第24話 日課と朝ごはんと飲み物
……午後4時半、晴波に呼ばれてリビングに行った、彼女はキッチンでエプロンをつけている。
「がぶちゃんの、そこにかけてあるからエプロンつけて」
そう言われるままエプロンを身に着け、なんとなく流れでキッチンシンクで手を洗う。
「なにか作るんですか?」
「うん、今日は初日だし、しばらくは一緒につくろうと思って」
そう言いながら、彼女は冷蔵庫を明けた。
「今日焼き魚でいいかな。昨日スーパー行ったらアジが安かったんだわ」
「はい、あ、内臓抜き、やります」
「わるいねー、焼くのは食べる前でいいから切ったの入れるスペース、パーシャルに作っとくね。出刃は流しの下に入ってるから」
「はい」
まな板をざっと水で流し、包丁をだしかけてふと手をとめた。
「……先に、晴波さんの分作っちゃったほうがよくないですか? ほら、包丁とかまな板とか、血がついちゃいますし」
そう言うと、彼女はぱたぱたと手を降った。
「ああ、私今夜は納豆3パックでいくから大丈夫」
「え、一晩で3パック食べるんですか?」
「うん、そのくらいないとタンパク質足りないんだわ」
「……通風とか、気になりません?」
そういうと、ふりむいてにこりとした。その手には3匹の大ぶりのアジが入ったプラスチックバックが持たれている。
「大丈夫。きちんと計算して食べてる。っつーことで、がぶちゃんがアジ相手にしてる間に、ブロッコリーとひよこ豆とトマトのサラダつくりますか。まず朝から水で戻してるひよこ豆があるから、それを鍋に移して強火で茹でて……ブロッコリーも今日は生のが……」
そうして、二人肩を並べて小一時間ほど料理をした。
できたものは全て冷蔵庫におさめ、最後に無洗米を2合半ほど炊飯器にセットした。この米の水と味噌汁の水は、リビングの壁際に設置されたウォーターサーバーから取っていた。
どうやら水道水は飲まない家らしい。
ふと、雅鳳の頭の片隅に『PFAS汚染』というフレーズがよぎった。上京するにあたって、東京の新聞のサイトをいくつか見ている中で目についた記事だ。多摩地区以東の地下水および水道水が化学物質で汚染されているという内容だった。
だが、それを口には出さず、代わりに別の疑問を口にした。
「そういえば、お米のかわりに何食べるんですか?」
そう聞いている矢先に、晴波は冷蔵庫から生のピザ生地のような焼いていないナンを取り出した。
「これ」
そういって、彼女は慣れた手つきでフライパンでナンを焼き始めた。
「納豆とナンって、合うんですか?」
「合わないねえ。だから納豆はネギ刻んでラー油とゴマで混ぜて、直に海苔で包んで食べる。ナンは適当にオリーブオイルとかつけて食べる」
「そうなんですね。明日の朝は?」
「んー、プロテインをオーツミルクで飲んで、朝のランニング兼ねて『カンガルー』まで行って、オーバーナイトオーツ買って帰って来て食う。売り切れてたら泣きながら450円の蕎麦稲荷買ってかえる」
「そういえば、オーバーナイトオーツってなんなんですか?」
「オートミールは知ってる?」
「麦を潰して乾燥させたやつ、ですよね? 母がよく家でシリアルの代わりに食べてました」
「オーツ麦ね。それを一晩アーモンドミルクに漬けたものがオーバーナイトオーツ」
「それ、自作できません?」
「できるし、やってた。けど、ここから3キロ半走って買いに行って、木彫りの等身大カンガルーの頭撫でて、3キロ半走って帰ってきて食べることに価値があるの。往復でだいたい30分、長めの1試合分のスタミナ作りのノリで行く」
「なるほど」
「あ、そうだ。明日の朝ポキ丼と目玉焼きとサラダでいい?」
「ポキって、朝から刺し身ですか!?」
「うん、漬けのマグロ。ゆうべ、サクが半額になってたんだ。味噌汁も今夜多めに作れば、夜中にいっぺん火入れとけば明日の朝までもつでしょ」
「はあ……」
「あれ、カルチャーショック?」
「はい、軽く……っていうか、食費結構使うタイプの家庭ですか?」
「いや、いってもキハダマグロだし、生食用でサク半額って見つけた瞬間興奮して、脊髄反射でカゴに2つ入れちゃって……。あとは朝は手軽なものにしたいっていうのがある。それと、うちはタンパク質多めの食事多いから、それだけ覚悟しといてもらえば大丈夫だよ。なんか気になることある?」
「ええと、体重、増やしたほうがいいのか今のままでいいのかが、ちょっと」
それをきいて、あ、と思い出したような顔をした。
「そういえばまだ体重計乗ってなかったね。あとで下で乗ろう。それに、体の大きさって選手としての今後の方向性にも関わってくるし、ある程度リングの動きを覚えたり基礎が体がなじむまでは、うちでは考えない方針でやってる。男子みたいに若手はとにかく体でっかくすればいい、ってわけじゃないし」
「そうなんですね」
