しなやかに跳ねる魚に、交わる水。その還るべき青は。

 骨壺の中で金魚が跳ねるという、一行目からグッと心はもとより、それ以上の何かを掴まれるような世界観。(何か、というのははっきりと形容できないほどに曖昧だけれど、形としてははっきりしているものとして、そんな矛盾をはらみつつも、骨壺の中で巡るイメージ)
「融く」、という字を「蕩く」と脳内変換してしまうほどに、魅力的な青。その魚影は、ひときわ目を引くことでしょう。それが、愛する人の骨ならば、なおのこと。……愛する人相手に対して、「目を引く」とは失礼いたしました。「目を惹く」ですね。

 老朽化故、ついに決壊した研究室の水槽。どれだけの歴史をそこに刻んだのかはそのあふれんばかりの水量を見れば、想像に難くないことでしょう。
 そんな歴史の奔流とともに流れ出した、人魚。いきなりそんな事態になったら、奔流の流れのままに翻弄されてしまいそうですが、その美しさを前にしてはそんな事実など霞んでしまいますね。
 あさぎ。そう名乗る彼女。そんなあさぎの願いは青い金魚を造ること。青いバラと同じく、人工的によってしか造りえない創造の産物を彼女は生み出そうというのですね。何であれ「芸術」に人々が(五感問わず)触れたとき、受ける衝撃というのはとてつもないパワーがあるように思いますが、その裏には研究者たちのあくなき探求が隠れているのかもしれません。
 研究者が己の研究対象に「惹かれる」ように、その作品に人々は「惹かれる」。
 故郷の湖を思うあさぎ。底がないということは、畏怖や恐れの対象としても描かれますが、あさぎの場合は真逆で。静かな湖に身を任せてどこまでも落ちていくことで、安寧を願うのですね。「安」の冠の下には「女」が。「寧」の冠の下には「心」が。その身をしっかりと守られて、いつの日か「青」に還る。

 そんな私は、あさぎと恋人同士になった。互いの指に嵌めた指環がきらりと光る。
あぁ、そうか「還」と「環」は、部首が違うだけで右側は同じなのか。こんな些細なことに感動を覚えてしまうほど、私はあさぎへの思いを日毎に募らせていく。あさぎは「あの湖に還りたい」といったけれど、「還」の部首の「しんにょう」がまるで、あさぎをあちら側の世界へと案内する船や船頭のように見えてくる。
 彼女のばかみたいな一言を「ばか」と一蹴する。……大事な恋人を蹴るなんてひどいから、代わりの言葉を探すけれど中々見つからない。でも、私はすぐに切り替える。今はそんなことをしている場合じゃない。彼女と過ごせる時間は刻一刻と削られて行っているのだから。

 覆水盆に返らず。勿論のこと、亡くなってしまった人も現世には還らず。あさぎの死は確かに訪れ、私には絶望が訪れた。骨壺を抱きかかえても、あさぎのぬくもりはもう感じることはできない。この溢れて溢れて止まらない私の涙でその骨壺を満たしたならば、あるいは生き返ってくれたりしないだろうか、なんてことを考える。
 そんな折、骨壺の中で魚が跳ねた。まさか、そんな奇跡が……。私の落とした涙が奇跡を起こして、あさぎの骨が魚に……なんて妄想は現実のものとなった。水を得た魚、ならぬ、涙(水)を得た骨(魚)という例えは腑に落ちなくとも、喜びの涙なら、今でも落ちる。
 そして、彼女の魅力に落ちた私は、その鱗に接吻をも落とす。その滑らかな鱗に触れるたびに、生の実感がこみ上げる。そのこみ上げた生の実感が、今もなお骨壺の中を満たしている。生を終えた者が収まるその深淵に、終焉に。生を讃える水と魚が存在していることの矛盾をつけるものなど、ここにはいない。そんな程度の矛では、この盾(透明な金魚鉢)など壊すことなどできはしないのだから。
 強いて言えば……そう、骨壺の中で巡る輪廻転生のような。

