赤い人魚
@harutakaosamu
1
銀座駅で降りる。
制服のスカートを撫でる北風が湿っていて、気持ち悪い。
二月の夕暮れ空を見上げると、今にも雪が降りそうな墨黒い雲が重く広がっている。
都会の雪は嫌いだ、コートが汚れる。
京橋から日本橋の辺りには昔からギャラリーや美術店が数多くあり、ガイドマップや紹介サイトもある。
目的地は京橋より銀座寄り。
私のパパは日本画家。今回は名が売れる前から懇意にしてくださっているギャラリーでの個展。
パパの絵が売れる前に結婚したママ凄い。ホント尊敬する。
ギャラリーのガラス扉の横に赤い造花の花輪。パパのファンの方が毎回贈って下さる。これがないと始まった実感がない。
重いガラス扉を開ける。お祝いの生花の匂いが満ちている。
「あら
ギャラリーの
ギャラリーを見渡す。あと30分程で終了時間。仕事帰りに来たサラリーマンが熱心に鑑賞している。
もうほとんど赤札が付いている。日本画家としてはまだまだというパパだけど、こうやって目に見える形で認めてもらえるのは、娘としても嬉しい。
唯一の非売品の前に立つ。ギャラリーの一番奥を大きく占める。
何故かパパは毎回この絵を展示する。
題名「赤い人魚」。
赤く深い海。燃えるような深紅の瞳でこちらを見つめ、波打つ赤い髪に心を絡め取られる。細い肩。滑らかな曲体。すらりとした指。真紅の唇は少し開いて何を伝えるのか。
「
誰か来た。パパかと思って顔を向ける。
息を呑む。
赤い人魚。赤い人魚がそこに居た。
いや、若い赤い人魚の男性。男性だ。髪は短く目は黒く、細くて大きい。コートに手を入れて、すっと背筋を伸ばして身動ぎせずに立っている。微動だにせず立っている。長い二本の足で立っている。
赤い人魚の男性はぴくりとも動かずに人魚を見つめている。
く、と喉を鳴らしながら赤い人魚の男性がこっちを見た。
体が跳ね上がる。気付かれてた。足の爪先から頭のてっぺんまで一気に赤くなる。不躾にずっと横顔を見ていた自分が恥ずかしくて目眩がする。
「ーー気になる?」
人魚が喋った。
「は、や、あの、その、パパが、そのーー」
「ん」
「パパが画家で」
「んん?」
「パパです、
赤い人魚の男性は一瞬、奥歯を噛み締めて顎を引く表情を見せた後、
「君、娘さんなの、吉田篤子の?」
と輝く笑顔を向けた。
凄く、凄く恥ずかしい。認知してほしいがためにパパの名を利用した後ろめたさも重なる。
ああ、パパなんて幼い言い方しちゃった……。
赤い人魚の男性はひらりと手を振った。細長い指。嘘でしょ、爪の形まで一緒。
「じゃあまたね」
「はい……あ、や、あの、あのっ」
「ん?」
「パパ、や、と、ち、父にっ」
「んん?」
「父に、会いませんか?」
赤い人魚の男性はまた、奥歯を噛み締めて顎を引く表情を見せた後、
「……また今度ね」と答えた。
「また今度……」
あからさまな失望に、赤い人魚の男性は笑いながら、
「また来ます」
ぽんと肩を叩かれた。また項の毛が逆立つ。
「京子お帰り」
「あ、パパ」
仲介の画商さんとの商談が終わったらしい。
どのくらいぼんやりしていたのだろう。
「今日の夕飯どうするって、ママが。今日はもう商談無いから7時半にはギャラリー閉めれると思う」
時計を見ながらパパが唸る。
「パパ」
「うん」
「赤い人魚の息子さん、来てた」
「え」
「今日、赤い人魚の息子さんに会ったよ」
「来たの、本当に」
今すぐにでも追い掛けたい様子のパパ。
「いつ来たの、なんだ会いたかったなあ。」
「だって、また今度でいいって」
「また今度」
「また来ますって」
「……そうかあ、また来るか」
パパは懐かしそうに笑った。
「どっちに似てた?」
「赤い人魚そっくりだった」
パパの質問……どっちって?
パパが「赤い人魚」を見つめる。凄く優しい眼差しで。
「赤い人魚」には、誰にも触れることが出来ない水晶のような秘密がある。
赤い人魚の男性は、ガラス扉の向こう側からも手を降ってくれた。
「……ママに黙っとく?」
「どうしてそんなことを言うんだい?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます