夕暮れの探偵

―東京、と言っても23区外、西東京。

とあるオフィスビル、と言っても築30数年_昭和末期からの貸しビル。

狭くて遅いエレベーターで3階に上がり、そこを出たら左に進んで突き当り。

そこにある「夕暮れ探偵社」、そこが俺の城だ。

 

 名前の由来に特に意味は無いが__強いて言うならまぁ2つ。

電話帳の掲載順は五十音順だから、例えば予算が足りなくて他社に断られまくった貧乏人や、金払いがよくても無理難題言うもんで余所でNGくらったヤツ。

そんなヤツが電話帳からアイウエオ順に1件1件虱潰しらみつぶしに探して探して探して…此処までたどり着けたら助けてやる。

それが俺のスタンス。


あともう一つは俺の名前が木暮こぐれ佑介ゆうすけだから名前をもじって付けた。こっちのが名前の由来に大きな割合を占めていたりする。


 何でこんな東京都内と言うには辺鄙へんぴな場所で探偵なんかをしているのか…話は10年と少し前までさかのぼ


__

「えー、みなさん、おはようございます。 みなさんにご報告がございます。 誠に勝手ながら当社は本日をもちましてすべての業務を終了または停止もしくは取り止めた上で、会社を倒産させることになりました。」


「おいマジかよ。」


 当時小さな印刷工場で働いていた俺のある日の朝の一幕だ。

零細れいさい企業って日本語を考えたヤツは天才の反面とんでもないドSなのだと思う。

言葉のとおり大手や中堅がこぼした細かい仕事を拾って食いつないでいた会社だ。

社会に網目があるとすれば零れるほど細かい企業だから零細企業って捉え方もできるだろう。

 

 そんな社長ジジイ職人ジジイ営業オッサン事務ババアと俺+時々バイトで回していた小さな工場は、オッサン営業マンがフリーペーパーの発行元の事務の女に不倫を持ちかけたのがバレて契約解除。

敢え無く倒産だ。


たったの一ヵ所の小さな仕事を切られただけですぐ倒産になるとは思ってもいなかったが、そうなり得るのも止む無しというレベルの貧乏所帯だった_きっと全部の仕事が生命線ライフラインに直結していたのだろう。

集中治療室の患者みたいなもんだ、楽になれて良かったんじゃないかと今は思う。


当時はその限りでは無いが…

 

 そして晴れて無職、高卒から5年、実家に帰る選択肢もあるにはあったが…ただ本当になんとなく、そんな気にもなれず同じ街で半年ほど過ごしていたある日、知り合いと一緒に飯でも行こうと言うことになり、久しぶりに街に出た時の話だ。


「何だオメェ、まぁだなんもしてねーの?」

「はぁ、まぁ…」


 男は俺より3つか4つか上だった。

確か印刷工場の社長の遠い親戚とかで時々バイトに来ていた。

お互いなぜだか妙にウマが合い、最低でも月に2回は飲みに行っていた。


「若いのにだらしねぇなぁ… あんなとこでクソ安月給で働いてて貯金なんかねぇだろ? どうすんだよ?」

「まぁ今は失業保険があるんで… 特になんも考えてないし最悪地元に帰ろうかなぁ… 的な?」

「大学生でもねぇのにモラトリアムかよ! 遅めの5月病か! …あー、お前!トラックの運転は?」

「え? 4tまでなら運転したことありますけど、会社で。」

「お!そうだったな! 会社でやってたことならできるか! じゃあ刈り払い機とかも使えるな!」

「まぁハイ。 草刈りなら暇な時やらされてたんで。」

「若いから体力も自信あるだろ! 部活はなんだったんだ?」

「まぁ人並みには体力ありますよ。 部活は…天文部でしたね。」

「じゃあちょうどイイな! オレんとこで働けよ!」

「え? 部活聞いた意味は?」

「明日駅まで来いよ! 道具を揃えて明後日から働くぞ!」

「や。 部活聞いた意味は?」

 

 怒涛の再就職だった。

結局天文部の何が丁度良いのかわからないまま男の下で働くこととなった。


職業は…


「何でも屋だ!」

「何でも屋?」

「あぁ! オレは! 本当に! 何でもやるぞ!」

「おいマジかよ。」


本当に何でもやったしやらされた。

ある時は草むしり、ある時は運転手、犬の散歩に農作業、家庭教師に結婚式の司会、ビル清掃、警備員、ペンキ塗りetc.

