小人と熊と温泉と

海海刻鈴音

温泉のお話


 ある冬の日、山道を散歩しているときに、足を滑らせて滑落してしまった。

 その日は朝から天気が良く、気温は低いが心地よくすごし良い日だった。

 そこで、ふと思い立って山道に入って散歩をしながら、野鳥かなにかでも見に行こうかなと準備をして早速出発。

 野鳥はあまり見つけられなかったけれど、空気のいい中でぼーっと歩くだけで、ずいぶん身も心もリフレッシュされた。

 ときどき飲む暖かいお茶もあって、年甲斐もなく子供のようにテンションのあがるピクニック気分を味わっていた。のだけども。

 気がふわふわしすぎて視線も上を見すぎていたのか、道から雪が少しはみ出ているところに気づけなかった。

 ほんの少し、くっと曲がった道からはみ出した雪に足をかけてしまって、そのままずるっと滑落。

 雪があるおかげで打ち身は少なかったけれど、登ろうにも掴めるところはなく、あっけなく遭難してしまった。

 どうしようか。あまり下手に動き回ると危ないし、体力も無くなる。かといって何か行動をしなきゃ、このまま春先にニュースになってしまう。

 うーんうーんと頭を捻っていた、そのとき。

 がさがさ! っと、笹をかき分けて何かが近づいてくる音がした。

 (……終わった)

 凍死よりさきに獣の餌かぁ。別に熊と決まったわけじゃないけれど、もうこの時点で死ぬことを受け入れてしまった。

 最後にお茶を一口飲んで、雪の上に寝転がって。さぁ、もう食うなり裂くなり好きにしろと、そう思っていたのに。

「あんれま。人が倒れとぅ。大丈夫かい?」

 現れたのは、熊の背に乗った小人だった。

「あー、あっこから落ちたんね。可愛そうに。ほれ、乗りな。どっか適当なとこに連れてったげる」

 赤い実のついた枝を手にする小人は、熊の背をぽんぽんと叩く。私は、寒さで幻覚でも見てるのかと思いつつ、幻覚にしたってリアルだし、ここで大人しく死ぬくらいなら最後に幻覚の世界を楽しんで死にたいと、小人の声にしたがった。

 内心ビクビクしながら、恐る恐る熊に近づいて、その背に乗る。硬くて、ゴワゴワで、少し臭い。

「あ、そうだ。帰る前に、あったまっていきなね。あそこ連れてったれ」

 小人が枝をふりふり、熊はのっそのっそと歩き出した。

 山道を歩いているときはまったく会えなかった森の動物たちが、何度かこちらの様子を見に来ては去っていく。

 のんびり歩く熊の背に乗って見る非現実を、いつまでも楽しんだ。

 どれほどの時間が流れたのかは覚えていないけれど、しばらくして、小さな小屋にたどりついた。人間基準で小さいのではなく、小人が使うのにちょうどいい大きさだから小さいと形容されるような小屋。

 そこで、小人はさっと服を脱いで、私にも脱ぐよう促してきた。

 どうして寒い中裸に? とも思ったけれど、まぁ恩人の言うことを断れるほど図太くもないので、何も言わずに服を脱いだ。

 それから、小屋からほんの少しだけ歩いたさきに、なんとも素敵なものがあったのだ。

 すでに何匹かの先客がいる、大きな温泉。わずかに白濁したお湯の中に、うさぎやリスや鹿や、鳥たちが気持ちよさそうにとろけていた。

 さっき私たちを運んできてくれた熊も、器用に足の汚れを拭いて、雪に体を擦りつけて綺麗にした後に、温泉へダイブ。

「ほれ、入りんしゃい。心配せずとも、病気になったり寄生虫にやられたりはせんよ」

 リスや鳥たちと同じように、水面に木製の桶を浮かべると、熊はそのなかに並々お湯を注ぐ。小人はそのなかへ入ると、どこからともなく用意したお酒を飲み始めた。

 その光景にぽかんとしていると、熊がぐぅと唸って、自分のお腹をぽんぽんと叩く。

 私は、誘われるまま熊の膝上に座って、桶をくるくる回しながら、温泉を楽しんだ。

 

 ――数時間後、私は家の前にいた。いつのまに温泉を出て、服を着て、ここまで来たのか、記憶はない。

 けれど、ほのかに香る硫黄と獣臭が、あの出来事を事実と証明してくれた。

 足元を見ると、私の荷物と、あの木の桶が転がっていて。

 綺麗な笹の葉に、また遊びに来てねと、書かれていたのです。

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小人と熊と温泉と 海海刻鈴音 @mesolem

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