目立ちたくない冒険者、静かなる日常の崩壊

真夜中の喫茶店

短話

酒場のドアベルが心地よい音を立てると、賑わう店内に1人の青年が姿を現した。22歳、少し無造作に整えられた黒髪の男――カイン。彼は無表情ともとれる落ち着いた顔つきで、周囲に目を留めることもなく、奥の席に静かに腰を下ろした。


「カインさん、いつも通りステーキでいい?」


小さなトレイを片手に現れたのは、この酒場の看板娘、ミラだった。彼女は可愛らしいボブヘアに、少し小柄な体型だが明るい笑顔で、客からも仲間の店員たちからも愛されていた。


「頼むよ、ミラ。」


カインは微かに微笑んで短く返した。彼はこの酒場の常連で、ほぼ毎日のように通っている。店内は常に活気に溢れており、冒険者たちがあちこちで笑い声をあげている中、カインは目立たぬよう静かに過ごすことを心がけていた。


「ステーキ一丁、すぐ用意するからね!」


カウンターへ戻っていくミラの後ろ姿を眺めながら、カインは苦笑した。ミラはこの酒場における癒しそのものだ。客にも分け隔てなく接し、店の忙しさにも文句ひとつ言わない。

カインにとっても、彼女の存在は特別だった。だが、その特別さを表に出すことはない。彼は「目立つこと」を何よりも避けてきた。


しばらくすると、香ばしい香りとともにステーキが運ばれてきた。


「お待たせ、特製ステーキだよ!」


ミラは自信たっぷりの笑顔を浮かべながら皿を置いた。その笑顔に、カインは心の中で「ありがとう」と呟きつつ、そっとフォークを手に取る。


そんな穏やかな時間が続くと思われたその時――。


酒場のドアが勢いよく開け放たれた。冷たい風が吹き込み、店内が一瞬静まり返る。現れたのは赤髪のポニーテールを揺らす若い女性冒険者だった。腰には鋭い刀が下げられており、見るからに只者ではない雰囲気を纏っている。


「この街で一番強い奴! そいつを出しなさい!」


女性――フィオナの大声が店内に響き渡る。瞬間、ざわついていた冒険者たちは全員彼女に注目した。誰もがその気迫に圧倒され、しばらく言葉を失った。


「なんだこいつ……」

「喧嘩を売りにきたのか?」


そんな声が周囲から漏れる中、カインは静かにため息をつき、ステーキを一口だけ頬張った。彼は当然、自分が相手にされる可能性を考えたが、できれば関わりたくない。


「おい、あの席の男、カインって名前じゃなかったか?」

「ああ……確か元S級の……」


周囲の囁きがフィオナの耳に届くと、彼女はすぐさまカインの席に向かって歩み寄った。


「アンタがこの街で一番強い冒険者らしいな。」


カインは顔を上げることなく、淡々と答えた。


「俺はただの一般冒険者だ。強さを測るのなら他をあたってくれ。」


だが、フィオナは引き下がらない。


「噂は聞いてる。隠しても無駄だ。ここで私と戦え。」


ミラが心配そうな顔でカインを見つめた。


「カインさん、大丈夫なの?」


彼は目立ちたくない気持ちを胸に押し込めながらも、酒場の騒ぎをこれ以上大きくしたくないと判断した。


「分かった。外でやる。ここを荒らすわけにはいかない。」


二人は酒場の外へと出る。店の中の冒険者たちは興味津々で見物に集まった。


「いいか。お互い軽く手合わせをするだけだ。」


カインはフィオナにそう告げるが、彼女の目は闘志に燃えている。


フィオナが刀を構えると、一瞬で間合いを詰めた。その動きは速く、見物していた冒険者たちが息を飲む。


「はっ!」


鋭い斬撃がカインに向かって振り下ろされる――が。


「……なんだと?」


カインは微動だにせず、余裕でその攻撃をかわした。それもただ後ろに下がるだけではない。軽く体を横にずらし、まるで風のように攻撃の軌道を外していく。


「そんなはずは……もう一度!」


次々と繰り出されるフィオナの攻撃。しかし、全てが届かないどころか、カインの表情には焦りの色すらない。


周囲の冒険者たちは息を飲み、やがて小さく囁き始めた。


「やっぱりカインって……只者じゃない……」

「あのフィオナを圧倒してるぞ……」


最終的に、フィオナは息を切らしながら刀を下げた。


「認めるわ……アンタは確かに、私がこれまで会った中で一番の強者だ。」


一方、カインは気だるそうにため息をつきながら返した。


「だから言っただろう。戦うつもりはないって。」


その言葉に、フィオナは僅かに笑みを浮かべた。


「また会おう。次はもっと強くなって挑む。」


彼女が去っていく中、カインは再び酒場の席へと戻り、冷めかけたステーキに手を伸ばす。そして、何事もなかったかのように食事を再開した。


一方、ミラは笑顔を浮かべながらカインに小声で囁いた。


「カインさん、やっぱりすごい人だね。」


彼は苦笑しながら答えた。


「いや、俺はただ目立ちたくないだけさ。」


しかし、その言葉とは裏腹に、彼の運命は確実に動き出していた。

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