第7話 旅立ち

 門番が王立大学の大きな鉄の門を開き、馬車は中庭の小径こみちに入った。

 広大な庭には噴水、人工の池、木立、小径こみちが幾何学模様のように配してある。庭を囲むように並ぶ石造りの建物は明るい茶色で統一されている。七棟が整然と並び、そのうちの一つは礼拝堂、全ての建物が開廊で繋がっている。礼拝堂には鐘楼があり、その他の六つの建物はそれぞれ四角い塔を一つずつ擁している。

 建物から庭まですべて王立大学はイスンサレーカのこだわりで作られたものだ。この景色はヴォルクスが初めてここに来たときから変わらない。


「この眺めは懐かしいだろう」


 馬車は中庭を真っすぐに進み正面の建物の前で止まった。すぐに従者の一人が馬車の扉を開け、建物から出て来た守衛はイスンサレーカの指示を受けて大きな枕をワゴンに載せて丁重に運んでいった。

 外は風が強く吹き始めていた。

 この風は毎年必ず夏の終わりに北から強く吹く風だとイスンサレーカが言った。最低でも丸一日、長ければ二、三日続き、風の吹く日が長いほどその年の冬は厳しくなるという。


「この風は秋の知らせだ、ヴォルクス。どこに向かうにも涼しくいい季節だぞ」


 イスンサレーカが眠ったまま動く気配の無いライラとダニに声をかけた。二人は驚いて馬車から降りて来ると、建物の大きさと広い庭の美しさに歓声を上げた。二人の感動の様子を一通り味わい、満足してイスンサレーカがうやうやしく言った。


「ようこそ、わがダーライカンが誇る王立大学魔術院へ。ここはこの天才イスンサレーカの家だ。ワタシが責任を持っておぬしらの面倒を見てやるぞ。大船に乗ったつもりで安心しているがいい」


 おぬしもな、とヴォルクスに向けてイスンサレーカはにやりと意味深な笑みを浮かべた。



 ◇◇◇



 風は強さを増し北から吹きつけてくる。

 ヴォルクスたちは、イスンサレーカが部屋へ案内するという前に建物の塔の上まで登ってきた。

 イスンサレーカから聞いた三つの地――ミモレ、ニッキンドー、グリーンマウンテン――への方角をここから確認しておきたかった。

 強風に煽られながらぐるりと見渡すと、整った庭の配置と門の向こうには先ほど馬車で通って来たルタウセンの街並みが良く見えた。


「ニッキンドーはルタウセンから真っすぐ南でしたね」

「この方角だ」


 ヴォルクスがイスンサレーカに尋ねると、イスンサレーカが錫杖しゃくじょうを持ったまま南へと腕を伸ばした。その先に精霊のレイザーが留まる。さすが風の魔術師だけあって、イスンサレーカはこの強風の中でも平然としている。


「気が済んだか。中へ戻って、今日はよく休め」


 イスンサレーカにヴォルクスがどう切り出すか少し迷っていると、魔王が声を上げた。


「いや、いい風が吹くというのに無為に寝っ転がっていることもあるまい。そうだな、ヴォルクス?」

「……ああ」


 ちょうど北の海から大陸の方向へ吹くこの風は、南へ向かう追い風になる。


「風向き、ドラゴン。ニッキンドーだろう」

「ああ、いいだろう」

「決まりだ」


 魔王は嬉しそうに言った。魔王がドラゴンに興味を引かれたのはヴォルクスも感じていた。ヴォルクスの気持ちも追い風が吹く方向へ向かうという点で一致していた。吹き始めたこの風をみすみす逃す手はない。最低一日はこの風が続くというが、明日も必ず同じように吹く保証はない。


 ごおっと一瞬強く吹いた風にヴォルクスは目を閉じ、再び開くとそこには巨大な鳥の姿があった。

 風の精霊を魔王が呼び出していた。その青味がかったグラデーションの羽先は透明に見える。これまで見てきた精霊とはけた外れに大きく魔物に似た怪鳥といったところだ。その全長は両手を広げた人間が四人いても届くかどうか。背には五人は乗れそうだ。塔の上の空間はぐっと狭くなったが、精霊の透明感のためにその大きさの割には圧迫感はそれほどない。


