36.道

「アイリス……!」

 白衣を着たアイリスの姉、レイが駆け寄ってきた。

 強く抱きしめられたアイリスは、身動きできずにいたが、その心地良く力強い抱擁に涙が溢れた。

 しかし、レイは慌ててアイリスを離した。

「ごめんなさい。わたし、白衣のまま……」

「変わらず、感染症の研究を?」

「……あ、いえ。今は研究はしていないの。つい癖で」

 戦前レイは、感染症の研究に打ち込んでいた。研究室を出るときは必ず着替えをして細菌の付着には十分気をつけていたが、万が一のことを考えて、研究室や病院内では絶対に白衣のまま人に抱きついたりはしなかった。

「今は、ここで治療にあたってる」

 レイが働いているのは、様々な診療科目を有する、この街では大きな病院であった。

「首都の病院で働いていた多くの医者が、今は郊外の病院に移っているの。首都ではアンデの監視が強いから、働きにくさもあってね。わたしも医者としても研究者としても働けないし……」

 姉の暗い表情に、アイリスも辛くなった。

 病院の中を三人で歩いて、中庭に出た。

「アイリス……無事で本当に良かった」

 中庭の古い木のベンチに腰掛けたレイは、アイリスを見つめて、涙声になりながら言った。

「あの日、たくさんの人がこの国から消えたの……お父様も……」

 そこまで言ったレイを、今度はアイリスが強く抱きしめた。

「ダンテにその後の話などは聞いたわ。父の遺体のことも……」

 レイはそこで一気に涙を流し始めた。

「アイリス……あなたも失ったかと思っていた。無事と聞いて、わたしたちがどんなに心救われたか……」

 この二年は誰にとっても、長く苦しいものだったのだと感じずにはいられなかった。

「アイリス、実はお母様とリーシャが今日の夕刻にはこちらに着く予定なの」

「え!? 二人が……」

「ダンテがすぐにわたしに知らせをくれて、わたしがお母様とリーシャに伝えたの。コボッサからは馬車で半日もあれば着くわ。宿をとっているから、そこで待ってね」

 まだ喜びで信じられないといったアイリスを、レイはまた優しく抱きしめた。

「わたしの可愛い大切な妹。あなたを二度と見失わないわ」

 レイの言葉は強くて優しく、アイリスの心を包み込むようであった。

「レイ、この前の話だけど……」

 そばで二人を見守っていたダンテは二人の空気を壊すことに申し訳なさそうに、遠慮がちにレイに話しかけた。

「ええ、わかっているわ。日時が決まったら教えて」

 急に緊張した顔になったレイは、アイリスを見た。

「アイリスには?」

「話した。加わってくれる」

「そう。アイリス、聞いたのね。首都のこれからのこと……」

 アイリスには何の話をしているのか分かっていたし、姉が協力していることも知っていたから驚きはしなかったが、それでもあんなに研究一筋だった姉が、こういった政治的行為に加担していることにまだ違和感があった。

「どうしたの?」

「あ、お姉様がこういうことに協力するの……ちょっと意外で」

「みな、あの日を境に変わったと思う。国を失うってあんなに一瞬なんだって。その衝撃がずっと離れないの。多分、取り戻すまでずっと。……だから、わたしは戦うことに決めたの。もちろんわたしは銃や大砲を持って戦うわけではないけれど。わたしはわたしのやり方で」

 そう話すレイは、もう覚悟を決めた顔であった。

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