第28話 新人の選手像と、団体の将来像

 帰りの車がそろそろ北多摩市に入ろうというところで、シャンプー類の買い足しがしたいと言って一度ドラッグストアに寄ってもらった。

 社長の車に置かれていたエコバッグを借りて店に入る。

 さすが東京の店というだけあって、品揃えは多く目移りする中で、雅鳳は実家で使っていたものをみつけてそれの小さな容器と詰め替えパックを併せて買い物かごに入れた。


「え、そんなんでいいの?」


 買い物かごの中身を見て、スザクはそんなことを言った。


「え? だめですか?」

「いや、デビューするまではいいけど、デビューしてからは肌と髪の毛に使うものは気をつかいなよ? 長く伸ばすなら特にヘアケア。髪質とか遠くから見た印象に結構影響するから」


「あ、はい……やっぱり、ヘアサロンとかで売ってるやつ使ったほうがいいんですかね」

「晴波はそうしてる。お店の人が髪質にあったの勧めてくれるっていうし。まあ10代のうちはまだそこまで気にする必要はないかもだけど、女子レスラーでやっていくなら顔のスキンケアと、20代からはヘアケアにマジで金かけたほうがいい」


「そうなんですね……確かに月一くらいでトリートメントとか行ってる選手結構いますもんね」

「そうそう、長い髪は動いて毛が流れるたびに見た目に影響するし、それが客席から撮った画像とかになると、一種の表情にもなるからね」


 そんな話をしながら、ボディミルクとシェービングクリーム、少なくなってきた安めの化粧品類の補充になりそうなものを見繕って、ついでに買い物かごに入れ、レジを通った。


「そういえば、今夜の夕飯ってどうしましょうか」

 これに、駐車場から出ながらスザクはさらりと「それならもう作っといた」と応えた。


「がぶちゃんのレッスン中に、一度家帰って、ゲンと二人で。ヴィーガン・スンドゥブと和風餡の煮込みハンバーグ。晴波の分は前に作って冷凍しておいた豆腐とレンズ豆のハンバーグのストックがあったから、それを使って小鍋に分けて作ってある」

「ああ……ありがとうございます」


「いや、いいよ。それより、今日はどうだった?」

「……時間、ちょっと掛かるかもしれません。なんていうか、新人選手っぽい声がうまく作れなくて」


「ああ、あの何やるのも『あー』って甲高いやつか」

「はい」


「女子の新人レスラーって、とにかく声出すイメージあるよな。けどあれって客に対して、技術力がないのを枯れてない声のフレッシュ感でごまかす目的なのがほとんどなんだよ」

「そうなんですか」

「うん、だからうちでは、声を出せとは言っても、『もっと出せ』とか『腹から出せ』とかは言わないことにしてる」


「なんでですか?」

「うーん、ちょっと長くなるけどいい? 中央線に八王子って駅があるんだよ。そのすぐ駅前にさ、一昨年『たま未来メッセ』っていう、使用料が後楽園ホールの半額以下でほぼ同じ規模の客席が入る会場ができたんだよ。まあ、後楽園と違って客席が階段状になってない平場だから、客席の配置とか工夫がいるんだけど……。更に高尾の方までいけば新宿から電車で1時間ぐらい掛かるけど、千人規模の客席数で使用料が20万もしない会場もある」


「それは、安いんですか?」

「安い、格安だよ。……そういう場所で、例えば中学生以下無料、正面最前6000円リングサイド5000円一般指定席4000円みたいな、都内の大会から考えたら割安の大会とかやったとするだろ。そうすると客席の何割かは声の甲高い子供になるんだよ」


「そうなんですか?」

「うん。地方の団体なんだけど、提供試合やらせてもらった団体がまさにそんな感じだった。みんな親子連れで見に来るんだ。そういう場所の真ん中のリングで女子選手が一人で声はりあげても、何の迫力もない。全っ部子供の歓声で埋もれるから。……俺はマジヤバでそういう場所で、年1か年2で満員の興行をやりたいと思ってる。だから、声の大きさは相手の選手とセコンドに伝わる程度でいい。それより今は基礎をしっかり築き上げて、対戦相手にきちんと気持ちの伝わるチョップの一発も打てる選手になってほしい。フリーの選手からSNSで試合の内容でいい評価をして貰えれば、フォローはしてても試合自体は見てない人からの評価も間接的に上がる。そういうところから前評判の高さで興味を持つ客だっていくらかはいる。北魂プロレス時代は、そういうのの積み重ねでファン層を作ってきた。そこからの延長で今のマジヤバを見てくれてるお客さんもいる」


