第6話 魔術師イスンサレーカ(2/2)
馬車は内部の装飾まで上品で落ち着きがある。主な色調はワインレッドの
イスンサレーカに促され彼女の隣りにヴォルクスは座った。ヴォルクスの正面にライラ、その隣がダニだ。二人は高級な内装を落ち着きなくきょろきょろと見まわしている。馬車は滑らかに走り出した。
ヴォルクスはイスンサレーカの要求通りまず枕に催眠の魔術を施した。その後、ここまでの出来事を語った。
希望の村で雷に打たれ、魔王ヘルデナラークが額に現れたこと。魔王を討つ因縁の勇者に出会う前に魔王を体から解放したいこと。そのために、イスンサレーカの知恵を借りに来たこと。ライラとダニはヴォルクスを助けてくれた村の若者で、王立大学の志望者であること…… ヴォルクスは簡潔に話した。
イスンサレーカはふかふかとした大きな枕をダニとライラに押し付け、相槌を打ちながら黙って一通り聞いていた。ヴォルクスが話し終えるとため息まじりに口を開いた。
「魔術院の魔術師連中にも情報を収集させているが、魔王、勇者ともに出現の兆しは掴んでおらん。まさか、おぬしの額に現れるとはにわかに信じられんが…… しかし、その禍々しさを目の当たりにしては、信じぬわけにはいくまい。勇者とて、そこの魔王のようにひっそりとどこかに出現するやもしれんぞ」
魔王の出現はひっそりという表現はそぐわないが、ヴォルクスは黙って聞く。そこは論点ではない。
「残念だが、魔王を身体から出すなどという知恵はさすがの天才イスンサレーカにもない。魔術院の文献を全てひっくり返しても記されておるまい。しかし思い当たることはいくつかあるぞ……」
指で自分の顎をつまむようにして考えながらゆっくりと彼女は続ける。
「まずは、聖地ミモレ。隣国レシャコットの首都だ。魔王に対する力とは、聖なる力。ミモレの聖クライン大寺院はその“聖なる力”の最重要拠点だ。しかし、ここ最近は急速に外貨獲得のため観光地化し拝金主義が横行している。嘆かわしいことだ。……だからといって聖なる力が
ヴォルクスも昨今のレシャコットの良くない噂は聞いてはいるが、実際に訪れたことはない。イスンサレーカは続ける。
「次は、冒険者の町ニッキンドー。山と高原の国アンファンゲにある。ニッキンドーはアンファンゲのシンボルである二座の
聞いていた魔王が興味深そうに呟いた。
「
イスンサレーカは魔王を興味深そうに横目でじろりと見た。
「
「いま、
ヴォルクスが指摘すると、イスンサレーカはゆったりと頷きながら答える。
「倒されても死んではおらん。復活まで眠りについているだけだ。千年経てば、そろそろ復活してもいい頃合いだが、報告はまだ無いぞ」
簡単そうに話すが、もしやそれは加護は授ける
「ほかには、パワースポットだ…… しかし、あの類いはこの大地に履いて捨てるほどある。泉でも大樹でも洞窟でも。目立つもので言えばグリーンマウンテンは冒険者だけでなく一般人も最近注目する場所だぞ。パワースポットはどこにでもあるが人の多く集まる気とエネルギーは侮れん。だが、そういった人の集まる場所で魔王と勇者が鉢合わせしかねんのは…… 何が起きるか、ちと心配ではあるな」
グリーンマウンテンの名はヴォルクスも聞いたことがある。ルタウセンから南南西へ。馬で二日ほどだ。国境は超えるが旅行先として遠すぎず近すぎない距離がちょうどいいと、ルタウセンで静かなブームとなっている。ミモレが聖寺院への集客を大々的に推進しているのとは違い、グリーンマウンテンは知る人ぞ知る霊地といったところだ。
「魔王と勇者は互いに課せられた宿命同士。運命的に
ミモレ、ニッキンドー、グリーンマウンテンを始めとするパワースポット。どこへ行こうが、勇者とはいずれ出会う。それは魔王の話で最初から分かっていたことだ。
ヴォルクスは何気なく向かいに座るライラを見つめた。首を傾げたような姿勢で目を閉じ居眠りをしている。その隣でダニも上を向いて口を半開きにして眠っている。ヴォルクスが施し、イスンサレーカに持たされた枕の催眠効果だ。
そうしていると、イスンサレーカにしては申し訳なさそうな声でヴォルクスに告げた。
「ヴォルクス、おぬし会いたさに迎えにまで来ておいて、そのワタシが冷たいことを言うようだが…… 明日にでも旅立て。ルタウセンに長居は無用だ。イスンサレーカの有難い話は終わったぞ」
イスンサレーカに言われるまでもない。ここは都だ。ここで魔王と勇者を対面させるわけにはいかない。王家の居城があり、多くの住民がいる。大学にはイスンサレーカをはじめとした馴染みの人々もいる。正面で眠るこの二人は無事にこうしてルタウセンにたどり着いた。イスンサレーカの話も聞き終わった今、ヴォルクスにも異論はなかった。
「今夜のところは滞在する部屋を用意してある。非常に残念だ。おぬしを将来はこの天才イスンサレーカの後継者に育てたいと思っていたが…… 幸運を祈る。また、必ず戻るのだぞ。今はこの枕が手に入っただけで良しとしよう」
見るともなく彼女の視線の先、枕を抱える二人をヴォルクスは見た。その時、突然イスンサレーカがヴォルクスのフードを横から剥ぎ取った。ぐっと腕を伸ばし、ヴォルクスの顎を掴んで彼女の方へ力強く引き寄せた。
「魔王ヘルデナラークか……この輝き…… ワタシが忘れかけていた恐怖心が掻き立てられる。ぜひ研究したいところだが、叶わぬのが残念だ……」
「……おい。まともじゃないな」
煩わしそうにしながらも、真っすぐに視線を合わせる魔王の声はどこか楽しそうだ。見つめ合ったままイスンサレーカは魔王に囁く。
「魔王ヘルデナラーク、属性は何だ?」
「それを知って、どうする?」
「ワタシの心が知る喜びで充たされる……」
イスンサレーカは目をきらきらと輝かせた。
「魔王ヘルデナラークの繰り出す魔術の全てを見てみたい……と言って今ここでは困るぞ。ワタシとヴォルクスはなんとか身を護れても、そこの若い二人と御者たち、多くの
魔王ヘルデナラークの魔術を一人想像してうっとりするイスンサレーカの視線はどこを見ているのか。瞳の輝きは普通ではない。彼女はおかしくてたまらないといった風に宙を見据えてくっくっとしばらく笑っていたが、一息ついて言う。
「魔王ヘルデナラーク、ヴォルクスの体から無事に出られた暁には、おぬしもまたここへ戻って来るがいい。都の外れの山にでも専用の研究棟を建てて丁重にもてなしてやろう。そなたとワタシの一対一で…… じっくりと、細胞の隅の隅まで調べてやる…… 待っているぞ」
「……そう言われて、来るわけがないだろうが」
イスンサレーカは魔術、魔力となると強い執着心から時々気がふれたような言動をする。魔王が呆れてはいるがそんなイスンサレーカを嫌悪する風でもないのが興味深い。やはり、個性の強い似た者同士、通じるところでもあるのだろうか。
馬車はのどかな農村を過ぎて、市街へ入ってゆく。整備された石畳の道に馬の蹄の音が変わった。街の中心に近い広場からぐるりと回り込み、坂道を小高い丘へ上がるとダーライカン王家の城がある。その坂道の手前に王立大学は建っている。
ライラもダニも静かに気持ちよさそうに眠ったままだ。初めて訪れるルタウセンの街並みを見たかっただろうがそれだけのために起こすのは忍びない。
思い出したように、イスンサレーカがヴォルクスに声をかけた。
「ヴォルクス、そなたの姉だという人が来たぞ。やはりおぬしを探していた。ワタシは何も知らぬから答えられることは何も無かったが……」
その言葉にヴォルクスはハッとしたものの平静を装った。
「……そうですか、イスンサレーカ。しかし、私には家族はいません」
「そう寂しいことを言うな。向こうはそう思ってはいないということだ。……それに、少なくともワタシはおぬしを家族だと思っているぞ。大学で教えた魔術師は全てワタシの子供たちだ。おぬしはその中でも特別だぞ。さすがに母と呼べとまでは言わぬが、もっと心を開いて懐いてもらってもいいのだがな」
イスンサレーカは気高き魔術師、師であり同志だ。今までヴォルクスは敬意を持って接してきたつもりだ。心を閉じていたつもりは少しもない。だが、魔王に言われたように心そのものがなければ、イスンサレーカがそう感じても仕方がない。
「……ヴォルクス、自分から一人になろうとするな。すでにここはおぬしの故郷だ。こうしておぬしが戻り、頼りにされて、ワタシはこの上なく嬉しいのだぞ……」
そう言ってイスンサレーカは少し寂しそうに目を細めた。
ヴォルクスはこの人の思いを初めて知った。いや、今まで知ろうとしていなかっただけかもしれない。何も告げずに大学を去った不義理なヴォルクスに、イスンサレーカが愛想を尽かしたとしてもおかしくはなかった。ルタウセンを離れることにした時、せめてひとこと告げるべきだったのかもしれない。
誰かに頼るという選択肢は自分には初めから無いものだと思い込んでいた……
向かいで眠り続けるライラとダニを眺め、ヴォルクスはこの二人をイスンサレーカに託そうと心に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます