第7話 大和高田 天満神社(天満の夢告)

▢▢▢ 楠木のささやき ▢▢▢


 冷たい風が吹き抜ける冬の午後、明日香あすかは母に連れられて天満神社を訪れた。志望校の模試で思うような結果が出せず、彼女の心は沈んでいた。


 神社の境内に入ると、目の前には巨大な楠木くすのきがそびえ立っていた。幹は太く、枝葉は空に向かって広がり、その存在感は圧倒的だった。母が微笑みながら言う。


「この木に触れると、道真みちざね様が知恵をくださるんだって。昔からそう言い伝えられているのよ」


 半信半疑の明日香は、母の言葉に従って楠木に手を伸ばした。冷たく硬い木肌に触れた瞬間、彼女の視界が不思議な白い光に包まれた。風が吹き、どこからともなく白梅しらうめの花びらがひらりと舞い落ちる。その花びらは彼女の手に触れると、すっと消えてしまった。


「今のは何だったんだろう」


 明日香は楠木を見上げながら、胸の奥で何かが動き出すのを感じた。


▢▢▢ 夢告の出会い ▢▢▢


 その夜、明日香は不思議な夢を見た。夢の中、彼女は広々とした梅林に立っていた。満開の白梅が辺り一面に広がり、その香りが鼻をくすぐる。


 そこで彼女は、一人の男性と出会う。彼は高貴な装いを纏い、穏やかな微笑みを浮かべていた。明日香が歴史の教科書で見た菅原道真その人だった。


「君の迷い、そして恐れ。全て見えているよ」


 道真公の声はどこか懐かしく、優しい響きを持っていた。明日香は驚きながらも、その声に引き寄せられるように話を聞く。


「挑む心を忘れるな。失敗を恐れず、進むことが大切だ。知恵はその先にある」


 道真公の言葉が彼女の胸に深く響く。目覚めた明日香は、夢の中で聞いた言葉を反芻はんすうしながら、自分の中に小さな希望の灯が灯るのを感じた。


▢▢▢ 夢告の石と奇跡 ▢▢▢


 翌日、明日香は再び天満神社を訪れた。今度は一人で足を運び、境内の片隅にある「夢告むこくの石」に引き寄せられるように歩み寄った。


 「夢で見た場所と同じだ……」


 彼女は静かに石に手を触れ、目を閉じて祈った。


「どうか私に、もう一度挑む勇気をください」


 その晩、彼女は再び夢を見る。夢の中で彼女は試験問題に向き合っていた。不思議なことに、夢の中で解けた問題の記憶が現実にも鮮明に残っていた。特に苦手だった公式や解き方が、頭の中に鮮やかに浮かび上がる。


▢▢▢ 白梅の祝福 ▢▢▢


 試験当日、明日香は驚くほど冷静だった。夢で覚えた知識は完璧に役立ち、試験が終わる頃には不安よりも満足感が胸を満たしていた。


 結果発表の日、彼女は無事に志望校に合格した。春の訪れを告げる頃、再び天満神社を訪れた明日香は、満開の白梅の下で深く感謝の祈りを捧げた。


「道真公、ありがとうございました。これからも頑張ります」


 その時、一本の白梅の花びらが風に乗って舞い降り、彼女の肩にそっと触れる。明日香は微笑みながらその花びらを見つめた。


 楠木の葉がさやさやと揺れ、どこか遠くから聞こえるような声が、彼女の胸に温かな灯をともすようだった。


終わり


▢▢▢ エピローグ:史実とフィクションの解説 ▢▢▢


 本作は、菅原道真公をまつる天満神社に伝わるいくつかの言い伝えを基に構成されています。


 作中に登場する「楠木」「白梅」「夢告の石」は、大和高田天満神社や他の天満宮に伝わる逸話を参考にしたものです。実際に天満神社では、道真公の伝説にちなむ楠木や白梅が信仰の対象となっており、これらに触れることで知恵や力を授かると信じられています。


 また、道真公は平安時代の政治家であり学者としても名高く、その生涯は波乱に満ちていました。京から大宰府だざいふへ流された後、その無念が雷神として語り継がれたという逸話も有名です。本作では、こうした史実を背景にしつつ、現代の若者が道真公の知恵と導きを受け取る姿を描いています。


 フィクション部分では、主人公の明日香が夢の中で道真公と出会い、学業成就を果たすという物語を創作しました。特に「夢告の石」は、創作上のモチーフですが、古くから夢を通じて神仏の啓示を受けるという考え方に基づいています。


 天満神社を訪れる際は、こうした歴史や伝承を心に留めながら参拝することで、より深い感慨を得られるかもしれません。本作がその一助となれば幸いです。



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