「明日のお昼、なにか食べたいものある?」
「いえ、特には……」
「じゃあ、それ考えながら今日のトレーニング終わったら買い出し行こうか。8時回ったくらいの時間に駅前のスーパー行くと、ちょうど割引始まるから」
「わかりました……ところで、春波さんは、いつ稽古してるんですか?」
「ん? 今日は今朝やった。下に住んでる外国人組の子らと、寮組でバイトが午後の子らと一緒に。オヤジは昨日の試合の疲れが残ってるから、ちゃんこ番してもらって、稽古終わりに1階でみんなで食べた」
「そんな感じなんですね」
「んー、私の場合は夏休みだけかな。平日はたぶん……学校から帰ってきてすぐにプロテイン飲んで、がぶちゃんの基礎トレ手伝って、プロテインまた飲んで、BCAA飲みながら自分の基礎トレやって、社会人組といっしょに夜7時くらいから一時間半くらい稽古参加して、家帰ってご飯食べて、シャワー浴びて、誰かしらが稽古終わりにやってるはずのU-tubeの団体チャンネルの毎日配信がまだ終わってなかったらちょっと顔出して、って感じ」
雅鳳の返事に重なるように、外から鐘の音が聞こえる。時計を見ると午後5時半をさしている。
「はい、今のが子供の帰る時間。今日のプロレスフィットネスの講座終了。ってことで、部屋行って着替えて、シューズとってきて。トレーニングやるよ」
その言葉に、雅鳳はこくりと頷いた。
「あ、その前に水分とって、BCAAつくらんと」
そういって、リビングの壁際に設置されたウォーターサーバーを指さした。
側にはスポーツジムで使うようなドリンクボトルが4本、一本は買いたてのようで真新しい。
「あ、私水道水でいいです」
「ううん。これ、うちの方針だから。大丈夫、水素水とか怪しい水じゃないし。うちのジムのスポンサーさんトコのやってる水なの。産地は富士山」
それを聞いてああ、とすんなり納得した。
「……なるほど、ごめんなさい。なんか東京の水って最近あんまり体に良くないってニュースで見たもので」
「あー、アレね、この辺の農家がみんな心配してるやつ。国の省庁もまだ調査研究中で答え出てないんだよね……一応活性炭系の浄水器つければ除去できるらしいから、必要なら買うよ? 男子寮と女子寮にもつけてるし」
「いえ、そこまでは。ウォーターサーバーを使ってる事情もわかりましたし」
「じゃあ、問題ない?」
これに笑顔で頷いた。
「はい、問題なしです」
焼き上がったナンを皿に置いて、晴波は慣れた手つきで自分用のBCAAの用意を始める。
「がぶちゃんは、そっちの大きいパッケージの方から作って。こっちヴィーガン用で、成分大して変わらんのにちょっとお高いんだわ」
「BCAAなんですね」
「EAA派?」
「高校ではスポーツドリンクでしたね。そういうの買って置いておくと勝手に飲まれちゃうんで。プロテインはOBの差し入れが多くて、部室で飲み放題でしたし、スポドリだけは名前書いとけば取られなかったんで」
「ま? ウケるんだけど。プロテイン飲み放題って、ホエイ系?」
「そうでしたね。先輩とかで夜だけソイプロテイン自腹で買って飲んでる人とかもいましたけど」
「あー、植物系プロテインは吸収が遅いからね。私も飲むの稽古の30分くらい前だし」
そう言い合いながら、水もコップ一杯ずつ摂取した。
雅鳳のBCAAは白く透けた晴波のBCAAとは異なり、いちごミルクの粉末のような淡いピンク色だった。パッケージにはピンクグレープフルーツの絵柄が入っている。それをボトルに計量スプーンひと掬い入れて、水で溶く。淡いピンクの透明の液体が出来上がる。
「なんか……屋台のかき氷の終盤を思い出す色ですね」
「んふ、パパもそう言ってた。オヤジがさあ、成分量悪くないからってネットでサマーセールになってたのを一番でかい袋で注文しちゃってー、口に合わなかったらごめんね。必要ならオヤジのケツ蹴ってがぶちゃん用の買わせるから」
「いえ、いただけるだけ感謝です」
そういいながら、一口飲む。まだ溶け切っていなくて粉感はあるが、味自体は甘みも酸味も控えめでさっぱりしていて飲みやすい。
「うん、大丈夫そうです」
「とりあえずうちのオヤジ、そういう勝手に決めて連帯責任でゴーみたいなトコあるから、必要だと思ったら予防線張っときなよ。社長だからって遠慮すると割とガンガン決められちゃうから」
そういいながら、晴波はさらさらとメモを書きつけた。
「わかりました」
「はい、じゃあ、着替えよっか」
雅鳳はひとつうなずいて、自分の部屋に戻った。
残った晴波は、冷蔵庫に
『今夜はアジとサラダと味噌汁といつもの常備菜です。アジは自分で焼いてください。(マグロは明日の朝用です! 酒のアテにするな!)』
というメモを張った。
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