40Peace 「ロザリオの影」
下水は道の中心を走っていて、私たちは端にある鉄骨の通路を少し歩いた。
手すりにそって進んだ。
――「コロン」不意に二コルくんがしゃがんだ。何かを拾ったみたいだった。
金属音が鉄骨から不器用に響く。
「どうしたの?」
私が聞くと自然な動作で起き上がる二コルくんはおもむろにポケットから訪台と液体の入った瓶を取り出す。
「これだよ」
ものおげな表情を変えずに瓶を開けた。
それは冬場になるとオイルストーブや暖房機具の動力として、もしくは車など蒸気機関の動力として、私にはなじみのない液体だがその特徴的な臭いを放って広く使われる液体。香ればわかるそれは灯油だった。
「神父様の捨てた米酒の小瓶に入れて持ってきたんだ」
お姉ちゃんの分も作れたらよかったんだけど。と言って拾った棒に包帯を巻きつけて灯油で濡らす。その手つきは妙に淡々としていた。
「ここ、何回も来たことあるの?」
まあね。といって二コルくんははぐらかす。
「火元は?」
聞くと、間を置かずシャツの内ポケットからマッチ箱を取り出す。
なるほど、あまり当たり前すぎて想像もしていなかったけれど、服というのは決して裕福な服でなくても収納ができるものなんだ。と思った。
二コルくんは唇でマッチ箱を咥えると一本のマッチ棒を口元の箱に勢いよく擦った。そして流れ作業であっという間に引火させトーチ棒を完成させると平然と火のついたマッチを下水道に捨てた。
「ポイ捨てだよそれ」
私も以前に街中で二コルくんに注意したことのある内容だったと思いだす。
「何言ってんのお姉ちゃん、ここは下水道だよ。泥に土を混ぜても同じことさ」
と言い返す。それで、いつの間にこんな口達者になったのだろうと、10歳の二コルくんをみていて関心すらしてしまった。
トーチの明かりで安心して進むことができているのは、ともあれ二コルくんの功績だと思った。
しばらく進んだ。
しかし角を見ていなかったことに気づく、それほど一直線だったんだと思った。そして今度はそれだけが理由じゃなかったことに気づいた。下水溝自体、トンネルのように丸い形で作ってあったのだ。
二コルくんは、このへ水道の作りも理解して、つまりあの異星体の警戒を兼ねて特性を考慮した逃亡路を用意してくれたのか、と思ってしまった。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
先に謝っておくけれど、というこちらもみない調子で謝られた。かわりにある一店を見つめて立ち竦んでしまった。
私もつられてその方を見やる。
「うそ」
それは形容が分からない。例えば湾曲線の稜線と言うのだろうか。水路の合流口だった、そこは決して直角ではないし、だからといった球というわけでもない。トーチ明かりでは見にくいけれど、あった角だ。
若干、その暗所の中の影がちらり動く。その正体なんて私はもう知っていた。
「骨どもが来る!」
誰の声か分からなかった。けれど私の声だった気がした。そういう風にして私はまた足に激震が走る。逃げないと、と二コルくんの手を取る。
「行こう!」
今度はしっかり私の声だった。私たちは走った。
二コルくんは大人の私と走っても、歩幅の違いがあっても余裕があった。それほど普段から活発に動き回っていたのだと知る。
知れば知るほど、二コルくんという存在が不思議になる。今日になっていきなり走るのも何度目か、私の足も疲れも忘れたのか調子よく、異星体に差をつけて走っていた。
でもそうだった。今まで運動ができる方ではなかった、それがいきなり二コルくんみたいに走れるなんてものは可笑しかった。私は鉄骨と針金のようなもので出来た階段でくじいてしまった。あとで知ったが、これをワイヤーメッシュというらしい。それで固い無骨な足材だったから、ひどい擦り傷をしてしまった。二コルくんもこんな時に立ち止まってくれた。
「ひどい、けど立てる?」