 彼女の復活は、私の生活をも一変させた。無論、それを悪いとは思わない。あさぎの為にと思えるなら、そのすべてをあさぎに合わせることなど造作もない。私にとって、「今」を満たしてくれるのは、紅茶とサンドイッチではなく、「あさぎ」という恋人だけなのだから。

 しかし、そんな幸せは長くは続かなかった。青い幸せが沈殿したかのような。あれこれと調べる中でふとよぎったあさぎのひとこと。還る場所へと帰る日が来たのだと。骨壺の中で巡る輪廻転生は、急転直下に……いや、まるで予定調和のように終わりを告げた。……私に別れを告げるのはもう少し待ってくれてもよいのだけれど。

 降り立ったあさぎの故郷にて、たまたまであった地元の人の車に乗って、宿へ向かう。骨壺の中で揺れる水は、一滴たりとも零せない。これは水も含めてあさぎそのもので、一滴でも漏れようものならその存在毎消えてしまいそうだったから。
 そう、東京には「青」がない。だからこそ、あさぎの言う青に惹かれたし、それ以上にあさぎに惹かれた。そして、運転手はまさかのあさぎを知る人だった。そう、友達。同性の間に恋だの愛だのそんな感情が生まれるなんて、ありえない。……なんてことはないし、それをたまたま会ったばかりのこの人に力説する必要もない。
 ただ、この人も同じように涙を流してくれるのだと思うと、どこか他人のような気がしなかっ……恋人……?
 
 過去のトラウマから、私は男を避けるようになった。そのトラウマは私の心を濁らせ、男という存在を排除するようになった。そして、女しか愛せなくなった。だからこそ、生まれつきそうだというあさぎの言葉にはひどく共感した。肌がまとわりつくようにぴたりと合った。なのに。
 私の心は再び濁り始めていた。骨壺の水は半透明だけれど、私のきれいな心の水はだんだんと濁りを増している。宿についてあさぎの生い立ちを知れば知るほどに加速度的に濁っていく。ただ、そんな濁りの中にあっても彼の一言は私に刺さった。
 ……しかし、刺さっただけ。今の私にはこの言葉を抜くだけの力がない。口から吐いた言葉は戻せない。「友達」。その言葉の重さを。あるいは軽さを。私は今後公開し続けるのだろうな。

 濁りは、妬みになった。つい最近彼女と寝た身だからこそ、その妬みはより一層濁りを増す。
 決して相いれない人と魚。呼吸方法の違いによって、その環境を大きく変えてしまうのであれば、いっそ私の掌で永遠の眠りについてしまえば良い。かつて、その鱗に、その肌に何度も沿わせた私の掌で。
 そんな私の掌に湖ができる……といっても、あさぎは口を動かしているだけだけれど。かつては、骨壺に落とした涙を、私は自分の掌に落としている。今更この涙であさぎの心を落とそうとは思わないけれど。
 涙毎、あさぎを骨壺へと還す。そして、すぐさま戻って外に出てきたあさぎと私は熱い接吻を交わす。燃えるような恋、それはきっと赤いのだろうけれど。それ以上に温度が高い炎ならば、綺麗な「青」い炎を魅せるのだ。今の私たちのように。

 湖にたどり着いた。すべての生命が還る青は、とても青い。どんどんと別れの時が近づく中、彼から衝撃の一言を聞く。その嘘もまた、青かった。どこまでも青かった。すがすがしいまでの青い嘘は、接吻を目撃された事実をも気にならなくなるほどに。
 最後の接吻。そして、青と青が交じり合う。交じり合って、激しく燃え上がり、還っていく。その青さは、私たちによく似ている。

 そうよく似ているから。きっとまた惹かれあう。惹かれあって溶け合って。
 私が還る青はそこにある。その時にはまた、情熱的に接吻けて。

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