Round1 -森の住人-

 その林檎を囓ると、すぐに意識が遠のいた。


 目を覚ますと、そこには私がつい先程まで見ていたはずの瓦礫だらけの廃墟はなく、打って変わって、自然は生い茂り、活気ある街が広がっていた。

かつてのように黒い煙が立ち上り、建物が焼け焦げたり崩れたりして黒一色の、あまりにも散々たる光景ではない。

森林が緑を、小川が青を、建物が様々な色を醸し出す。まさに、かつてのベルリンのように、活気溢れ、美しい街そのものだった。

 私の手には、あの林檎が握られていた。

確かに、囓ったはずだった。

しかし、その林檎はどうも囓った跡が見受けられない。彼女自体も不思議だったが、この林檎も不思議だ。

 確かに彼女はやり直せると言っていたが、まさか本当にできるとは。

正直、この事実は信じ難かった。しかし、幾日も生きていれば、自ずとその事実を受け入れるほか無い。寝ても覚めても、そこは私がいたはずのベルリンではないのだ。

西ゴート族を始め、多くの民族が共存していた時代に、私は生まれ変わったのだ。



 生まれ変わった直後のこと、すぐに私の前に壁が立ちはだかった。

それは、フン族の襲来だ。

フン族。それはアジア系の民族で、騎馬を使った戦術を多用していた。

奴らはドン川を超え西進、私たちよりも少し北東に定住していた、東ゴート族を襲った。

これを受け、東ゴート族の王アルマナリクは自殺。王権を受け継いだヴィティミールも、フン族に良いように使われていたアラニ族と対峙し、敗死した。

その遺児ウィデリックはフン族に屈服。

東ゴート族の大部分がフン族に併合され、事実上、東ゴート族は瓦解した。

奴らは東ゴートの家を焼き、生きている者は誰と問わずに虐殺・奴隷化した。あまりにも酷すぎる蛮行で、東ゴート族のキエフ文化は無いに等しい状況になった。

一瞬にして消えた東ゴート族。

確かに離れてはいるものの、そう距離は遠くない。フン族が来ては、我々もすぐにやられるだろう。

…………どうにかしなくては。


 私は、西ゴート族の王、アタナリックに少しだけ力を貸すことにした。

今回は、彼を見守ってみよう。


 手始めに、西方への避難だ。

彼に民族を西に逃がすよう、導かねば。

丁度、この土地は痩せ細っていて、民族移動の判断など容易いだろう。

私は、彼の傍についた。



 すぐさま民族移動が決定し、それからしばらくもしない間に、民族移動が始まった。

奴らは東から追いかけてくる格好だ。そのため、目指すは西。とにかく、ローマ帝国へ進むのみだ。

 ……しかし、そうは行かなかった。私がついて見守っていたアタナリックは、すぐローマ帝国には入らず、後退するだけの判断を下そうとしていた。

「一体何をしてるの?早く逃げないと……奴らは今勢いがある。後退したって駄目だよ!」

そう言っても、私の声は届かない。

「トランシルヴァニアに避退。フン族の攻撃を回避すると共に、迎撃の準備を図る。」

彼はそう言った。

加護しようと、結局はその人その人の判断だ。私の加護も虚しく、アタナリックはトランシルヴァニアに交代する判断を下した。

この後退の最中、アタナリック率いるゴート族はドニエストル川に陣営を敷いて駐屯するに至った。

「分遣隊を送る。フン族の哨戒をせよ。」

アタナリックはそう命を下して、ムンデリックを始めとした分遣隊を送った。

こんなことしても無駄だ!早くローマへ!

そう声を張ったとしても、決してアタナリックには届かない。

せめて彼に加護をし続け、死なせないようにしなくては。彼が死ねば、西ゴート族も……そして私も、死んだと同然なのだから。


 分遣隊を送って、間もない頃だった。

「敵襲!」

そう前衛の兵が叫ぶと同時、本陣に一気に騎馬兵が雪崩れ込んできた。

突如としてフン族が襲ってきたのだ。

たちまち本陣は崩れ、騎馬で襲い来る敵に、私達は一方的にやられた。

「……ローマ帝国へ避退する!」

本陣が崩れてようやく、アタナリックはローマ帝国へ逃げる決断を下した。

 とにかく、とにかく、ただ西を目指して。

無駄なことは考えず、西へ進め。

まだかまだかと、ローマ帝国国境線のドニエストル川を目指す。

それを超えれば、きっと保護される。

そうすれば、また再起を図ることが出来るはず。

そう祈って、ひたすら西へ進んだ。 

 しかし、既に兵は戦に避退にで疲弊しきっていて、とても逃げ切れるような状況ではない。

ローマへ避退するこの間にも、何度かフン族との間で小規模戦闘が発生し、多くの命が失われていった。

見るに堪えない状況の中、アタナリック率いる西ゴート族は命からがらローマ帝国に到達した。さすがにローマ帝国と戦うのは気が引けたのだろう。国境線付近に迫ると、フン族は追ってこなかった。


これに伴い、様々な民族が西へと移動した。

ヴァンダル、アングロ=サクソン、ランゴバルド……

ざまざまな民族がヨーロッパに流入、そのたびに戦闘が行われた。


 ここでなんとかフン族の襲来という第一の壁を越えたわけだが、またすぐに壁が現れた。

今度は、ローマ帝国という壁だ。

ローマ帝国内には混乱が生じ、ついにはあの強大だった地中海の覇者、ローマ帝国は東西に分裂するに至ったのだ。

私達が庇護を求めて逃げ込んだのは、西ローマ帝国だった。

彼らは私たちを迫害し、酷い扱いをした。

帝国に土地を求めても、少ししか貰えない。

増やすように求めると、住民の中から奴隷を求められた。

土地もなく食べ物がなくて、飢餓に陥り、街へ出ても、城壁に阻まれて通しては貰えない。

この迫害は、到底耐えられるものではなかった。

……辛い。苦しい。

耐えられない。

フン族の圧迫で、数百キロ、数千キロと走ってきた。それによって心身がともに疲弊しきっていた時に、命からがら逃げ込んだ土地でも圧迫されては、完全に心が折れてしまっていた。

……天使は言っていた。

これを囓ればやり直せると。

1回しかやり直せないなど言われていない。

ならば、もう一度やり直そう。

今度は、誰かに圧迫されないことを望んで。

移動をしてきたときもしっかりと取っておいた、あの林檎を取り出した。

どうか、どうかもう一度、やり直させて。

私は、林檎を囓った。

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