第5話

 関東北部の春花うつくしい公園でのできごとである。

 一瞬混乱したと、ある女性はのちに供述している。

 等身大のプリティリリーが園内を闊歩していた。

 プリティリリーとは、述べ数十年、日曜の朝に放送を続けている児童向けアニメ番組のタイトルだ。

 アニメのキャラクターが実在するわけはない、当然それはアニメのキャラクターを模して造られた衣装を身に付けた人であり、頭部は強化プラスチックでできた面、人間離れした大きな目、金色の髪の毛、笑顔でかたまったままの表情。

 その日は平日であり、県が管理する公園でキャラクターショーを催す予定などはない。公園のホームページにも、公園自体のどこにも告知はなかった。

 天気のいい午後ということもあり、園内には子どもを連れて散歩に来ている母親も多かった。

 最初から不可解な印象は受けたのだと先述の女性は語っている。しかしながら、来年幼稚園に上がる娘が、毎週欠かさず見ているアニメの大好きなキャラクターが目の前にいる事実に食いつかないわけがない。母親であるその女性しても、幼いころからなじみのあるキャラクターであった。

 その動きとしぐさは、実にステレオタイプなもので、つまりはそれなりにかわいらしく見えた。

 キャラクターに近づきたがる娘の手を離していいものかどうか。

 気づけばプリティリリーだけでなく、イヌなのかキツネなのか動物を模したものまで姿を現した。動物たちは見たこともないキャラクターだったが、そのデザインは可愛らしくできている。あいそよく手を振り、おどけたしぐさを見せている。

 女性が戸惑っていると、ある幼児がしゃがみこんで手を広げるリリーのむなもとに飛び込んでいった。幼児はリリーの手に抱かれ満面の笑みを見せた。

 昼日中のこととて人出も多い。

 動物のキャラクターたちが、あまり耳になじみのない安っぽい音楽にあわせ決してうまくない踊りを踊る。それをサングラスにマスクの男が無言で撮影している。

 不穏感が肥大する。理屈や経験からくるものではない、直感だ。

 ここは公共の場。誰もが出入りできる県営の公園。誰もが出入りできるのなら、多少風変わりな趣味を持った人間がいてもかまわないのだろうが、子どもは無邪気だ。

 その外見に興味を惹かれ、あるいはその姿が自分の愛好する存在そのものであるなら、とりわけ幼児が駆け寄るのは当然といえる。近くで見たい触れたい、触れてほしい。抱きしめてほしい。しかし女性はそこに強い不安を覚えたのだ。

 二足歩行のイヌなどこの世に存在しない、いわんやプリティリリーが現実には存在しないことを大人である彼女は知っている。作られた装いのその奥に、外見とは似ても似つかぬ何者か、つまりは生身の人間が存在していることを知っているからだ。

 女性はもう一度園内を見まわした。やはりどこにも告知の看板はない。サプライズイベントなのだとしても、周囲にスタッフの存在があるはずだ。幼児とキャラクターがたわむれている様子を撮り続けている男はいるが、汗染みだらけのよれたTシャツに色褪せた量販店のジーパンといった姿から公園のスタッフではないと思われた。

 人を見た目で判断するのはよくないことだと親や教師からおそわってきた。ましてや昨今は価値観が大きく変わりつつある。多様性というものを受け容れることが大切とされる時代だ。

 誰がどのような恰好をしても、誰が誰を愛してもいい。

「ちがう」

 見た目で判断しようにも、もっとも重要な顔が見えないではないか。イベントや客寄せなどの商業目的以外で、顔を隠すその意味はなんだ。

 キャラクターになりきるため? 趣味でコスプレを楽しむのはいいが、その姿で他人と、それも分別のついていない幼子と触れ合うのはやはり異様ではないのか。

 ぞわりとした悪寒が脊髄を震わせた。

 プリティリリーや動物たちの愛らしい見た目から、勝手に衣装をまとっているのは女性だと思い込んでいたが、実際その正体はまるでわからない。

 親は子を守らなければならない。傲慢でも勘違いでも、なにか起こってからでは遅い。

 女性はなかばふんだくるようにプリティリリーに寄っていこうとする娘の体を抱きかかえた。娘はとうぜん抗議の声を上げたが構うものか。親の愛とは常にエゴだ。そのエゴが正しい方向に向かっているうちは、それは深い愛情として機能する。

 女児を抱えて愛想を振りまいているその手は、発育途上の胸をまさぐっていたようにも見えた。 愚図る娘を早口でなだめすかし、女性は公園をあとにした。家に戻り落ち着いたところで公園の管理事務所に確認してみたが、やはりキャラクターショーの予定はないとの返答。さらには、昨今コスプレ撮影と称して一部の好事家がアニメの登場人物などの格好をして公園内を闊歩している状況があり、公園側では特段そうしたものを禁止しているわけではないので強く注意することもないとのことだった。

