一、【曇天】その②

ただ美しいだけならばよかったものの、それに加えて、文碧は音楽の才、作詩の才にも恵まれ、勉学も器用にこなしたため、その寵愛はとどまるところを知らなかった。ただそんな生活が続くと、文家の家計は苦しくなり、母は寵愛に飢えた。


 そのために母は一計を企てた。以前、文碧が風邪薬を飲んで肌が赤く腫れた事があり、その日文宝は文碧を寵愛することはなかった。それを見計らって、我が子が高熱を出し、肌が赤く腫れる薬を、文碧の母は、一回だけ、もう一回だけと、飲ませ続けた。そのうちに段々とその効き目は薄くなっていき、母は黄医師に頼んで強い薬を処方してもらうことになった。


 もう一度だけ、それで子宝に恵まれれば……そう思っていた文碧ぶんへきの母だが、その真っ黒な薬を飲んだ日から、文碧ぶんへきの肌は焼けるようにただれはじめ、顔からは黄色い汁が出はじめた。文碧のまぶたは重く腫れ上がり、唇はひび割れ、醜い痕が体全体に残った。こうなると文宝は文碧への寵愛をやめ、また新しい子供をと、求めて文碧の母と契りを交わし、そうして生まれたのが文淑ぶんしゅくであった。


 


 ✿✿✿


 


 昔の記憶をたどりながら、文碧は椀の中を見つめた。日暮れ時のほのかに明るい空の色が光となって室の中に注ぎ込み、椀の中の水は茜色に染められていく。静謐な室内にある弦の張り詰めた古琴や、雄大な松の書かれた水墨画、牡丹亭ぼたんていの書もまた、同じように一色に染まるなか、部屋の奥側の一面書架になっている壁だけが黒く静まりかえって、夜の訪れを密かに告げていた。


 もう日暮れ頃だというのに、灯りもついていない質素な蝋台をみて、文碧は椀を置き気だるげに立ち上がった。


 


 侍女さえ、灯りをつけに来ない子の孤独な庵。いつもなら寝台のそばの蝋台にだけ火をつけるのだが、昨日文飛の室に行った際に、少し厄介な約束事を文碧はしてしまった。冗談半分に聞き流してはいたが、文飛の言うことが本当ならば、室を明るくしておかねばなるまい。と、そう思った矢先、ばたん、と勢いよく扉がひらかれた。


「大旦那様!霖雨りんうだよ!とってもいいお天気」


 活発な少女の声とともに、外の涼しい風と、雨の音が一気に室に流れてきて。文碧は面食らった表情をした。すぐにいつもの落ち着いた表情に戻り、にこやかに微笑みかけてみせるが、間を置かず、霖鵜りんうの金切り声が庵に響きなった


「きゃーッ!血!頭から血が!」

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