資格が必要無いなら全部やる。

まっ黒だけは辛うじて避けただけのグレーな感じに見えるのであれば全部大丈夫。

果ては黒いスーツ姿で謎の健康器具や健康食品の訪問販売までやった。

(…それらを自分では使う気にならなかったが。)

 


 あるとき男に尋ねてみた、シンプルに『何でこんなことやろうと思ったんだ?』と。


「人生なんてのは宝くじでも当たらない限り一日の3割と一生の4割は働いてなきゃなんねぇだろ? なのに毎日毎日おんなじスーツだの作業着だの着て、毎日毎日毎日おんなじ仕事なんてジジイになるまでやれるか? オレは無理だ、世間がどうでもオレは無理。 だからコレなのさ!」


なるほど、わからん。

わかったような気がしないでもないが…わからん。

雇い主に逆らうわけにもいかず曖昧な笑顔で返すと、満面のドヤ顔スマイルが返ってきた。

年下だったら殴りてぇなぁ。

 

 そんな楽しいような楽しくないような日々を過ごしていたある日のこと、仕事を終え事務所に戻ると男がスーツケースに忙しく荷物を詰めていた。


「悪ィ。 オレのジェニーが妊娠しちまった! オレ今夜の便でフィリピン行ってジェニーと暮らすわ!」

「シャチョサンアイシテルヨー。」

「おいマジかよ。」

「この会社はお前のもんだ! 無借金経営だったから安心しろ! 書類とか役所関係は…まぁ…何とかして、何とかしろ! じゃあな!」

「えぇ…」


 ニートから何でも屋へとジョブチェンジし、平社員から社長兼オーナー兼社員へとレベルアップ。

幸い自分一人で生きていけるくらいの定期的な仕事は既に持っていた。

突発的な仕事や新規の仕事を断ったり引き受けたりしながらのらりくらりしながらのんびりやっていけていた__はずだった。


「迷い猫の捜索… ですか?」

「えぇ… 何日も帰ってこなくて… 妻は気にすることないっていうんですけど僕はもう心配で心配で!」

「はぁ…まぁ… 見つかっても見つからなくても調査費用としてある程度の報酬が出るなら引き受けますが…?」

「お願いします!」

 

 _金がなかった。

それはもう切実に。

こんな引き受けた先に次に繋がるワケもなく、終わった先には何のアテも無いような仕事を受けてしまうほどに。

よく考えたら定期で入ってくる仕事も含め全ては男が営業で取ってきたものだったのだ。

一人となってしまった今、営業ができる人間がいない上に、俺は新規や突発や単発をその日の気分で断りまくっていたのだった。


うーん、死ね俺。


「どうせ車に轢かれて死んでるよ… ネコ煎餅になって役所に収集されて焼かれてるだろこんなもん…」


 おわかりだろうか? 病んでいる。

旦那さんから預かった猫の写真を見ながらやや物騒な独り言を呟く、写真は笑顔の奥さんに抱かれたキジトラ猫だ。

探す当てもなく依頼者の自宅近辺をただ歩き回るという捜査というにはあまりに無為徒食なウォーキングをしながら呪詛を吐く。

事と次第によっては不審者だ。


「まぁ案外近所の誰かが餌付けしてそこに居ついた可能性もあるか……あれ?」


いるじゃん、目の前に、写真の猫。

3度見して間違いがないことを確認する。


「…見つけた! 成功報酬は倍払いだ! 家賃も払える!メシも食える! ……おやぁ?」

「あら? マイちゃんったらまたついてきたの? ダメよー、こっちのパパにばっかり懐いちゃって。」


写真の奥さんまでセットでいるけど?

