49.戦いの時

 ――その時は、静かに始まった。

 事前に打ち合わせた通り、各誘導グループは担当する小神殿に向かっていた。

 小神殿には神官が常駐しているわけではなかったが、神殿の内部に地下道への入り口を設けるとなると、やはり神官に秘密裏に行うことはできなかった。

 アイリスの記憶が正しければ、小神殿に出入りする神官は約十五名程度。その全員にこの作戦を黙認してもらっていたのかは少し疑わしかったが、ダンテに聞いた話では神官の数は戦後大幅に減らされ、今は十名に満たないという。

 そして、元々地下道の存在は聖書に記されてあったこともあり、神官の協力は得やすかったという。

 この国を取り戻すことが、この国の宗教の教えに合致することなのだろうと……アイリスは考え始めていた。どこかで自身を納得させるように。


 アイリスたちが担当している小神殿は三箇所。街の北部で戦闘が始まるまで、そして主に首都の南側に位置する住宅エリアにアンデの兵士が来る前に避難を完了させたかった。

 ダンテたちの予想では、住宅エリアに被害が及ぶまでに主要な箇所と統治府を制圧、そしてダージャ・ランツの奪回を宣言したかった。

 奪回には、アンデ統治府の最高責任者を人質として確保したかった。

 そして、それをもってアンデ政府との交渉に入る。そこまでを素早く、被害を最小限に行いたかった。


 アイリスたちは、最初の小神殿に入った。

 ――懐かしい。それがアイリスの最初の印象だった。

 小神殿は焼け落ちたものもあったが、今訪れている場所は、自分が宗教省にいた頃から変わっていない場所であった。

 帰国してから、いくつかの小神殿は回っていたが、新しく建て直されたもの以外はそのどれもがとても懐かしかった。

 たった二年離れていただけであったが、独特の彫刻、ルージャを象った像、拝殿、その姿に毎日触れていたアイリスにとっては、長い年月離れていたように感じてならなかった。

 信仰心、というよりは愛着のように感じたが、人はそれを信仰心と呼ぶのであろうか。


 祈りの時に訪れた一般市民立ちはこれから戦闘が始まると知らされ。戸惑いや動揺が広がった。ユーラや事前に知らせていた神官が説明をし、その間にマリコフが地下への通路を開放した。もっと時間がかかることも予想されたが、みな思ったよりも混乱はなく、不安そうな顔をしながらも誘導に従った。

 アイリスも地下道自体は初めて目にした。小神殿の奥の拝殿のその裏に、扉はあった。入り口を開けると階段があり、中からはひんやりとした空気が昇ってきた。

「このランプで足元を照らして。焦らなくても大丈夫だから、一人ずつゆっくりと」

 ユーラは努めて冷静に誘導を始めた。

 こんなにもスムーズに進むのかと、少し驚いていたアイリスであったが、これはどこかで皆がいつか来るのではないかと予想していた未来であったのかもしれないと感じた。

 避難する人々の中に、赤ちゃんを抱いた母親の姿もあった。

「あなたの旦那さんは?」

 アイリスは思わず訊いてしまっていた。

 その女性は、不安そうな瞳でアイリスを見た。

「夫は、今頃戦闘に……」

 アイリスはハッとした。前回の戦争の時は、軍が戦ったのだ。もちろん、一般市民も巻き添えになっていたが、その数は少なかった。

 だが今回は、一般市民も多く参加している抵抗グループ。軍部で組織されているわけではない。

 自分がまだどこか緊張感が足りないと言われたようで、アイリスは少しずつ恐ろしくなった。

「少し急ぎましょう」

 ユーラの声に我に返る。地下道の中では別グループが誘導にあたっていた。それを確認して、引き継いだ三人は次の小神殿に向かった。

 こちらは中からすでに扉が開かれ、市民たちが地下に降りている最中であった。

 アイリスたちはその様子を確認して、次の場所へ向かおうとした。

 だが、中には杖をついて歩く女性もおり、マリコフはその女性をおぶって地下道に入っていくことになった。

「中にはちゃんと、担架や俺みたいにおぶっていく奴らも待機している。体力には自信のある採掘者がたくさん待っているから大丈夫だ」

 マリコフたちが所属するジルのグループは、自分たちが整備した地下道で避難誘導、または避難に時間がかかる者を補助しながら後方支援する手筈になっていた。

 その時、地響きのような音が聞こえた。

 砲弾の音だと、その場にいた者たちが凍りつくのが分かった。

 ダンテたちは街の北部側に隠している砲台を持ち出すと言っていた。そして、うまくいけば武器庫からアンデの砲台を持ち出すとも。

 音だけでは、どちらからどちらへ着弾しているのか全く分からなかったが、信じるしかなかった。

 二年前の首都が戦火に包まれた日のことが、嫌でも思い出される。

「さあ、みんな焦らずに。一歩ずつ確実に地下に降りて!」

 ユーラの力強い声に押されて、みな歩みを止めずに進んだ。

 その時だった。

「勝てるのか?」

 アイリスは自分の父親よりももっと年上、六十は過ぎているだろうその男の、深い色の眼光と言葉にたじろいだ。

「このまま首都を奪回できなかったら、わしらはどうなる?」

 その言葉に、周りの者たちの足が止まる。

「さあ、急いで」

 ユーラやその場にいた神官の声が再びその場にいた者の足を、一歩ずつ進める。

 だが、アイリスはその問いに答えることができずその場に立ちすくんだ。

 足を進めながらもこちらの様子を伺っている人々の気配、視線を感じる。

 男は、まだその場でじっとアイリスの返答を待っていた。

 その時、神官が穏やかな声で言った。

「この地下道も神が用意した道です。聖書にも記してあります」

 アイリスは少しホッとしたが、少し違和感を感じた。男は神官を見て、そのまま前に進もうとした。

 しかし、アイリスが地下に降りようとするその男を呼び止めた。時折響く砲弾の音に負けぬよう、強い声音で言葉を発した。

「負けたくない、取り返したい、と思っています。でもまだあなたに勝てると、そう約束はできない。……けれど、わたしたちはこの国で生きていくために、自分たちで動いて自らの生きる道を決めていく」

 男は、立ち止まってアイリスを見ていた。

「奪われる側になって、そして今度は奪う側になる。痛みは伴うけれど、奪われた自由を取り戻すために、再び戦う」

 アイリスは敢えてここで神の名を口にしなかった。

 なぜなら、これから戦うのは自分たちであるから。

 ――神を否定するわけではない。神はみなの結束力を強くしてくれる。信仰心が何かを強く守ることも事実だ。けれど……。

「父上にそっくりじゃの」

 強面だったその男は急に笑顔になった。笑うと目尻の皺が目立った。

「昔、働いていた頃にお世話になった。真ん中の娘が同じような仕事に就きそうだと言っておった。まさかこんな風になるとは思ってなかっただろうが……強い意志が見え隠れしとるのはよく似ておるな」


 男の思いがけない返答にアイリスは驚いたが、色々なところに父の面影があるのだ。

 ――お父様はここにいなくても、形がなくても、今この瞬間もわたしを支えてくれている……。

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