サバトラ・コテツの帰還

@akihazuki71

第1話

 雪の降り積もった中を、サバトラの猫が早足に歩いていた。

 猫の名前はコテツ。老夫婦の待つ我が家への帰路にあった。あと少しで隣りの家のまるい飾り窓が見えて来るはずだ。

「あ、見えた!」

コテツは心の中でつぶやいた。

 いつ見ても大きな家だなと思いながら、視線をゆっくりと横へ動かした。まだ自分の家は見えなかったが、通りに面した生け垣の茂みは見えていた。

 少しホッとしたコテツは、不意に誰かに声をかけられた。

「もし、そこの猫さん。」

声のした方を見ると、少し溶けかかった雪だるまがいた。頭にかぶったニット帽は斜めに傾き、ミトンのついた木の枝は少し垂れ下がっていた。

「オイラに何か用か?」

コテツは警戒しながら答えた。

「突然すみません、見かけない猫さんでしたので・・・失礼ですが、この辺りに住んでいるのですか?」 

「ああ、すぐ近くだ。」

コテツは用心して答えたが、ニット帽の雪だるまは穏やかに言葉を続けた。

「そうでしたか、失礼しました。ワタシがここにこうしているようになったのは、まだ二日前のことでして・・・」

コテツはニット帽の雪だるまの方に体の向けた。

「オイラは用があって三日前の朝に出かけたんだ。まだ雪が降る前だ。」

「では、今、帰って来たところですか?」

「そうだ。」

「家はこの近くなのですよね?」

「あの大きな家の隣りがオイラの家だ。」

コテツが家の方に視線を向けてそう答えると、雪だるまは是非話しておかなければならないことがあると言った。

 それは、あの家の門柱の上にいたという小さな雪うさぎのことだった。雪だるまは親切心から雪うさぎの話をきいたが、そのせいで酷い目にあわされたらしい。

 今は門柱の上から移動しているが、まだあの家のどこかにはいるはずだから、もし雪うさぎに話しかけられても決して相手にしないように。と、何度も言われた。

 さらに、隣の家にいた赤いバケツの雪だるまと青いバケツの雪だるまも話に入って来て、話は次第に誇張されていくようだった。

 コテツには要領の得ない話だったが、雪だるま達の迫力に圧倒されてしまった。

「わかった、気を付けるよ。」

コテツはそう答えると雪だるま達に別れを告げ、再び帰路に着いた。


 コテツは雪うさぎがいるという大きな家の前まで来ると、歩みを止めて高い塀を見上げた。しばらく考えてから、やっぱり厄介なことには関わらない方がいいだろうと思った。

 だが、格子状の門扉から中をのぞくと、好奇心を抑えられなくなっていた。

 コテツはヒョイッと軽やかに塀の上に跳び上がった。そこから見渡せる場所には、雪うさぎの姿はなかった。そのまま塀の上をゆっくりと進み、まわり込むように隣家との境界をさらに進むと勝手口が見えてきた。コテツはその前に何かが置かれているのに気付いて歩みを止めた。それは何か丸い物の上に置かれた小さな雪の塊だった。

