一、【曇天】その①

一、【曇天(どんてん)】


 


 室の中は薄暗く、目の前には、器になみなみと注がれた薬が入っていた。 


「ほんのすこしの間だけだよ。だから早く、ね。母さんを助けておくれよ」


 見上げれば今にも泣きそうな母の姿が見え、小さな手でその器を持ちあげ口元まで持ってきた。


「まあ、なんて賢い子だよ。まだ七つだって言うのに」 


 その真っ黒な薬に、子供の顔が映り込む、異国人のような珍しい瞳の色、絹のように滑らかな肌。小さく艶のある鼻、まるで子猫のように愛らしい目元。南華なんか翠玉すいぎょくと父に賛美されただけはある、見るもの皆引き込んでしまいそうな、この世にあることを呪われても仕方のないと誰もが言うような、美しい姿だった。


「早くお飲み」


 そう、急かす母の声。ゆっくりと器を傾けると、薬湯の臭いが鼻をついた。一口飲むと口の中がしびれ、体の内側から燃えるような痛みが全身を走っていった。


 薬を取り落として倒れ込むと、こぼれた薬の水面に逆しまにろうそくが映りこみ、今度は薬の中に真っ黒な纏足靴が映り込んだ。その靴は小さく痙攣しながら力なく揺れ、そのうちぐったりと動かなくなる。


「母上……」


 と小さな声でいうと、今度は顔中に吹き出物ができた背の高い男が薬の中に映り込んだ。その顔貌は恐ろしく、体はだんだん熱を持って動かなくなった。


 沈んでいく、沈んでいく。


 何かに手を引かれ、溺れていく……溺れていく……


 


 息苦しさに、文碧ぶんへきはハッとして目を開けた。月に一度は見る悪夢に目を細め、額にかいている汗を袖で乱暴に拭うと、ささくれだった肌が、布に掠め取られてザラザラと音を立てて剥げ、鋭く痛んだ。重い体を起こし、水を飲もうと椀を手に取れば、水面に自分の顔が写って眉をひそめる。夢の中で見たのと同じ恐ろしいその顔は、生気のない目をしているが、不意に水面が揺れると、何処かへと消えていった。


 


 ✿✿✿


 


 文碧は生まれながらに醜い顔なわけではなかった。ただ文家でまれに現れるという珍しい目の色をしていたため、文宝は大変喜んで、その色から碧と名をつけた。文宝は文碧を大変に可愛がり、三歳頃になるとその目鼻立ちの整いと愛らしい表情から、ますます入れ込むようになった。ただその愛情は限度を知らず、母への寵愛は愚か、仕事にすら手を付けられなくなり、文碧が五歳ほどになる頃には、その体を撫で慈しむようになっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る