「こいつに乗れば、たいして時間はかからんだろう」


 キエーッ、と大きな風の精霊が鋭い鳴き声を発し、ご機嫌な様子で首を上下に振って頷いた。突然のことに驚き戸惑っているライラの隣りで、ダニが寂しそうに口を開いた。


「そっか……急なんだな。魔王様、気をつけて。ヴォルクスもな。ライラには俺がついているから安心しろよ……」

「ああ。安心している」

「……だから、そういうのは調子狂うんだっつーの……」


 ダニはわざとらしい呆れ顔を作って言った。それにつられてヴォルクスは笑う。


「魔王ヘルデナラークは精霊をも自在に操るか……」


 イスンサレーカは巨大な風の精霊の姿に目の色を変え、レイザーと共に怪鳥に近寄ってじっくりと検分し始めていた。ダニも相変わらず無邪気に精霊の背中に乗せてほしいと近づいて行った。


 ヴォルクスはこちらをじっと見つめているライラを見て、はたと気付いた。旅の間に色々と考え続けてはいたものの、ライラに良いプレゼントを見つけることが結局出来ないままだった。仕方がない。


 おもむろにヴォルクスは強風に翻る紺色のマントを脱ぎ、ライラに着せた。


「これはライラに……」


 ライラは肩にかけられたマントの端を掴み、間近でヴォルクスをじっと見つめる。


「私は、暑いとか涼しいとか、そんなことがもうずいぶん長いこと感じられていなかった気がする。これは私自身の問題だ。一人でいる時間が長すぎたのかもしれない…… 希望の村からここまで、ライラ、ダニ、魔王と一緒で…… 本当に楽しかった。私の使い古しで申し訳ないが、このマントはきっとライラの役に立つ。厳密に言えば紺色だが…… 黒くて、落ち着くし、肌触りも良い。少し、シズカに似ていると思う……」


 そう言ってヴォルクスが微笑むと、ライラは言葉の意味がよく飲み込めないという風に不思議そうな顔をした。


「……大事なものでしょ、これ」

「ライラが大事にしてくれればいい。私はまた、作ることが出来る」


 ライラはじっとヴォルクスを見つめたまま何か言おうと口を開き、思いとどまって口をつぐんだ。


「ありがとう、ライラ。また、会おう」

「また会うって、絶対に、絶対に約束よ……」


 ヴォルクスがライラの肩に触れようとした時、ふと奇妙な引力のようなものがお互いの間に作用するのを感じた気がした。気付くとライラがヴォルクスの胸に飛び込んで来た。

 それはほんの一秒か二秒ほどの抱擁ハグだった。

 別れの挨拶。そんな誰にでもするようなただの挨拶に、ヴォルクスは何か特別な思いを受け取ったような気がした。その証拠に、ヴォルクスの心は灯がともったようにぽっと温かくなった。

 魔王には心が無いと言われ、ヴォルクスもそのとおりだという気になっていた。だが、どうやらヴォルクスの心は人間らしくきちんとここにあったらしい。


「魔王、ヴォルクスをお願いね」

「ライラ、逆だ、逆。ヴォルクスにオレ様のことを頼め」


 なぜか別れに不釣り合いなほど愉快そうな魔王の声に、ライラは涙ぐんでいるのかしんみりとした表情のまま少し微笑んだ。


「ヴォルクス、魔王としっかりね……」

「ああ」

「ヴォルクス、行くぞ」

「ああ、行こう」


 ヴォルクスはイスンサレーカとダニにも別れを告げた。


 気分がいい。

 ヴォルクスのマントがライラの望む贈り物になったかどうかは分からない。だが、自分の代わりにきっと彼女を護ってくれる。

 それに、この胸の内側からじわりと広がってくる温かい何か…… この正体の分からない何かが、まるで励ますように力を与えてくれるのを感じる。

 イスンサレーカ、ダニ、そしてライラ。自分の無事を願ってくれる人がいる。必ずまたここへ。生きて戻って来たい。


 ヴォルクスは長い髪の毛を風になびかせながら怪鳥に歩み寄った。精霊は翼の先の大きなかぎ爪のある指の部分で彼をひょいと軽くつまみ上げて背中に乗せた。間髪を置かず巨大な羽を広げると、ヴォルクスは下方から体が力強く押し上げられる感覚と共に風に高く舞い上がった。

 見下ろすと塔の上の人影ははすでにはるか遠かった。丘の上のダーライカン城の向こうに見える海は波が大きくうねり午後の太陽を反射させている。そのきらめきを背にして風の精霊は大きな翼を広げ軽快に滑空し澄んだ空の色に溶け込んだ。


 目指すは冒険者の町、ニッキンドーだ。





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 ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。大感謝です!

 第一章(起承転結でいうところの「起」)は完(続く)となりました。


 もし「続きを読みたい」とか「がんばれ」などと思っていただけましたら、 

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