●エピローグ:『転生の協奏詩 -Reincarnation Concerto-』

 春の風が、桜の花びらを舞い上げていた。

 都内の理化学研究所、加速器科学研究棟の前で、高校生の彩空あやそら伊音いおんは立ち止まっていた。


「なんだろう、この既視感……」


 白衣を着た研究者たちが行き交う建物を見上げながら、伊音は胸の奥に広がる不思議な感覚に戸惑っていた。理系の進路を選んだのは、幼い頃から宇宙や素粒子の世界に漠然とした懐かしさを感じていたから。でも、その理由は自分でもよくわからない。


 施設見学に来たのは、進路を決める参考にするためだった。

 伊音は、これまでの人生で感じてきた不思議な感覚の正体を、ここで見つけられるような気がしていた。


「あ、すみません!」


 考え事をしながら歩いていた伊音は、角を曲がったところで誰かとぶつかりそうになった。


「ごめんなさい、私も前見てなくて……」


 相手も同じように慌てた様子で謝る。伊音は驚いて顔を上げた。


 そこには、自分と同年代くらいの少女が立っていた。

 赤みがかった茶色の髪を持ち、どこか儚げな雰囲気を漂わせる少女。

 星咲ほしさき陽詩亜よしゅあ。胸につけた名札にそう書かれていた。


 その瞬間、世界が一瞬、静止したような感覚が訪れた。


(この人……どこかで……?)


 見たことのない顔のはずなのに、魂が震えるような懐かしさが胸を打つ。相手の少女も、同じように戸惑ったような表情を浮かべていた。


「もしかして……あなたも見学に?」


 陽詩亜が、少し震える声で尋ねる。


「ええ。物理学に興味があって……」


「私も、同じです。特に、素粒子物理学に」


 二人は思わず微笑み合った。そこには、言葉では説明できない親近感があった。


「不思議ですね。初めて会ったはずなのに、ずっと知っていたような……」


 陽詩亜の言葉に、伊音は深く頷いた。確かに、その感覚は間違いない。まるで、魂が共鳴するかのような。


「私、子供の頃から変な夢を見るんです。真っ暗な空間で、誰かと手を繋いで踊っている夢」


 伊音は、これまで誰にも話さなかった秘密を、自然と打ち明けていた。すると、陽詩亜の瞳が大きく見開かれる。


「私も……同じ夢を! 暗い宇宙みたいな場所で、光の花が咲いて……」


 二人は言葉を失った。これは偶然とは思えない一致だった。


「もしかして……」


 伊音が言いかけると、突然、上空で稲妻が走った。

 春の晴天にもかかわらず、一瞬だけ紫色の閃光が天を貫く。


 その光を見た瞬間、二人の記憶が一気に蘇った。


 真空の海。

 光子から生まれた二つの存在。

 永遠の二重性を得て、そして……。


「ポジティア……?」


「イオン……?」


 かつての名前を、互いに呼び合う。

 それは魂の記憶。永遠の愛の証。


 伊音の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。


「やっと……見つけた」


「ええ。今度は、人間として」


 陽詩亜も、涙を浮かべながら微笑む。二人の指先が触れ合うと、微かな静電気のような温かな震えが走った。


 周囲を見回すと、桜の花びらが風に舞い、まるで光の粒子のように煌めいている。その光景は、かつて二人が真空の海で見た光の花を思わせた。


「今度は、一緒に物理学を学びましょう」


「ええ。そして、私たちが見た世界の謎を、解き明かすの」


 春の陽射しの中、二人は肩を寄せ合って歩き始めた。

 研究棟の上空では、桜の花びらが螺旋を描きながら舞い続けている。それは、永遠の二重性を持つ魂が、再び出会えたことを祝福するかのようだった。


 真空の海で誓った約束は、形を変えて実現された。

 二人の魂は、今度は人間として新たな物語を紡ぎ始める。


 春風に乗って、どこからともなく不思議な共鳴音が響いた。

 それは、量子の歌声。

 永遠の愛を讃える、宇宙からの祝福の調べ。


* * *


 その日から十年後。

 理化学研究所の若手研究者として、伊音と陽詩亜は新しい素粒子理論の研究に取り組んでいた。


「ねえ、これを見て」


 陽詩亜が、シミュレーション結果の画面を指さす。

 そこには、電子と陽電子が特殊な条件下で見せる、未知の共鳴現象のデータが映し出されている。


「この波形、まるであの時の……」


「ええ。私たちが見た、光の花」


 二人は満面の笑みを浮かべる。

 科学者として、かつての自分たちが体験した神秘を、今度は理論として解き明かそうとしていた。


 研究室の窓の外では、桜が舞っている。

 その花びらの軌道は、真空の海で二人が描いた軌跡と、不思議なほど似ていた。


 魂の記憶は、科学という新たな光となって、永遠に輝き続けていく――。


―― 終 ――



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【SF粒子百合短編小説】「量子の花言葉 -Quantum Florescence-」(9,594字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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