そう言って手を差し出してくれる二コルくんに安心感を持ちつつ、水の撥ねる音を私は聞いた。トーチ明かりが届かなくても分かった、遠くなかった。なぜかって私は二コルくんを逃がしてやらないといけなかったから。
でも、傷はひどかった。見た目以上だったことを体から知る。
「トーチ、ちょっと貸して」
それで受け取ったトーチをスネから膝にかけて広がる太くて黒い傷跡を目撃する。黒いのは、見れば階段のこびりついた下水の増水したきり湿気で乾燥したホコリや沈殿物の累積だった。ひどい汚物がこびりついてしまった。
異星体もあって私は急いで、手で黒い汚れを拭い払って痺れた手だから上手くできなくて焦ってそれで。おうちゃくになって強く押し付けてしまって不器用にトーチで傷口を焼く。
傷が生まれてすこしして流れ出した血液も関係なく焼いて。筋肉を弄られてタンパク質が滅んでいく痛みを噛みしめて堪える。
焼きながら思った。これでは二コルくんを守るどころではないじゃないかと。
もうすぐ異星体が来る。きっと私の足を掴まえて乱暴に引き倒し手や首の柔らかい部位から食い散らしていくんだ。そういう、されたこともない生々しさが今は、この異星体の集団のけたたましい反響する足音から伝わってくる。
ようやく立ち上がった私の背後から、殺意が憎しみが、言葉を持たない交渉や捕虜待遇の全部がない。そういう化け物の存在が伝わってくる。
それは、あまりに恐怖。あんまりむごかったからだから二コルくんをそんな目に合わせたくないと思ってしまう。
地響きが足元に伝わる距離に来た。姿が見える――あの凶悪な。
走る、けれど上手くいかない。膝までは上手く力が入る。「よし」と思う。
けれど膝からしたがまるっきりウンともスンともいかなかった、仕方が無く一瞬の棒切れのように毎歩扱って。二コルくんに迷惑をかけて肩を借りて逃げる。
このとき私は本格的に、自己犠牲を考えた。生きて二コルくんたちを守るなら、それが一緒に死ぬくらいなら私がここで餌になった方がマシなんじゃないか。
しかし次の瞬間拍子抜けに合わされる。
異星体の集団が吠えた。しかし私たちではかった。異星体の骨や靄が露わになった胴体が私から見えた。
「え?」
そして二コルくんを見る。
およそ私と同じ顔をしていただろう。そこでもう一度異星体を見ると、上を見ている。
「無謀で勇敢だ。善良ではしかしありえなかった」
低く厳粛な声が聞こえる。聞きなれていたけれど、あの時の教会にはいなかった敬愛する人の声だ。
二コルくんは安心した顔をしてその人を見ていた。その人はどういう原理の働きか、コウモリのように天井にぶら下がっていた。そこにあの人の面影はなかった。
その人は黒いローブをコウモリが羽根を納めるように、右のほうを上にして左右の余剰分を内側に畳んで納めている。その姿はトーチの明かりに照らされていた。
黒いローブが皺にそって怪しい影を作って上から下へカーブを出している。それは正しくなかった。上下が逆さまだから下から上へカーブしているという風が正しかったかもしれない。重力に従っていない。
異星体は私たちよりむしろその人を威嚇していた。
だが異星体のジャンプ力は天井に及ばなかった。何度かの挑戦のうちに流れの遅い下水は、重力に従って落下した異星体の蒼い液体で変色していった。その人だけがここで重力を無視していた。
「騒がしい」「そうだろう三屋くん」
異質に東洋の響きがある苗字を言って。厳粛な口調をとどめたまま、大口をあけて嫌悪を露呈させた。見もせずにその人は腕を広げて何か小物をそっと、落とした。光るものが2つ、下に伸びる。
小物が落ちるとたちまち流れの遅い水路に風が吹き抜ける。かなりの強風だった。私たちは手摺りにつかまった。
そしてすぐその風の理由を知ることになる。気圧の変化だと察した。
「グレイくんは確か理学が堪能だったよね、それに料理が得意だったね」
やけに親し気な声が、あの人が知るようなことを言う。
「そんなグレイくんならわかるよね」
「えぇ、気圧の変化が起こったということは低気圧がどこかで発生したということね」
