第6話 諦めと決意

七海は、春樹に育児の弱音を吐かないと心に誓った。



弱音や愚痴に聞こえるようなことは言わず、海斗の成長や出来るようになったことなどいい面だけを話すようになった。泣きたくなる時があっても仮面を被るように無理をして明るく振る舞うようになった。



「今日、海斗が手をバタバタ動かしたよ」


「離乳食、なにこれ?って顔して最初は嫌がったけど完食できたよ。」



そんな文章と一緒に写真を送るようにした。



最初のうちは、返信までに時間がかかったが何日か送っていると海斗の様子を見るのが楽しみになったらしく昼休み中に返事が来ることも多くなった。


たまにスタンプや絵文字などが返ってくることもあり、出産前を思い出し画面を見て微笑んだ。



しかし、弱音を吐かないと決めても徹底は出来ず、たまに心が折れて愚痴を言うと以前のような冷たい言葉が返ってくる。



春樹にネガティブな話をすることは弱った心を余計に痛めつけるだけの自傷行為で、言うだけ無駄だと思うようになった。


そしていつしか、


(優しい言葉なんか返ってこない。悲しくなるだけなのが分かっているのに春くんに言った私が悪い)


と愚痴や弱音は吐いた時は自分を責めた。



悲しくなった時は、夜中や昼間の春樹がいない場で部屋の隅でひとり丸まって泣いた。



誰にも見られない場所でひっそりと涙することは孤独だった。どうしたら育児を楽しめるのか、そしてこの孤独を分かり合えたり、回復する心の拠り所がないことにより一層落ち込んだ。



子どもの親は二人のはずなのに、一人で戦っている気分だった。春樹のことを協力して助け合う仲間ではなく、傷ついたときにとどめを刺してくる敵だと思った。




そんな孤独をよそに、以前のように文句や泣き言を言わなくなった七海を見て春樹は少しだけ以前のような優しさを取り戻してきた。



半年もすると海斗の夜泣きも減り少しずつ動きだしたり声を出すようになった。海斗のことを今まで以上に可愛がり、以前よりも泣いている時でも向き合う時間が増えていった。



ある休みの日に「少しは母親らしくなってきたね。この調子で頼むな」と春樹は微笑みながら言った。



評価されているような気分で心からは喜べなかったが、七海に対し久しぶりに春樹が笑った顔を見せてくれたので驚いた。



(私が母親としての役目を果たせば、以前のような思いやりのある優しい春樹に戻ってくれるかもしれない……。だから弱音は言わない、母親として認めてもらえるように頑張る。春樹には頼らない、甘えない。)

そう強く心に誓った。



春樹に頼ること、辛いときに辛いと伝えるのをやめること。悲しいことではあったが、その後のことを考えると言わない方が賢明だと学んだ。それは一種の諦めなのかもしれない。



しかし、諦めがついたことで七海は少し気持ちが楽になった。辛いことがあっても以前のようにより深くまで落とされることはない。



春樹からの言葉の傷が癒えなくて1週間は部屋にこもり泣いていることが多かった。



悲しい、つらいのは、育児ではなくて春樹の心無い言葉だった。育児の悩みよりも、悲しいときに冷たい言葉で返される方がダメージが大きい。



その原因が分かったことで育児の問題だけに向き合えるようになり、落ち込む頻度も減り徐々に児童館や公園など外出も楽しめるようになっていった。



ママ友という関係まではいかなくとも顔見知りの人が出来たり、初対面でも少し会話をするようになった。今までは一人孤独だった七海にとって気分転換になっていた。



仕事の復帰もあるので、入園情報についても事前に調べ保育園のリサーチや見学に足を運んだ。役所への書類の手続き見学の申し込みなどすべて一人で行った。提出書類に両親の就労証明が必要だったため、その時初めて春樹に入園のことを話した。



以前から職場復帰する予定だと話をしていたのですんなりと話は進んだ。



「やっておいてくれたんだね、助かるよ。」珍しく感謝の言葉を口にしたので、保育園が数か所あり迷っていることを相談すると、



「七海の好きにしていいよ。送迎や急なお迎えは七海がすることになるんだし通いやすさや時間で選べばいいんじゃないかな」

と端から自分には無関係の態度だった。



「…あなたは送迎をやる気がないのね」

ぽつりと口を滑らせた。



「別にやる気がないわけじゃないよ。ただ毎日は難しいと思うから基本的には七海がやる気持ちでいてほしいってことだよ。出来る時は手伝うから」

春樹はまずいと思ったのかこの日は控えめに訂正した。



そして、予想はしていたが「出来る時」と言うのは海斗が卒園するまでに両手で数えるほどの回数しかなかった。



(私は母親だから………母親だから子どものことを優先する。他に見てくれる人はいないのだから、私がやるしかない。)

七海は自分自身に喝を入れた。



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