 コテツはしばらく眺めていたが、意を決して跳び降りた。辺りを警戒して近づいていき、そっと匂いを嗅いでみた。

「ちょっと、いきなり何するのよ。」

突然声がしたので、コテツは驚いて跳び退いた。

「失礼な猫ね、いきなりこんなことするなんて。」

雪うさぎは勝手口の方を向いていたので、コテツからはわからなかった。

「オイラにはただの雪の塊にしか見えなかったんだよっ。」

コテツは驚いたのを隠すために、強がって見せた。雪うさぎは黙っていたので、コテツはもう一度近づいて横から雪うさぎの顔を覗き込んだ。

「あら、このかわいい顔がそんなに気になるのかしら?」

「こんな所にいて、どんなみすぼらしい姿なのかと思ったんだよっ。」

「ますます失礼な猫ね、どこのノラネコかしら?」

「冗談じゃねぇ、オイラはれっきとした飼い猫だっ!」

「飼い猫ですって、今頃もうあなたのことなんて忘れられているわよ。」

「そんなわけあるかよっ、オイラは大事にされてんだよっ。」

「ふぅーん。」

雪うさぎは何か言いたげに言葉を濁した。コテツは無言のままその場を離れようとした。しかし、雪うさぎはそれに気づいてさらに言い放った。

「あら、逃げるのね。」

その一言にコテツは全身が熱くなるのを感じ、言葉を荒げた。

「なんだとっ。オイラはこの辺じゃあ名の知れたサバトラのコテツだ、逃げるわけねぇだろっ!」

雪うさぎは一瞬驚いたようだったが、すぐにこう言った。

「あなた、コテツっていうの。ヘンな名前ねぇ。」

「なにっ、じいちゃんがつけてくれたんだ、いい名前に決まってんだろっ!」

「そうなの。まあいいわ、逃げないならつきあってもらうわよ。」

雪うさぎは僅かに口元を歪めた。


 それから、どのくらいの時間が過ぎたのか。

 コテツがこの家にやって来た時、辺りはまだ明るかった。しかし今は薄暗くなり、風が吹き始めて寒くなってきた。

 雪うさぎは今朝、太陽の光を浴びて溶けそうだった所を、自分を作ってくれた末娘とその家族に助けられた。

 しかし一番目立っていた門柱の上から降ろされ、陽が当たらないという理由でこの薄暗い場所へ移された。きれいな花柄のお皿の上に載せてくれたり、何度か末娘が様子を見に来てくれたりはしたが、それ以外は誰にも相手にされず放って置かれ、すっかり腹を立てふてくされてしまった。

 そんな時に、コテツがやって来たのだった。

 雪うさぎは自分の置かれたそんな状況を、コテツに長々と話して聞かせた。それ以外にもまだ門柱の上にいた頃、自分がいかに多くの人から賞賛されていたかということを自慢げに話した。そして時々コテツが話を聞いているかどうか確かめるように、「コテツ、コテツ、聞いてるの?」と何度も声を掛けてきた。

 何度も何度も名前を呼ばれるので、コテツは自分が名付けられた時のことを思い出した。あの時も何度も、何度も、名前を呼ばれていた。

「でも、最初はじいちゃん、違う名前でオイラのことを呼んでたよな、あれはたしか・・・イシマツって。でも、ばあちゃんがその名前はダメだって言ったんだ。なんでかな?」

コテツは記憶をたぐり寄せるように思い出していた。老夫婦との楽しかった日々が、まるで遠い昔のことのように感じていた。

「コテツ!」

また名前を呼ばれたコテツは、ハッと我に返った。

 すると辺りは真っ暗になり、一段と寒くなってきた。それでも雪うさぎの話はまだ続いていた。コテツは自分はどうなってしまうのかと思い始めた。

「雪だるま達の忠告をちゃんと聞いていれば良かった。オイラはもう家には帰れないのかな・・・じいちゃん、ばあちゃん、会いたいよ・・・」

コテツは意識がぼんやりして来るのを引き戻そうと、何度も勢いよく体をブルッブルッと震わせた。


 そんな時、突然家の裏で女の子の叫び声が響いた。

 そのすぐ後に犬の吠える声が聞こえ、家の角から茶色い犬がこちらへ向かって駆けてくるのが見えた。

「今だっ!」

 コテツは地面を思いっきり蹴って駆け出すと、自分の家との境界にある塀へ跳び上がり、その勢いのまま着地した。そして、いつものように裏へまわった。

 家の中はすでに暗くなり静まり返っていた。

 コテツは明かりの消えた窓を何度もひっかきながら、大きな声で鳴き続けた。

「じいちゃーん、ばあちゃーん、おいらだよ。帰ってきたよ!」

 すると、明かりが点いてカーテンが引かれ、年配の男がこちらを覗いた。窓の外にコテツの姿を見つけると、急いで窓を開けた。

「じいちゃーん!」

コテツは無我夢中で目の前にいる年配の男の胸に飛び込んだ。


おわり

 

 

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