危機一髪

「以前にも話したが、こと経済学において――」


 相変わらずちんぷんかんぷんの授業だが、以前と比べて心構えが変わったからか、内容を理解しようと集中出来ている。


「……………」


 それと言うのも、やはり隣に座る有栖の存在は大きい。

 もはや完全に絆されたのかと言われたら頷いてしまうが、彼女と接していたらこうならないわけがない。

 自分のことを話し、真の意味で有栖は唯一無二の理解者になった。

 俺の事情を知ってくれている人が居る……その事実が、どれだけ俺の助けになっていることか。


「十六夜君」

「っ!?」

「そんなに私の授業はつまらないか?」

「……いえ」


 っと、有栖の方を見てボーッとしていたせいで注意された。

 ちなみにどうも今の俺……つまり彰人は他の生徒だけではなく、一部の教師にも漏れなく嫌われているので、俺は自らあの教師に攻撃をさせるネタを提供してしまったわけだ。


「君がそのような姿を見せては、西条様の品格を落とすことに繋がると肝に命じるべきだろう」


 そして、これみよがしに有栖のことまで話題に出す。

 ……ふぅ、気持ち新たに頑張ろうという矢先だがどこまでも前途は多難なようだ。

 ああいう人間には特に反論したりせず、ただ頷いていれば良い。

 そう思っていたが、俺ではなく有栖が口を開いた。


「先生、少しよろしいでしょうか」

「む……? あ、あぁ……」


 スッと手を上げた有栖に、教師は怖気付きながらも頷いた。


「授業中に彼がボーッとしていたこと、それ自体は悪いでしょう。婚約者として、しっかりと注意をしておきます。しかしながら、そこまで目の敵にするようなことでもないのでは?」

「し、しかし――」

「純粋な注意であれば、私はここまで言いません。しかし少しでも彼を貶めようという意図があるのであれば、彼の婚約者として苦言は呈させていただきます」


 有栖がそこまで言うと、教師は悔しそうに唸った。

 別に俺自身そこまで気にしていなかったが、有栖にそこまで言わせてしまったのが逆に申し訳ないというか……そう思っていた俺だけど、続いた言葉でその気持ちもなくなった。


「それと、私は婚約者である彼を大事にしたいと考えています。なので廊下などですれ違う際に、プライベートのお誘いは遠慮いただけると助かります」


 ……へぇ、この教師……そんなことしてたのか。

 確かに漫画の中でも有栖が生徒以外にも教師から誘われたりするシーンはいくつかあったが、それは傍に彰人が居なかった状態……つまり婚約者が居なかった時だ。

 そこでちょうど授業は終わり、教師はすぐに教室を去った。

 去り際の悔しそうな表情と合わせ、恥を掻かされたことで真っ赤になった顔は少し……ざまあみろと思ってしまったが。


「すまないな有栖」

「良いのよ。むしろ釘を刺すにはとても良いタイミングだったわ」

「……まあでも、俺がボーッとしてたのがそもそもの原因だしな」

「そうね。それに関しては先生にも言ったように注意しておかないと」


 有栖は手を上げ、そのまま俺の頬を叩く……なんてことはなく、そっと触れた。


「これから気を付けること、良いわね?」

「お、おう……」

「ふふっ、まさか本当に叩くと思った? 私は決してそんなことはしないわよ?」

「そんなことは分かってるって!」


 ちなみにこれは教室でのやり取りということで、相変わらず多数の視線を受けているというのに、彼女は全く意に介した様子もなくクスクスと微笑むだけだ。


(……有栖がずっと優しすぎる……怖いくらいに優しすぎる)


 怖い……怖いってのは言葉の綾で、一種の裏返しみたいなものである。

 熱くなった頬を誤魔化すために立ち上がり、有栖に一声かけてからトイレへと向かう。


(いやぁ……平和だなぁ)


 有栖のおかげで気持ちが落ち着いたからか、本当にそう思う。

 もはや当てにならない原作知識……当てにならないからこそ、深く考えなくて良いのもあるかもしれない。

 ソフィアとフィリアの身に迫っていた原作以前の危機は、他は特になかったはずなので、何もしないことに気持ち悪さを感じなくて済む。


「ふぅ……」


 トイレを済ませ、教室に戻ろうとした時だった。


「彰人君」

「うん?」


 聞き覚えのある声に振り返った。

 その場に居たのはフィリア……のはずだが、彼女の纏う雰囲気がソフィアを思わせてならない。

 ……いや、フィリアだ。

 目の前の女の子は間違いなくフィリアのはず……それなのに、まるでフィリアがソフィアを演じているような感覚がある。


「一人だと分からない? 私、ソフィアだよ」

「……あ~うん、ソフィアさんか。ありがとう教えてくれて」


 いや……絶対にフィリアだこの子。

 いまだにどうして見分けが付くのか不明ではあるが、こうしてフィリアがソフィアを演じているということは、俺に対してカマをかけたことになるわけで……ふぅ、表情に出なくて良かった。