「でもあの、たまたまなのかもしれませんが、その……女の子の胸を触っているようにも見えたんです。あの人たちはその、女性なんでしょうか?」

 応対に出た事務所の男性は電話の向こうで、そこまではわかりかねますと答えた。急に徒労感を覚えて女性は電話を切った。

 公園から帰ってきてから、娘はふてくされたままだ。


 私は身勝手な思い込みで娘に可哀そうなことをしてしまったのだろうか。


 閉園後、園外にある駐車場に停められた車数台に分乗したキャラクターたちは、車内で面を取り汗で失った水分を補った。皆小柄で細身であるが、リリーもイヌもキツネもその正体はみんな男だ。みな黙々と、公園での出来事をグループ専用SNSにあげていた。

 彼らは趣味でアニメキャラクターなどの扮装をしている。それは、変身願望や自己顕示欲の充足のため、そして、

『今日もいっぱい触れ合えた』

『親は邪魔だ偏見がある』

『もっとかわいいしぐさを勉強しよう』

『どの子も可愛かった』


『未発達の胸……ひかえめにいって最高』


 そして彼らは、常磐道を南下し各々の家に帰っていく。つまらない現実にもどるためだ。

 幼女との触れ合いは彼らの癒し。余人はそれを性癖と呼ぶ。内情を知れば嫌悪を覚える人間もいるだろう。だが、出入りが自由な公園で、禁止されていないコスプレをし、向こうから寄ってきた少女と触れ合っただけ。これは犯罪ではない。いや、彼らに罪の意識はないというべきか。

 車の一台が環状八号を流れていく。時折停車してはひとり降ろしふたり降ろし、最後にマンションの地下駐車場に入っていった。運転していたのは動画撮影をしていた、サングラスにマスク姿の男。名を漱木すすぎ

 嗽木は部屋に入ると明かりを点け、冷蔵庫の中から飲みかけのコーラを取り出した。

 都内の大手広告代理店に就職して十年。連日の残業、休日出勤、上司から受けるパワハラ、取引先からのカスハラ。満員電車。給料こそ同年代の中では高いほうだが、疲弊しきっていた。だからこそ今回、糞だの無能だの罵られながら有給を取得して、仲間内で趣味の日帰り旅行に出たのだ。

 会社を辞めたい。このところそればかり考えている。地元にもどり、貯金と失業保険で食いつなぎながら、あらたな仕事を探せばいい。

 パソコンを起ち上げ地元の就職情報を閲覧する。嗽木には運転免許以外これといった資格はない。体力にも自信がないから内勤を求める。パソコンスキルは高いほうだと自負しているが、それを活かせる職場は残念ながら見当たらなかった。

 事務職月給十七万。今の半分以下では話にならない。

 タクシー運転手、配送ドライバー、ガソリンスタンドスタッフ。よくて十九万。地元に戻ったとしても実家では暮らさない。趣味のせいだ。今日は撮影係であったから持ち出しはしなかったが、この部屋にあるウォークインクローゼットの中には、カラフルな衣装が大量に吊るされている。極彩色のワンピースやスカート、妙な飾りがついたブレザー。ずいぶんと世の中の価値観は変わってきているが、まだまだ大人の男が身に付けたなら忌避されよう。

 胸に詰め物をし、補正下着で腰をくびれさせ、頭の先から足の先まで一体化した肌色のタイツをまとう。そのうえからカラフルな衣装を身に付け、最後に面をかぶる。異性装の趣味はないと自認していたが、はじめてそれらすべてを身に付け、姿見で変身した自分の姿を確認したときは、ひどく興奮したのを憶えている。

 スマホに、今日撮影した動画を早くアップロードしろと催促が届く。

 手取りで最低三十万は欲しい。地方といえどワンルームの賃貸料は安くない。酒煙草はやらず、食費もそれほどかけてない。しかしながら地元は寒冷地、暖房費はそれなりにかかる。なによりこの趣味は金がかかる。やめる気は毛頭ない。嗽木の趣味は、自分の存在意義、人生そのものといってよかった。二十万に満たない給料ではどうにもならないのだ。

 結婚相手も子どももいらない。仮に結婚を考えるような女性に出会えたのだとしても、まずこの趣味に理解が得られるとは思えない。隠して隠しきれるとも思えない。そもそも成人した女性に興味がない。

 また催促の連絡。嗽木は苦笑して撮影に使ったデジカメをパソコンにつなぐと、仲間内で利用している有料のアップロードサイトに動画ファイルを上げた。

 地元でも同好の士は見つかるだろうか。この趣味はひとりではままならない。ひとりで家で楽しむ時期はとうに卒業している。外に出て女児と触れ合う、それこそが醍醐味だ。さすがに単独で外をうろつく度胸はない。

 転職にも帰郷にも不安しかない。しかし、今の仕事を続けていては遠からず嗽木は精神を病むだろう。今でも十分病んでいる、夜中に急に叫びだしたり、涙があふれてくることもある。仕事の朝はとにかく気が重い。東京で再就職をと考えたこともあったが、もはや東京暮らしにすら嫌悪を覚えていた。

 アップロード完了後、動画ファイルを見直した。プリティリリーに背後からいだかれ、へたくそなピースサインをする三歳ほどの幼女。

 向こうで仲間を得られなければ、今の撮影会に引き続き参加するしかあるまい。高速を使っての移動か新幹線か、そうなるとさらに金が要る。

 嗽木はため息を落とした。

 こんなにつらい思いをしているのだから、息抜きは必要だ。

 ああ仕事に行きたくない、幼女と触れ合いたい。

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