いたというわけだね」
真面目な顔をしているハロンのその表情からは好奇心と畏怖が同時に感じられた。ハロンの魔法に対する興味関心はもちろん大きいが、特級魔法という人智を超えた異常現象への理解が追いついていない。
「特級魔法はそれほどまでに絶大で圧倒的なのか。神話やおとぎ話でしか聞いたことがないような魔法が実際にハインツェルで使用されて国が滅んだ。その事実だけで今や周辺の国々が戦々恐々している。恐ろしいことだな」
ハロンは自分の考えを口にした後、己の無力感に悔しさが込み上げてきた。しかし、その感情を「今に始まったことじゃない」と押し込める。
「だからこそ調査が必要なんだ。とりあえずは誰が特級魔法を使ったのかが分かればみんなの不安を払拭できるし、対策も立てやすい。つまり、ハロンとユグリは魔王を倒して世界を救う勇者と同じくらい重要な責務を負っているということだね」
戸鞠鳥とまりはまるで人との会話を楽しむかのように珍しく冗談を口にした。ハロンは飽きれた顔をしながら前を向いた。
「あんまり俺たちを追い込むこと言うなよ。特級魔法を使う奴なんかの調査なんて俺たちには荷が重すぎる。調査団とは言ってもあくまでしがない魔術師でしかないんだ」
しかし、それを聞いたユグリは首を横に振る。
「私はやる気満々。必ず戸鞠鳥とまり様の役に立つ」
戸鞠鳥とまりはユグリの言葉に「助かるよ」と無表情ながら嬉しそうに言った。
ハロンはより一層に呆れた表情を浮かべる。
「ユグリ、お前がそんなにやる気を出しているところなんて初めて見たな」
「私も歴史に名を残したいから」
ハロンがぎょっとした顔で一度振り返ってから再び前を向いた。
「……意外と俗物的な考えしてたんだな。長い付き合いだが正直、今が一番驚いている」
「死んだ後も後世に語り継がれるってなんかカッコいいし」
「……そうだな」
ハロンは「こんなにバカな奴だったっけ?」と心の中で呟いた。戸鞠鳥とまりと出会ってからおかしなことが続く。
ハロンとユグリは魔術学校の同期だった。14歳で学校に入学した時に知り合い、それから同程度の能力の人間が他にいなかったこともあり、共に切磋琢磨してきた。比較的円満な関係を築き、ハロンはユグリを親友と呼んでも過言ではない存在だと思っていた。
二人とも順調に学問を修め、飛び級を重ね、同時に最年少で調査団への入団も果たした。そして、フラル・ハイロックの弟子となり、今に至る。
ハロンから見たユグリの印象は「自分の興味だけに忠実な非常識な人間」で、しかし、それはそれで信頼はしていた。自分に不要な物事はすべて捨てて、自分が興味のあるものだけに突き進むその姿は尊敬にすら値した。
人生の半分以上を一緒に過ごしてきたユグリの新しい一面に文字通り面食らってしまったハロンは、ほんの一瞬だけだが魔力探知に遅れが生じた。
先頭を歩くハロンの前方、手を伸ばせば届く距離の空間が捻じ曲がった。
魔法による攻撃である。
戸鞠鳥とまりは歩いている。古代の魔法都市の路地裏とか混沌の魔王城の赤い絨毯の上とか深淵に沈む神々の楽園に咲く花街道とか、あらゆるところを全部。 yusuke_kato @yusuke_kato
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