奥さんは写真のような笑顔のまま猫を抱いて自宅から10分と離れていないマンションへと消えていく。

 

 ―15分後、奥さんは男に肩を抱かれながらマンションを出てきて車でどこかへと消えていった。

『お宅の猫ちゃん、人間に変身できてマンションの賃貸契約とか結んでたりしません?』

とりあえず旦那さんにはこう切り出そう、明るさとユーモアを忘れずに。

などと考えつつ猫を抱いてマンションに入る瞬間、不倫相手(または猫の化身)と出てくる瞬間、車に乗り込む瞬間と車のナンバーを激写する俺だった。

 

「もしもし?猫の件でお話があります。それとは別件で少しお伝えしたいことが_」


 オチから言うとその写真が良い値段で売れた。

もちろん旦那さんのほうに、だ。

写真の買い取りを奥さんに持ちかけてもよかったが…やったこともないのに脅しまがいの取引で警察沙汰にでもなったら意味がないと思ったからだ。


「今回分の写真です。 今まではレストランや喫茶店でしたが、今回はホテル入ったとこが撮れたので…奥さんの不貞の証拠としては充分かと?」

「ありがとうございます…まさか妻が…不倫なんて… でもこれで有利に離婚できそうです…ありがとうございました……」

「旦那さん、相当痩せましたね…? 大丈夫ですか?」

「やっぱり気づきますよね? 他人のあなたでも気づくのに、毎日顔を合わせる妻は気づきもしない…僕たち夫婦は、もうダメみたいです。」

「なんていうかアレですね? 俺が写真を撮ってきて、それを旦那さんが買い取って、そうすると旦那さんは痩せていって、また撮ってきて渡してお金貰って、旦那さんは痩せていって_アレですよね、『鶴の恩返し』みたいですね。」

「笑えないですよ。」

「ですよね。」

 

 はっきり言ってこれに味を占めた。

今までやってきたどんな仕事より楽だし金になる、定期でやっていた『何でも屋』仕事に加え『よろず相談承り』な仕事へとなっていった。

一発目の不倫を暴いたご近所スキャンダルが功を奏し、口コミでまぁまぁ客は増えていった。

相談内容は不倫調査と人やペット探しでほぼ10割、その依頼の成功率が5割でも全然やっていけるレベルだった。


「そんなんだったら何でも屋の看板下げて探偵事務所始めればいいじゃんさ。」

善継よしつぐさん、ジェニーは?」

「こんなボロイ平屋の貸事務所じゃダメだな! ビルに事務所借りろ! ビルに!」

「善継さん、ジェニーは?」

「最低でもビルの3階以上のフロアに借りろ! 南向きだ! 窓を背にしてデッケェ机を置いて依頼者を待ち構えろ! 夕日を浴びて相談に乗ってやればまるで後光が射して見えるぜ! 依頼者はお前が神か仏に見えるに違いない!」

「善継さん、ジェ…」

「うるせぇ! アジアンとアジアンから青い目のガキが産まれるわけねぇだろ! 何がジェニーだくそったれ!」

「いや知らねぇし…」

「やっぱフィリピ―ナはダメだ! ピーナは! 時代はコリアンだぜ!」

「それも知らねぇし… あとまた絶対騙されると思うし。」

「不動産屋には話しつけてオレが物件見つけてやるよ! よし!3日もくれりゃあ大丈夫だ!」

「えぇ…」


 ―こうして俺は何でも屋を廃業し、探偵になった。

木暮こぐれ佑介ゆうすけ 28歳、職業は、今日から探偵、んで社長。

そしてこの騒がしい男は大衡おおひら善継よしつぐ 31歳、社員で、助手で、前の職場の先輩だ。

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