「あれからどう? フィリアから何か言われてない?」

「何かって?」

「ほら、運命の人がどうとか言ってたでしょ? フィリアって結構、彰人君のことを気に入ってるみたいだから……何かちょっかいでも出されてないかなって」


 これ……頭がこんがらがってきそうだ。

 取り敢えず目の前に居るのはソフィアを演じるフィリアだ……それなら間違えないように気を付けて答えていこう。


「流石にちょっかいは出してこないだろ。俺はこれでも婚約者が居るし、変に噂とか立てられたらお互いに困るだろうしな」

「それは……確かに。私たちの家や、有栖さんの家に喧嘩を売るような人は居ないだろうけど、確かにそれは困るね」

「だろ?」

「うん」


 そこでおやっと首を傾げた。

 今の言い方だとフィリアが運命の人だって気にしているのが俺って解釈にならないか……?

 もちろん俺の考えすぎかもしれないし、気に入ってもらえているのは別に嫌なことでもないからな……やっぱり考えすぎかもしれん。


「まだ休憩時間終わらないけど、時間は大丈夫?」

「大丈夫だけど」

「ありがとう。フィリアも居ないし、ちょうど良いね」


 一歩、二歩とフィリアは近付いた。


「あの日……私と彰人君は初めて話した」

「……そうだな」

「彰人君が居なかったら私たちは……ローラン家はどうなってたか分からないって今でも思ってる。だからありがとう彰人君」


 ……なるほど、そういうことか。

 フィリアの意図は理解した――フィリアが探している運命の人……それの候補が俺であり、ソフィアがあの日に会話した俺に対して探りを入れてるってことか。

 満面の笑みを浮かべ、心からお礼を口にするソフィアの演技を一切違和感なく見せているフィリアに、俺はポカンとした様子を演じながら言葉を返す。


「えっと……あの時の下らない会話がローラン家を助けたって……ソフィアさん大丈夫か?」

「……大丈夫。あの……えっと……そのぉ……」


 ……これ、否定された時のことを何も考えてなかったパターンだ。

 フィリアとソフィアのどちらもが見せることの無さそうなオドオドとした様子に、思わず笑いそうになったが堪える。


「あの出来事は、ローラン家にとっても大きなことだったんだろ? 俺としてもそちらの家に何もなかったことを良かったとは思うけど、決して礼を言われるようなことはしてないから……申し訳ないけど」


 そしてトドメに、目を伏せてやった。


「あ、あの……ごめんなさい」


 そしてついに、フィリアの方から折れた。

 やっぱり俺……役者の才能があるんじゃないかなと自画自賛しつつ、目を丸くする演技もちゃっかりやっておく。


「私、フィリアだから……ちょっと戯れというか、どういう反応をするかなって思ったの。本当にごめんなさい」

「あ……フィリアさんだったのか。驚いたけど、本当に見分けが付かないもんなんだな」

「ごめんなさい……」

「いや、別に謝るほどじゃないって」


 でもこれは、一旦何事も無かったと思って良いだろう。

 フィリアのスイッチを入れるのは見分けてしまった瞬間……ソフィアも同じだけど、ソフィアの方は出会いが出会いだっただけにスイッチが入るようなことはなかったみたいだし。


「あ~あ……割と良い線行ってると思ったんだけどな」

「何が?」

「こっちの話。ほんとにごめんね? でも短い時間とはいえ話が出来て楽しかった」


 そう言ってフィリアは教室へと戻って行った。

 だがフィリアの視点からでも俺が怪しいと思ったから、ああやってわざわざソフィアに成りすまして暴こうとしたわけで……もしも俺が馬鹿正直に喋っていたらどうなっていたんだろうか。


『やっぱりあなただったんだ……あぁ好き。あなたのことが好きで好きでたまらないの。婚約者は……どうでも良くはないけれど、略奪愛もまた美しいと思わない? 結局はどちらが強く愛されるか……強く愛されない方が負けなの。さあこれから私たちの鳥籠に行こう? あなたの心が私たちに染まるまで、ずっとずっと私たち姉妹があなたを愛するからね?』


 あまりにも想像しやすいフィリアの台詞が脳裏に浮かび、思わず背中が震えた。


「命拾い……したということで」


 ちなみに漫画だと本当に軟禁される下りとかあるから……本当に怖いんだよあの姉妹。

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