ここでその人は「そして」という相槌をするように頷く。
「そちらに吹き抜けたということは低気圧がそこにあった。結論はそこの物的根拠が証明をしている」
言いながら、私はやっと自分の足を焼いた臭いを気に留めることができた。そしてその人の真下にある残骸を一瞥……いやもっと激情の目で、駆られたり捉われたりすることな冷静さを持ちながらみて。
「異星体は圧縮されて殺された」
と告げた。
事実。ドレークが引き寄せた余りとして10匹近くいた異星体はほんの1㎥に及ばないサイズまで凝縮されて下水に沈んでいた。
もう終わったんだとため息が出そうになって、それよりと見やって質問する。
「あなたは誰ですか?」
とても重要な質問だった。
「好きな認識をしていい」
はぐらかされる。
「あなたは神父様ですか?」
別の、けれど核心を突き止めようと質問する。
「……」
なにか言おうとする前に私はある一点を指さした。それはさっき小物を出すときに一緒に懐から光ってでてきたペンダントだ、それだけが重力に従って首から垂れていた。そこには礼拝や懺悔に使う十字架、青銅性のロザリオがあった。
「それは前に。「実はタバコが5本入っていて、ライターにもなっているんだよ」と教えてくださいましたよね」
そして付け加える。
「今言った通りの仕様であれば、あなたは神父様です」
「それを私がわざわざ見せてあげるとでも?」
そうかそうであれば証明できない。と気づく。
次の瞬間にその人は天井を降りた。
「ハハハ!」
悪魔的に、その人は笑う。「ガシャン」と鉄骨の通路に降りた――明かりで牙が見える。脈絡なく笑うと静寂した若干の時間がありコウモリの鳴き声が聞こえる。たくさんの羽音とコウモリの甲高い唸り声が私の耳を激しく刺激して私を覆うように通りすぎる。その瞬間、コウモリの不清潔さの嫌悪感と痛感する。この人も吸血鬼なのだと。
思わず目をつむっていた。目を開けると隣りに二コルくんがいなかった。向かいを見ると二コルくんがいた、しかしその人につかまっていた。
「ごめんお姉ちゃん」
二コルくんが言う。最初、捕まってごめんの意味だと思っていた。
「ボクは一緒に行くよ」
捕まったと思ったけれど、実際は自ら吸血鬼の腕の中に納まっていたんだ。
「なんで!」
せっかく異星体をやりすごしたのに! 喉から出かかった。けど今の脅威は目の前の吸血鬼だ。
「なんでそっちにいくの!」
即答される。
「お姉ちゃんにはわからないよ」
そのとき二コルくんが私を嘲笑うように見えた。
「選ばれたことのない人に、選ばれた幸福は分からないよ」
ここで明確に微笑む。
「なんのことよ!」
激情に駆られて言ってしまう。抑えていたのに。
「だから駄目なんだよ」
いったい……二コルくんはこれほど冷酷だっただろうか。その時あの手紙の写しが思い出される、あれはいったい真に二コルくんの本性だったのだろうか。そうやって人間性を、庇護するべき対象に疑心暗鬼になってしまった。
「分かるように言って!」
怒鳴ってしまう自分の浅はかさに幻滅する思いを抱えて、でも同じだけの怒りを言葉に乗せて言った。
「今まで全部とは行かないけど、今日に限っては」
そう前置きをした二コルくんは次の言葉をいった。
「ボクはあのワンちゃんがくることを知っていたんだ。全部無駄だったね、おねえちゃん」
最初の言葉を無垢な表情で、後の言葉はまるで年齢相応の子が悪戯に壊したおもちゃに向かうような
いったい私はなにを間違えただろう。何も間違っていなかったハズだ。私の中に懺悔とは対極の内省の感情が生まれた。
いったい私は、選別するべきだったのだろうか? 間違えは、あるとしたらその一点にあるはずだ。そしてこの状況は間違えがあったことを証明しているのではないか? いったい、なにが元凶で二コルくんをそういう子に育ててしまっただろうか? 私は、あの時二コルくんを拾わなければ? シスターアルミスに届けなくて、世話を手伝うこともしなければ? でなければ誰が? であれば何をされて?
