29.その先へ
「首都を中心にほぼ全土にわたって、アンデ政府の統治下に置かれてから教育なども全てアンデが主導しているの。ポリシアの教育はアンデ式に変えられたわ」
「教育が……」
国を形作っていく上で一番と言ってもいいほど重要な教育。未来を決めるものだ。
「けれど、それ以外では思ったより規制は緩い。もちろん新聞局など、報道は規制がかけられているけれど、アンデと同じように一定の自由は認められている。……ただ、女性の地位もアンデと同じように低くなってしまったわ」
ユーラの説明を聞きながら、アイリスたちは首都への道を急いだ。
馬車を拾うことができた四人は、首都のすぐそばの街道沿いの宿で二日目の夜を過ごした。
「ただ、ポリシア内の抵抗組織を警戒しているわりには、警察や統治軍の監視は緩い。あの戦争から二年近くが経ち、最北部の抵抗勢力以外は静かにしているから、そろそろ監視体制に緩みが出てきているのよ。いくら戦争に勝ったからといって、いつまでも併合した国の一挙手一投足を監視するのは、コストも人員も膨れ上がる。そして思った以上に、ポリシアの冬は厳しく長かった。鉱山を手に入れたアンデは私たちの資源を手に入れたけれど、それを自国や近隣諸国に輸出するまでの力がまだあまりないの。だから、そちらに人をとられがちなのね」
ユーラの説明は詳細で、この一年間離れていた祖国の状況の大体を把握することができた。
翌日、一行は無事首都へ入ることができた。石造の街並み。行き交う人々の様子。あの日と何も変わっていないように見えるのに、そこかしこにはアンデの旗が翻っていた。
そして、アンデの統治兵たちの姿も頻繁に見られた。
四人で行動してきたが、首都に入ったのち二人はそっと離れていった。そして、ユーラとアイリスだけになっていた。
「彼女たちは……?」
「人数が多ければ目立ってしまうから。大丈夫よ。彼女たちは訓練されているから」
アイリスは自分が捕虜としてここから連れて行かれた日を思い返していた。
それがこの地の最後だったから。また、再びここに戻れることは、あまり考えていなかった、というより考えないようにしていたのだ。希望を持てば辛さが増すだけだった。
――あの日、首都が陥落した日。
アイリスは地下神殿にいた。文化的にもこの国で価値があるとされている物を守らねば、そう思っていた。しかし、崇拝の対象は、敗戦国となり他国に統治されれば、破壊されるだろうと予想していた。
地下に潜り、どれくらいが経ったのだろう。いつしか地鳴りのように響いていた砲弾の音が止んでいた。
終わったのか――。誰もがそう感じ始めていたとき、地下への扉が開いた。そこに差し込むのは眩しい光で、朝が来ていたことを知った。
戦争は、首都への攻撃は、突如として始まり、突如として終わったのだ。
南部の国境を越えて、いくつかの街がアンデに攻撃されたと首都が報せを受けてからのアンデ軍の進軍は想像以上に速かった。迎え撃つ間もない程であったのだ。
アンデの兵士が地下神殿に入り込んできて、その場に居たものを全員中央に集めた。そして、避難させていた物を検分し始めた。
この国の宗教を信仰していない者には、きっと何も意味がない。古(いにしえ)から守られてきた遺産だ。
ポリシア人にとっては精神的な拠り所を感じる。だが、アンデの人間には何も感じないであろう。それが宗教というものなのだろう。
そして、この国は終わったのだという絶望感、自分の大切な人はもういないのではという恐ろしさ、その全てがアイリスに重くのしかかった。守るべきものは、もうどこにもない。
そんなアイリスが、目の前の出来事に急に感情をあらわにした。
それはこの神殿で一番上の役職の者が、アイリスの目の前でアンデの兵士に連れ去られていくのを目の当たりにした時であった。
その人はアイリスの父親の古くからの友人で、家族ぐるみの付き合いがあった。長く持病を患っており、長らく父親の近くで補佐官として働いていたが、持病の悪化に伴い数年前にこの神殿勤務となった。穏やかな人格者で、アイリスが入職した時から、たくさんお世話になっていたのだ。
どうしてあの時、あんなに感情的になったのか分からなかったが……それは恐らく首都陥落と同じくして戦闘に巻き込まれたか、こうして捕虜として連行されたであろう父が頭をよぎったのである。
連行される上司を見て、アイリスは咄嗟に自分を連行するよう申し出たのだ。
「わたしを連れて行ってください。彼は持病があるんです」
連行する兵士の足が止まる。その場で一番階級が上と見られる兵士が言った。
「女はいらん。ここで一番身分がある者を連れて行く」
戦闘中についたであろう赤黒い血痕のようなものを服につけたその兵士は答えた。
「このままわたしを」
そう言う上司の顔色はすでにかなり悪く、負傷した足を引きずるように歩いていた。
アイリスは躊躇わずに言葉を発した。
「この国では女性も男性も同じように働きます。同等の立場です。だから捕虜としてわたしが連行される道理はあるはずです!」
アイリスは真っ直ぐに兵士を見て言った。
アイリスの言葉は丁寧だったが、口調は鋭く、強かった。ルーカスと初めて対面した夜のように、強く冷たく、そして怒りに満ちていた。
「分かった。そうしよう」
兵士が冷たく言い放った。
こうしてアイリスが連行されたが、その後の噂では、結局その上司も捕虜にされたと聞いた。
収容所での話はどれが真実か分からず、時間が経てば経つほどアイリスの中で喜怒哀楽の感情が薄れ始めていた。
ただアンデが憎いという、その気持ちだけがアイリスを奮い立たせた。けれど、自分に何ができるわけでもない。このままいつまでここにいるのかも分からない。そんな毎日の中で、アイリスの心は荒んでいった。
政治の要職にいた者たちはほとんどが戦争中に亡くなったか、生き残ったものは収容所に収監されたのち、第三国に亡命を許された。もちろん植民地化された国を取り戻すために行動を起こされないよう、軟禁状態で監視付ではあったが。
アンデはポリシアを資源確保のために手に入れたかったのだ。
殺戮や無差別な虐殺をしたいわけではなかった。負の感情を無駄に煽ることもしたくなかったため、亡命などを認めたのだ。
そしてそれは捕虜の処遇にも表れていた。いずれはポリシア人たちを貴重な労働力と考えていた。そのため、それぞれ一定期間の収監の後は、労働力として放したのだ。
ただ、ポリシアほど国として底力がある国を併合し統治することは実際には困難を極めた。国民の教育レベルの高さは、反乱分子をあっという間に生み成長させた。
相対してアンデは戦闘能力には長けていたが、治世に関しては弱い部分が露見していた。
軍事中心の国アンデがポリシアを治めることで、少しずつひずみが生まれようとしていた。
ルーカスのように政治力に優れている若者もいたが、まだまだ軍の力と他国の資源搾取でやっていけると信じている中枢幹部たちが多くいた。
「わたしが送られた屋敷の主も、中枢での権力はあったようだけれど、軍部出身で頭脳派とはいえないようでした。自身の保身にだけ固執しているような、そんな人でした」
アイリスはユーラに、ルーカスの父のことを初めて話した。
「さすが。よく見ているわね。やはり……」
ユーラは何かを言いかけた。
「やはり、何……?」
尋ねかけたアイリスの前に、一人の男性が現れた。
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