第二部 一、累と二代目与右衛門 1

龍石りゅうせきと号する石あり大きさ三寸余破肌われはだわだかまれるりゅうのごときものあり<雲根志>  


一、累と二代目与右衛門          


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 ミヲはずっと気に掛けていたらしい。与右衛門の家のことならなんでも知っておこうとしていたようだ。

 スギにいい加減な見立てをした後ろめたさだけでなく、伽羅が言うように与右衛門に特別な感情を持っていたからなのかもしれない。

 けれどもその時の私はなんとも思わず、スギの話をただ興味を惹かれる物語として聞いていた。

 助は残念なことに殺されてしまったが、累には幸せになってもらいたいとも思っていた。だがミヲの話しぶりは深刻で、決して幸せにはならないことを示唆していた。

 累を生んだスギは正気をなくし、何度か鬼怒川へ入って死のうとした。乳飲み子を残して死なれてはたまらない、と与右衛門は女を雇ってスギを見張らせ、ついでに累の面倒も見させたのだった。

 与右衛門は田畑を持っている本百姓ではあったが、人を雇うほどの余裕はない。それでその金を捻出するために必死になって働いた。それと同時に金貸しもやって、次第に裕福になっていった。

 スギは、累が三つになるまではなんとか生きていた。だが次第に痩せ細り、ろくにものも食べられなくなって、ついには家の梁に縄を掛けて首をくくってしまった。

 スギを亡くしてから与右衛門は、ますます金に執着するようになった。金を稼ぐことでスギの死や、助の生まれ変わりではないかと思われる累の存在を忘れようとしているように、ミヲには見えたという。

 不作やさまざまな事情で決められた年貢が払えなかった場合、不足分を借金して払うということがよく行われた。その場合、土地を担保にして金を貸すのだが、期限までに返せなくてもほとんどの場合は土地を取り上げるようなことはしなかった。期限を延期する、借金を割り引きするなどして便宜を図るのが普通だったのである。土地を取り上げてしまえば、その農夫は村にいられず江戸に出て稼ぐことになる。そうなれば村の人口は減り、農村は荒廃してしまう。そうならないための方策だった。しかし与右衛門は容赦なく取り立て、土地も取り上げてしまう

 また、入会地いりあいちというのがある。それは村が所有している山林や原野を村掟の定めに従って、共同で利用するものだ。一般的には牛馬の飼料とするまぐさや屋根を葺くためのかやまきなどである。羽生村ではさらにしめじや椎茸がよく採れた。近隣の村だけでなく江戸の商人までも買付けに来るほどだった。

 その茸を与右衛門がこっそり採って売っていたらしい。

 ミヲはその現場を見ていたという。

「そういうことをやっているのは村中のモンが知っていたよ」

「どうして与右衛門を懲らしめなかったの?」

「名主と一緒になって始めたことだからさ」

「名主っていうのは、吉野の父親だよね。吉野が死んでしまってスギが後妻に入ったあとも深いつながりがあったんだね」

「そうなんだよ。自分の利益を守るために名主を共犯にしたんだろうね」

 どちらから言い出したのか知らないが、二人は共謀して入会地の茸を売り捌いて利益を得ていた。そんなことがあるので、与右衛門が村人に貸した金のかたに担保の土地を取り上げるのを、名主は黙認していたのである。

「与右衛門は憑きものが付いたように金を集め、田畑を増やしていった。小作人を雇い、村で一、二を争う長者になったんだ」

 それを聞いて、私は前にミヲが言っていた言葉を思い出した。

――男は狂い。女は死に絶える。

 与右衛門は金に狂い、スギは死んでしまった。ミヲの見立てはそういうことなのか、と私は納得した。だが、それはほんの序の口だったのだ。あとでそれを知って、累が若くして死んだのは、むしろ幸せだったと思ったほどだ。

 累は使用人たちにかしずかれ、なに不自由なく育った。傍目にはそうであったらしい。

 だが、私が思うに寂しい人生ではなかったかと思う。父親の頭の中は金のことばかりで、ほとんど累と顔を合わすこともなかったという。

 累は年頃になって美しく成長し、と言いたいところだが、実際は赤ん坊の頃そのままの醜い容貌だったそうだ。助の顔を知らないものがほとんどのはずなのに、だれもが「助に似ているやはりかさねだ」と陰口をたたいた。

 それにどういうわけか、累の歩き方は、助のように左右の足の長さが違うかのようなおかしな歩き方だった。

 三十を過ぎても累には婿の来てはなかった。累もまた助のように非常に頭が良かったので、父の仕事を手伝い、金貸しの帳簿を付けたり小作人から小作料を搾り取るなどの仕事に手腕を発揮した。累もまた金の亡者だったのだ。

 累の父、与右衛門は五十五歳で死んだ。天寿を全うしたとも働き過ぎだとも言われた。 累は父親のやり方を踏襲した。自分の土地を増やし小作人に耕作させ、さらに小作料も厳しく取り立てるので、累もまたますます裕福になっていった。

 与右衛門を内心で快く思っていなかった村人たちの憎しみは、累へ向けられた。醜い容貌と、親に愛されなかったためか屈折した性格のために、累と親しくしようとする者はいなかった。

「累はひとりぼっちになってしまったんだね」

 三十を過ぎていれば一人で生きることなど、どうということもないのだが、その頃の私はまるで自分がひとりぼっちになってしまったかのように心細く、累に同情した。

 私がもっと小さな頃はミヲが死んでしまったらどうしよう、と一人になることを恐れ、それこそ悪夢を見るほど心配したものだった。

 しかし累に関しては、それほど心配することはなかった。ずっと孤独だった累にも、ようやく友だちができたのだ。累のたった一人の友だち。それは伽羅だった。

 それを語る時、ミヲはひどく不機嫌になった。

「なにもあんな女と仲良くすることはないんだよ」

 伽羅はいつものように眠たげな顔で針仕事をしていた。

 ちらりと伽羅のほうを見たミヲは、まるで伽羅に聞かせるかのように、「あの累というやつは根性の悪い女なんだよ」と言った。

性根しょうねが腐っているんだよ」

「お婆はどうしてそう思うの?」

 友だちだったというのに、伽羅は顔色も変えず累を擁護することもない。本当に友だちだったのだろうか、と私は思ったものだ。

「とにかくあいつは金に汚いんだよ」

 伽羅がふっと息を吐いた。笑ったのだろう。

「おっかさんもよくそう言われますよね」

 伽羅は自分の手元から目を離さずに言った。

「お黙り。わしは正当な対価を求めているだけさ。だけどあの女は金を持っているくせに値切るんだ。ただの吝嗇けちさ。一緒にするな」

 そして累がここに薬を買いに来た時の話をした。与右衛門が胸が苦しいと言っている、と累はふて腐れたように言った。

「それじゃあ、どんな具合かちょっと見てみようか」

 ミヲが腰を浮かすと、累はやはり不機嫌そうに言った。

「いや、どうせ気のせいなんだから、適当な安いやつでいいよ」

「あんたね、親が苦しんでるっていうのになんだよ。心配じゃないのかよ」

「おとっつぁんは、もう年だから」

 累はぷいと横を向いた。

「年だからってなんだよ。少しでも長生きしてほしいと思うものだろうよ。普通は」

 すると累は、キッとミヲを睨み付けた。

「普通? どうせあたしは普通じゃないさ。親にも嫌われるんだからね」

 ミヲは可哀想に思ったが、一方で累の見た目だけでなく歪んだ性格もみなに嫌われる原因なのだと言ってやったという。

「心が綺麗なら見た目なんて関係ないんだよ。おまえさんは心を磨いてこなかったんだ。自分を嫌う人を憎むより心を正して清らかに生きる道を選ぶんだな。その第一歩が親孝行だ」

 さすがに累の心に刺さったようで、唇を噛んで視線を落とした。

 累をやり込めたことで調子に乗ったミヲは、なおも言葉を続けた。

「女は愛嬌、って言うじゃないか。おまえさんは顔がまずい分、だれよりも愛想良くしなきゃならないのに往来で人に会っても挨拶一つしない。嫌われて当然なんだよ」

 そこでミヲはついせせら笑ってしまったという。

 累の目が怒りに燃えた。

「だれがおまえのとこの薬なんか使うものか」

 そう叫ぶなり竈の上にあった鍋を摑むと、中身をミヲの頭にぶちまけた。ミヲの頭の上に大根の菜が載っている。累はそこへからになった鍋を投げつけた。だがミヲはすんでの所でかわした。鍋が音を立てて部屋の中を転がる。

「カワラヨモギでも煎じて飲ませるさ。まじない婆の薬なんかより、よっぽど効くだろうさ」

 憎々しげに言って累は出て行った。

「まったく累ほど根性の曲がったやつはいないよ。それから十日ほどして、しゃあしゃあとやって来たんだ。与右衛門の具合が悪いから来てくれってさ」

「それでお婆は行ったの?」

「ああ、行ってやったよ。あたしは心が広いからな。累のことは許しはしないけど、与右衛門は気の毒じゃないか。行ってみたら、もう……」

 与右衛門は死にかけていたという。

「十日前にわしを連れて来ていれば、なんとかなったかもしれないのに、って言ってやったら、さすがに涙をこぼしていたよ。ずいぶん苦しんでいたんで麻の葉の汁を飲ませてやった。それから半日で与右衛門はあの世に行ったよ」

 その時のことを思い出すように、ミヲは少し言葉を切って唇を引き結んだ。

「わしは悔やみを言って、麻の葉の薬代を請求した。そうしたら、なんてほざいたと思う。高い、だとさ。父親が目の前で死んだってのに、薬代が高いと言いやがった。半分にしろだとさ」

 父親が死んだばかりの累に薬代を請求するミヲもどうかと思うが、値切る累も累だ。

 そう思ったのは、私が大人になってこの話を思い出した時だ。累には与右衛門から相続した田畑や家や、ため込んだ金があるのがミヲにはねたましかったのだろう。

 与右衛門が死んでも累は特に肩を落とすでもなく、これまでどおりの生活を続けていたらしい。

 一人になった累を気の毒がって、困ったことがあれば手を差し伸べてやろうと思っていた人もいたらしいが、依然として憎まれ口を叩く累に、そんな気持ちもなくなってしまったようだ。

 村でただ一人、累に親切にしていたのは伽羅だった。その頃、累は三十二、三。伽羅はもうすぐ二十歳という二人だった。年は離れているが伽羅が祭りに連れ出したり、一緒に旅役者の芝居を見に行ったりしていた。

 不思議な組み合わせだ、と村人たちは噂していたらしい。

 みんなから嫌われているうえに、一人ぼっちになってしまった累を気の毒に思って、伽羅は仲良くしていたのだろう。まったく伽羅らしいと私は思った。

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