第2話 魔王の復活(3/5)
おばばは眠っているヴォルクスの額に右手をかざした。ぽう、と優しい光がおばばの手のひらに宿る。左手でガーゼを取り払うと、かざした右手が、ぱっと
その
「……ずいぶんと乱暴なばばあだな。何も見えんだろうが……」
低い声が憤慨した。ヴォルクスは瞳を閉じて眠っていて、形よく閉じられた口は動いたようには見えない。
「おまえさんは一体何者だい? 精霊じゃあなかろう。およそ精霊が人間にやることではない。であれば、悪い霊の類いかのう」
「……誰が悪霊だ。くそばばあ」
くそ、に強いアクセント。眩しくて肝心な部分は見えないが額の目が声を発しているのだろうか。どういう仕組みになっているのだろう。
「いやいや、悪霊に憑りつかれたにしてはヴォルクスの意識がはっきりと残っておるでのう。額に瞳だけを顕現させるというのもまた珍しいことじゃ。そういう
「……ふん……」
こちらの不安をよそに、あのおぞましい目とおばばがすんなりと会話を始めたことにライラは拍子抜けした。額の目が喋る様子に、ダニは戸惑った表情を浮かべている。
「お前さんの目を見ると不思議な力に魅入られるとライラから聞いたが、ちょっとやそっとの力の持ち主ではなさそうじゃのう」
「……うるさい、ばばあ。それほどのものでもあるだろうな、たかが人間ごときにとってはな」
悪態を
「……まあいいだろう。ばばあ、オレ様について知りたいというなら教えてやろう。寝ているこいつを起こしたところで何も知らんからな」
もったいぶった前置きが長い。この悪霊の化身らしき目は恐ろしい力を持っている上に、性格のほうは仰々しくてややこしいらしい。だが、おばばは短いやりとりで相手の扱いをすっかり心得た様子だった。
「無知なこのおばばにお前さんが何者か、教えてはくれまいか」
「……ふん、いいだろう。聞いて驚くがいい……オレ様は、魔王ヘルデナラークだ」
声と言い回しだけで嬉しそうなのが伝わってきた。目だけでなく人の姿であったなら尊大にふんぞり返ってにやりとしている場面だろう。だが、その声色を
その名は思いもよらずあまりにも禍々しい魔王のもので、あれが期待した以上に、ライラとダニはその名を聞いて恐ろしさに震えあがってしまった。いつも冷静なおばばもはっと息を呑んだ。相手の思う壺とはまさにこのことだった。
「魔王ヘルデナラーク…… 伝説の……」
◇◇◇
魔王ヘルデナラークは、およそ二千年前に死んだ皇帝の彷徨える亡霊である。
高度な文明とともに栄華を極めたとされる帝国の歴史は謎に包まれたままだ。長い歴史の中で一人の皇帝が暗殺され、魔王ヘルデナラークと呼ばれる亡霊になったと考えられている。
およそ千年前、その後五百年前にも、魔王ヘルデナラークは地上に姿を現し、世界に大きな混乱をもたらした。
そして魔王が復活するたび聖なる力を持った勇者が現れ、人類に平和を取り戻したのだ。
――南西の大地に某国があった千年前のこと。某国は現在のダーライカン国の地域へ侵略し何十年も果てなき戦争が続いた。
南西の国は蛮族の国といわれ、剛力の戦士ドゥアニオスが王位に就くと四十万の大軍を率いて押し寄せてきた。
対する小国(現在のダーライカン国)には聖なる騎士クラロスが現れる。ドゥアニオス王の大群にクラロスは聖剣をもって立ちふさがった。軍勢はわずか一万人。
勇者クラロスは聖剣で敵を次々となぎ倒し、一騎当千の活躍で奮闘した。某国に奪われた土地を奪還しクラロスは勇者と崇められるが、勝利まであと一息のところでドゥアニオス王の邪悪な策略に落ち討ち死にした。ドゥアニオス王も致命傷を負い、戦争は終わったが、互いの国がそれぞれ勇者と国王を失い勢力を大きく落とすことになった。
伝説では、勇者クラロスは聖剣をもってドゥアニオス王の右目を貫いたが、ドゥアニオス王はその場で絶命することなく自国の宮殿まで自分の足で戻り死んだという。
人間とは思えない生命力を持ったドゥアニオス王は『魔王ヘルデナラーク』の生まれ変わりだったと伝えられている――
――時は流れ、およそ五百年前、海を支配する海賊の王が現れた。
当時、罪人の流刑地とされた島で生まれた荒くれ者のトレナビスは北の海を拠点に、あらゆる船舶を襲撃し、暴行や略奪など航海の安全を脅かした。
海上の貿易は滞り、国々の統治者たちは海賊トレナビスに支配されているも同然となり、その力は海上だけでなく地上にも広く及んだ。
トレナビスは右目の眼帯がトレードマークで、その姿から『魔王ヘルデナラーク』の生まれ変わりと自ら称し、豪胆さと無敵の強さで周囲から恐れられた。
海賊王トレナビスの討伐には、聖なる力を宿したグラディオが抜擢された。ある国王から正式に勇者と認められたグラディオは数人の仲間と共に旅立ち、聖剣の力を得て、海賊王の首を見事
伝説では、勇者グラディオは戦いとなった船上で、トレナビスの首ごと魔王を封印した。しかし、直後に封印された魔王の首を取り戻すために現れた巨大タコの魔物クラーケンに船もろとも海の底へ沈められた。
勇者グラディオは輝かしくも儚い生涯を閉じたが、深い海の底に眠る『魔王ヘルデナラーク』もまた二度と地上に姿を現すことはないと言い伝えられている――
◇◇◇
勇者と魔王の伝説物語は子供から大人まで誰でも知っている。悪いことをして言うことを聞かない子供には「魔王ヘルデナラークが復活するぞ」と言えば大人しくなる。だが、それはただの脅し文句、魔王ヘルデナラークは今も固く封印され北の海の底に沈んでいるはずなのだ。
「伝説では魔王ヘルデナラークは封印されたはずじゃが」
「ふん、封印されておったわ。どのくらいかは知らん……たしかに永遠に近かったな」
「ご、五百年よ」
「五百年か、長い、な……」
邪悪な伝説の魔王相手に緊張するライラに、しみじみと魔王が返す。
「どういう訳かは分からん。気付いたら騒がしいどこぞの港で、集まっていた人間どもの中にこいつを見つけた」
「どうしてヴォルクスを……?」
「さあな…… こういう体になると魔力を持つ者が分かるようになるんだろう」
ライラは黙りこんだ。ヴォルクスはたまたま封印を解かれた魔王と出くわし、魔力を持っていたせいで魔王に憑りつかれたという。理不尽だ。
「ヴォルクスに憑りついてこれからどうするつもりなんじゃ? 魔王ヘルデナラーク様は」
魔王の低い声はさらに一層低く太くなった。
「……それよ……」
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