第8話
「はぅ…」目の前に広がる光景に思わず息をのむ。
木目のフローリングの代わりに、サラサラとした白い砂が床一面を覆い、足を踏み入れると柔らかく沈み込む感触が心地よい。
天井から吊るされた小さなライトが太陽のように部屋全体を温かく照らし、砂の粒がキラキラと反射していた。
まるで海辺を切り取ってそのまま室内に持ち込んだかのような光景だ。
壁際に置かれたソファの足元にも砂が淡く積もり、歩くたびにサラサラと心地よい音を立てる。足裏に触れる砂のひんやりとした感触が、まるで本物の浜辺に立っているかのような錯覚を与える。
部屋の奥には大きな観葉植物が置かれ、それがまるで南国のヤシの木のような存在感を放っていた。
隅には小さな流木や貝殻がさりげなく散りばめられ、砂浜の風景をよりリアルに演出している。
部屋の中央では、透明な水が砂浜に触れては引いていく様子が見える。壁には巨大なスクリーンが設置され、そこにはエメラルドグリーンの海と青い空が映し出されていた。
部屋全体にほのかな海の香りすら漂っているような気さえする。
都会の喧騒から切り離されたこの空間は、まるでどこまでも続く穏やかな海辺へと続く秘密の場所のようだった。
「っ…やるじゃん…シーロード…」
なんとか言葉を捻り出す。
んーそれにしても美しい。外の世界のことなんて忘れてしまいそうだ。
…でも、
これほどまでに心動かされるのはなぜだろう。
たしかにこの街に海はないけど、さすがに私も海に遊びに行ったことくらいある。なんだったら昔、家族旅行でハワイにだって行ったこともあるのに。
なのにこの人工の海はそれらのどれよりも圧倒的に輝いて見える。
うーん、なんでだろ。
私の思考を表すかのように、澄んだ水は浅瀬でゆらゆらと…
え?ゆらゆらと?
この世界の時は止まってるはずなのに?
脳内が砂浜のような白に埋めつくされる。
「る、ルイ…これって…」
振り返るとそこには、「ま、そうなるよな」と言わんばかりの表情のルイ。
その余裕さに安心してしまうようで、腹が立つようで、やっぱりほっとしている自分がいた。
外の世界のことなんて忘れてしまいそう?
それはそうだ。
この空間には、今や異常となった普通があふれてるんだから。
少し視界がぼやけている。
…
「俺も最初これを見たとき、同じような反応しちゃったよ」
「急に来るのはずるいよなー。しかもこんな胡散臭い城の中で」
そんなルイの話に黙ってうなづくことしかできない。
「で、そろそろ落ち着いた?」
その声でようやく口を開くことを許されたような気がした。
「なんで、ここ、水が…」
ルイはうんうんと軽くうなづくと、
「いやー俺も全然わかんねーだわ。ほんとなんでなんだろな」
まったく曖昧な回答を寄越してきた。
…
「ちょっとどういうこと!?なんかそれっぽい理由もないの!?っていうか最上階が海!なんで!?なーんーでわけわかんないとこにお金かけてんのー…それなら看板のネオンなんとかしようよ…」
勢い余ってホテルの経営戦略にまで言及している。
「そんなこと言われても、俺はただ偶然見つけただけだからな。ほらあれだ、マッチって使えてもその仕組みを理解して作ることはできないだろ?…うん…そういうことにしといてくれませんか…」
ルイはいい例えだとばかりに自慢げに取り出したマッチを、途中で自信を失ったのかすごすごとポケットに収めながら言った。
おい、そのマッチ”Sea Road”って書いてあったな?このホテル、この時代にアメニティにマッチ置いてるの?この種のホテルでもそんなのが当たり前なわけないし、経営者さん、ロマン追いすぎでは?
…
「それはそうと、使えるものは使っていきましょう!そういうことだ」
仕切り直すように「ぱん」と手を叩くルイ。
「まだ陽菜は直接見てないかもだけど、この世界では当然水も動いてない。シャワー捻ってもなにも出てこないし、たぶん川も海もそのまま止まってるだろうな」
「なんで川とか海もってわかるの?」
「公園の噴水の水も空中で止まってたんだよ。止まってるのが生き物だけじゃない。だから時間が止まってるって余計に感じるんだと思うぜ?食べ物とかここみたいな例外もあるみたいだけどな」
「触ったら元の水に戻るとか…」
「当然試したよ。結果はダメ。なんか冷たくない氷って感じだったな」
ルイは両手で×をしながら言った。
「でも、これでここを拠点に選んだ理由わかっただろ?このフロアにいれば心も休まるし、何よりここ以外で身体を水で流せる場所がない。ここの水、温水になってて気持ちいいしな」
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こうして今の私は、ルイに寝込みを襲われながらも?ここを拠点とすることに賛同せざるを得ないのだ。
回想を終えつつ、最後にルイのひとことを思い出す。
「休養以外にも、この世界には時間停止に逆らうものがいくつか存在するって事実がなにより大切だ。この水見てから、止まってないのが俺だけじゃないって探してたら陽菜を見つけたわけだしな」
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