 それを聞いて、雅鳳は胸の奥を締めつける不安が少しだけほどけた気がした。チョップに自信があるわけではない。それどころかまだ人に向けて打ったことすらない。ただ、声が大きくなくてもいい、という言葉に安堵したのだ。


 むしろ体力については不安がある。体重ですら、昨日計ったときに晴波からは、

軽!かっる ま? これはルックスで客を落とすタイプの、うちでいったら知花さんとかとわちゃんの系統の選手の体重だよ」

 などとと言われてしまったほどだ。

 顔が人並みなのは自覚している。不細工というほどではないだろうが、美人かと言われたら母譲りの豆柴やカワウソ系で、鼻ぺちゃの日本人にありがちな顔だと自分でも思っている。体重も、男子新体操では力強さよりも動きの軽やかさが売りの選手だった。だが女子レスラーとしては晴波の言う通り、ひょろひょろのもやしっこでしかない。


 スザク社長は話を続けた。

「……それに、今は若い客が限られてる。今の若い世代のプロレスファンの多くは大人になってからプロレスを知った人が少なくない。東洋クインダムでも大学生や社会人1年目くらいにプロレスを初めて見て、自分もやりたいって、仕事辞めて入門してきた子は少なくない。総合格闘やボクシングだって、いまや地上波では中継がない時代だ。子供の頃からリングの戦いを見て育つのなんて、親が格闘技ファンか、自分が護身術やエクササイズとしてそういう道場に通ってる子供くらい。……そういう子供と、その子が親同伴で連れてきた友達とかでもいい。とにかく生のプロレスを見る機会を増やして、プロレスを知ってもらう機会を増やすしかないんだ……今度やる月寧寺の屋外プロレスもコンセプトは同じだ。リング近くの上等な席だけ普通の大会の席の料金とって、あとは無料。立ち見のロハの見物客を『次はU-tube見る』そして『生でみたいからチケット買って道場開催にくる』っていうファンに変えていく」


「今度の金曜って、そんなに大事な大会なんですね……私、忙しいときに来ちゃって、迷惑かけてません?」

「いや、順調にいけば来年にはがぶちゃんも出る定例興行だ。初めて関係者として参加する大会としては上出来だと思うよ。……それより明後日スクーリングあるだろ? それに備えて帰ったら勉強しときなよ。今夜は多分、俺らの稽古長めになると思うから。夕飯も先に食べてていい」

「はあ、わかりました……」

「みんな明日明後日は体の調整とかメンテとかになるから、その前の詰めの稽古が今夜あたりになると思うんだ。もちろんがぶちゃんの基礎トレは、明日も明後日もやるよ?」


「あ、はい。明日明後日はメンテ……」

「意外?」

「少しだけ。高校の部活でも中学のクラブでも前日は体育館に残れるギリギリの時間まで追い込みの練習して、寝不足で予選行ってましたから」


「若いうちは時間ないからそうだよなぁ。年取るときちんとメンテにも時間かけないと、本番で体動かなくなりかねないから。プロレスの場合、そういうギリギリの疲労度で技を出してるのを見たがるファンも居るけど。最悪の場合、事故とか技失敗して相手に怪我させたりってのにつながるから。うちでは今回のハルみたいに連戦とかじゃない限りは休ませることにしてる。それに、あんまり疲れが溜まってると、ロックアップで組み合った瞬間相手にバレるしね。月寧寺は屋外だから、雨が降れば滑る可能性もあるし」

「ああ、そうですね。雨……」


「まあ、寮組の中には明日も受け身とか動きの確認に来る人いるかもだけどね」


 そこまで話したところで、スザク社長ははたと何かを思い出したように眉を上げた。


「……あ、そうだ。がぶちゃんって自転車保険入ってる?」

「え? 自転車……あっ、スマホ払いで月額200円くらいで掛け捨てのやつなら」

「ならよかった。じゃあ明日は昼に『カンガルー』に挨拶がてらゲンに連れてってもらうから、ついでにがぶちゃん用の自転車買っておこうか」


「え、いいんですか?」

「うん、電動アシストとかついてない、普通のママチャリで悪いけど」

「いえ、十分です」


「一応道場にも寮にも社用のがあるけど、がぶちゃんの場合、バイトとかスクーリングとかボイトレとかで長時間出っぱなしの頻度高いでしょ。だから専用のがあったほうがいいと思って」

「えーと、道場から三鷹だと……バス乗り継ぎより長い目で見たら安上がりかもですね」

「そうそう、自転車ならまっすぐ15分もかからないから」


「あの……そのくらいなら足で走った方がよくないですか? 晴波さんも毎朝走ってるっていいますし」

「うーん、そう言いたいのは山々なんだけど、まだしばらくは暑いから汗だくでバイト先に入ることになるし、3キロも走ったら帰ってきてハルの稽古受けるの、モチベ下がるでしょ。ホルモンの様子も見る必要もあるし。それに会社で買えば、がぶちゃんが使わなくなっても、次の世代の練習生に自転車引き継げる。もろもろ合理的配慮ってことで」


「そうですか、助かります」

「いいのいいの」

 そんな話をしている間に、道場のすぐそばに来ていた。


 途中、社長が誰かを見つけたようで車の速度を緩めた。ハザードランプをつけ、助手席側の窓を開ける。むわっとする熱風がエアコンの効いた車内に流れ込む。


「おーい」


 社長がそう声を掛けた相手は、ポロシャツにスラックス姿と、坊主頭のジーパンにティーシャツ姿のどちらもがたいのいい男性。そして二人の女性。片方は透け感のあるロングスカートのワンピース、もうひとりはノースリーブにスキニージーンズで、ふたりとも日傘を差している。

 振り向いたその顔は雅鳳にも見覚えがある。皆マジヤバの所属選手だ。坊主頭の選手は男子寮生、他の3人は社会人組である。


 4人は声に振り向くと、にこりとして頭をさげてくれた。

 ポロシャツは鹿島刀夜選手、坊主頭は2年目の灯樹ともき選手だ。女性選手は、先日話した知花選手と、新人の登環とわ選手である。


「のってくー?」

「のりまーす」

「あいてますー?」

「後ろ、3人までならいけるよー」


 その言葉をきいて、早速じゃんけんの準備を始める4人を見て、雅鳳は即座にシートベルトを外した。


「私、ここから歩きます。玄関の暗証番号――ですよね?」

「うん、部屋の鍵は?」

「はい、合い鍵、源三さんにもらいました。……あ! 前の席、空きまーす」


 車の外から「え、いいの」「ごめんねー」という嬉しそうな声が聞こえる。それを聞きながら、雅鳳は車を降り、入れ替わりに鹿島選手が助手席に乗り、他の3人はスライドドアの後部座席に入った。


 エコバッグと自分のバッグを手に路地の際から歩道に移り、5人の乗った車を頭を下げて見送った。


 それからバッグの中から折りたたみ式の日傘を出して開き、それをかつぐようにして歩き出した。

 夕方になってようやく聞こえるようになった蝉の声をききながら雅鳳は、道場についた。


 既に道場正面口の扉越しにもわかるほど、稽古の声やリングの板が弾む音がしていた。

 奥に回ってエントランスのロックを解除し、階段を登っていく。

 いつもなら3階の階段のあたりで聞こえる人の気配が今日はない。おそらく1階の道場に皆居るのだろう。

 4階に上がり、小田宅の玄関の鍵をあけて中に入ると、晴波も源三もいなかった。


 リビングに行くと、一枚の書き置きがあった。

『下で稽古してます。ガブちゃんは体を休めて。なにかあったら携帯か内線で』

 そう書かれているのを見て、雅鳳は少しさびしさを感じながら、洗面所で手を洗い、うがいをし、部屋着に着替え、水分補給を兼ねてプロテインを薄めに作って飲んだ。


 それからエコバッグの中身を風呂場に置き、ついでに風呂場と脱衣場を念入りに掃除し、リビングやキッチン、トイレなどの家族の共有スペースを掃除して回った。

 スザク社長から将来を見据えた話を聞かされて、自分一人だけ、自分のためのことをしている気にはなれなかった。

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