どこで歪んだ?
そうして僅かな時間に牽引されて目頭が痛くなる現象に襲われた。過呼吸が起きるほどの自問自答と制御に窮する怒りに襲われる。どうしてか、
辛いめまいに襲われる。
「いいかな」
と断りを挟むように吸血鬼が話し出した。私は定まらない焦点をなんとかしてこの目をやり繰りして吸血鬼を見た。
「うむ
だから消去法的に生かしてあげます。と加えた。
吸血鬼が偉そうに。そう思って歩を進め向かおうとする。
足が動かない。トーチ明かりで見える足は痛々しく細く、立てていることが不思議なくらいガクガクと震えていた。
「はあ。何の為にこんなにしたんだろう、ボロボロで。多分この傷跡は一生ものだし、料理をするのもウエイトレスをするのもこの手ではもう。お酒はどうだろう、脾臓と喉が焼けるまでは飲めるだろうか」
いつのまにかそう呟いていた。
「何もかもが、たぶんこの吸血鬼のせいだ」
体は無事でも、心が悲鳴を上げる。それはそのまま怒りに代わる。
沸々、背中が熱くて痛くて服を脱ぎたくなって。
その時、「バチリッ」耳の中で
「吸血鬼ってクズだわ」
動かない足が動いて、神速で歩を進めて走った私は不意打ち同然で吸血鬼を殴っていた。
ニコルくんから男が離れる。
自分の声がパルスの波で相殺される。多分逆光で口読みもできない、意思疎通の難解な状態だとそれでいながら悟った。傍らのニコルくんは意図して無視をした。
ビリビリ。
髪の毛がテスラコイルの針になって逆立っていく。
「びりびり」
呟いて。手を見れば両手が動くことを確認できた。
吸血鬼を見ると唇を切って血が流れていた。驚きと好奇心の混ざった目で見つめられていた。
「吸血鬼も血が出るんだな!」
言いながら同じようにして殴る。
「くっ」
拳が掴んで止められる。そしてその余裕の笑いが目についた。
「――あ゛うっ」
バシャン。と無力に下水の中へ投げられる。拳をつかまれたまま振り回されただけだったのに。フィジカルでは完全に劣っているんだと自覚が持てる一撃だった。わたしは顔を拭って立ち上がる。
「もっと」
帯電して漏出で生じる電磁パルスは、発声を許さなかったが何度も言った。何回も殴られた。
威力のわりには体のダメージは少なかった。だから何度も殴りに行って、「もっと」と叫んだ。
蹴りを入れたら二度目からはダメだった。もう不意打ちは打ち止めだった。
でも全身が熱くなっていくのは止まらない。
その熱のビリビリする痛いと感じることが、自分の怒りを肯定してくれる気がした。私の行為を否定する二コルを作ったことが、この
でも熱は上がって止まらなかった。
帯電する背骨がついに光って得体のしれない現象が放射線状の球体のようになって、私は制御を知らなかった。
このままではみすみす吸血鬼を逃がしてしまう。と焦る。
もうどうなるかは察することができて、自分が殺人者になる恐怖が襲い来るその時だった。昇雷が地上に爆ぜた。
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