24.その先へ

 アイリスは、遠い昔にも感じられる学生の頃に学んでいた『宗教と政治』の科目の教授の言葉を思い出していた。

 

「信仰は人を強くする。けれど、それだけしか見えなくなると、妄信になる。君たちは、それをどう使う?」

「そもそも妄信とはなんでしょう、教授」

 そう発言したのは、ダンテであった。

「君はなんだと思う?」

 教授は答えずに、訊き返した。

「僕は……信仰心の強さから妄信になることはないと思います。強い思いがそう呼ばれるのかもしれませんが。みな、どこかでは分かっている。現代では古代のような魔法やまじないの類は存在しないと分かっています。でも、宗教だけが存在し続けているのは、それが魔法のようなものではない。奇跡を起こすものではないと分かっているから。ただ、何かの拠り所が必要な時に、何かに自分の気持ちを訴えたいのだと思います……。そうして、自分の心が強く保たれることを願う」

 ダンテの発言は宗教を否定的に捉えているとも言えたが、反論意見は出なかった。


 ――宗教が奇跡や魔法ではないことを、わたしたちはみな知っているのだ。

 その日、なんとか峠を越えた四人は陽が落ちるギリギリでポリシアに入った。

「戻ってきた……」

 何もない、その場所に立って、アイリスはどんな気持ちになるだろうかと想像していた。ポリシアから連行されたあの日から、ここに戻ってくることはもう二度とないだろうと覚悟もした。けれど、どこかで戻ってこられるのではないかという期待も抱いていた。小さな小さな希望だった。

「あったわ」

 ユーラは地面に小さく打ってある杭を見つけた。

 これが、ポリシアに入ったという証らしかったが、雪が積もれば埋もれてしまいそうな頼りない杭であった。

 山越えを終えた辺りからは、ポリシア南部に広がる針葉樹林地帯が広がっていた。

 雪の国への入り口である。

 今の季節にはこの森林地帯に好んで入る者はいない。迷えば終わりであった。

 アンデの人間は寒さに弱く、この地帯にはあまり価値を見出していなかったため警備も手薄になっていた。

そのため、アンデから逃げて来たポリシアの者たちは、ここを通って故国に戻る者が多いようであった。

 しかし、確かなガイドがいなければ山越えとこの森林地帯を抜けることは困難を極めた。

 

 陽が完全に落ちて辺り一帯が暗闇に包まれる前に、四人はなんとか辿りついた小屋で夜を迎えた。

「疲れたでしょうから、今日は早めに休んで」

 そういうユーラは他の二人にも休むように伝えた。暖炉の火は煙を出すため、万が一でも誰かに見つかることを警戒し使うことを控え、ブランケットを着込んで眠りについた。隣で最後まで起きているユーラにアイリスが話しかけた。

 小屋は簡素であったが、ポリシア独特の寒さに強い造りで、外気を遮断させる機密性の高い小屋であった。それでも、何重にもブランケットをかけてなんとか眠りにつける程度であった。

「わたし一人のために三人もガイドを?」

「えっ?」

 アイリスの突然の問いに、ユーラが一瞬たじろいだ。

「彼女たちもポリシアに戻ることを願う、わたしと同じような状況の者たちと紹介されたけれど、違う気がするわ」

 硬い床の上に毛布を重ねた寝床に、アイリスは座り直した。

 蝋燭の灯りで地図を確認していたユーラが顔を上げる。

「あなたが何も言わなくても、彼女たちはわたしの後ろについた。あなたと彼女たちでまるでわたしを守るように。それに、とても山登り初心者とは思えない。慣れていない人は、最初はまだ足が軽く、歩くペースが自然と速くなる。経験者は、絶対に後半にしんどくなり大幅にペースダウンをすることを知っているから、最初からハイペースになることはない。彼女たちは、必ずわたしの後ろについて、ペースを一定に保って歩いてきた。弱音も吐かないし。どう見ても素人ではないわ。それぐらいわたしにも分かります」

 そう言って少し微笑んだアイリスにつられてユーラも笑った。

「そうね。別に隠す必要もなかったんだけど……。ダンテにあなたを必ず連れてくるよう言われていたから」

「それは聞いていましたけど。わたし一人の亡命のためにこんな大がかりに……。彼女たちも命懸けでしょう」

 横で寝息を立てている女性二人を見ながらアイリスは話し声をよりいっそう小さく

した。

「わたしの口からははっきりと伝えられないけれど……必ずあなたを生きて彼の元へ

連れて行くよう言われているわ」

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