第19話 摩耶の家で

 結局摩耶の家には八時半についた。家の前でインターホンを押し、摩耶が出てくるのを待つ。

「藤原君、遅かったね。今日はもう来ないのかと思っちゃった」

 言葉に棘はあったけど、表情は柔らかだ。青いタートルネックから細い体の線がくっきりと見え、制服を着ている時より華奢で弱々しい。「上がって」と言うと、摩耶は僕を置いてさっさと部屋の中に入って行く。家は全体的に薄暗くもの寂しい感じだった。前に来たときはうるさい親父さんがいたからそう思わなかったけど、摩耶ひとりだと大きなからっぽの箱にぽつんと入れられたような感じがした。

「今日お父さんは鳥取に出張してるの」

 砂丘の研究でもしているのだろうか。残念ながら僕の鳥取知識はそれぐらいしかない。

「お父さんは何をしてる人?」

「大学で水産資源生物学を研究しているの。私もよく知らないんだけど、都市部沿岸の海洋生物について調べてるみたい。今日は学会があって鳥取に行っている」

 キッチンでお茶を淹れながら、摩耶はそう言った。まさかあの変な親父が大学の先生とは。人はみかけによらない。

「今日誕生日って言ったから、ケーキ買ってきたんだ」

「えっ、私に? それって誕生日プレゼントってこと?」

 僕は頷き、ケーキの箱を開けた。星屑をあしらった、大きなチョコレートケーキ。

誕生日おめでとうと言うと、摩耶は信じられないといったような表情をした。一瞬顔をテーブルの上に突っ伏し動かなくなったかと思うとがばっと起き上がり、目に涙をうっすら溜めて、

「あり……がとう。こんな立派なケーキを持ってきてくれるなんて夢みたい。藤原君のばか」

 と言った。なぜばかと言われないといけないのか、僕にはさっぱりわからなかったけど、摩耶が喜んでくれていることだけはわかった。嬉しい時にうらはらな態度を取ってしまう、石動摩耶はそんな女の子だった。

「ケーキにキャンドルを並べようか。ええと、何本?」

「……十七本。君と同級生なんだけど。何本だと思ったの?」

 むすっと膨れて摩耶はキャンドルを立て始める。僕も彼女と反対側から並べていく。そして円は結ばれ、十七本のキャンドルの環ができた。 

「火をつけて」

 そう言って摩耶は僕にライターを渡す。自分でつけたらどうなの? と心の中で反抗するけど、今日は彼女の大切な誕生日だし仕方ない。ゆっくり一本一本火を灯していく。最後のキャンドルに灯りをつけ、摩耶は電気を消した。ゆらゆらと規則正しく火が静かにうねる。僕が「はっぴばすでぃとぅゆぅ~」と調子はずれの歌を歌い、摩耶は小さく笑った。

 摩耶はキャンドルの火を一気に消した。部屋が暗闇に包まれる。

「それじゃ、ケーキ食べよう。実はお店の人がサービスしてくれて、ショートケーキもあるんだ。石動さんはどっちから食べたい?」

 と提案した。摩耶は「両方食べたい」ともう一つの箱も自分から開けた。

「やれやれ。今日の石動さんはわがままだな。まあ誕生日だからいいけどね」

 そう言うとしょげたような顔をして、

「ごめんなさい。私わがままだよね。でもこんなにお祝いしてもらえるなんて思わなかったから、つい。だめかな」

 その後二人でケーキを切り分け、静かに食べ始めた。摩耶が冷蔵庫から緑の瓶に入った飲み物を持ってくる。どこからどうみてもシャンパンだ。未成年だから酒はやめようと言うと、摩耶は「固いこと言わない」と無理やり乾杯させられた。ええい、ままよと一気に飲み干すと、それはお酒ではなかった。

「残念、これはシャンメリーでした。ふふ、藤原君てマジメなんだね」

「まったく、石動さんには敵わないよ」

 その瞬間、部屋の中に漂っていた寂しさが少しだけ和らいだ。摩耶が喜んでくれて嬉しい。彼女にとってこのひと時が特別なものであってくれたらいい。

 酒も入っていないのに、摩耶は何だか顔が火照っているようだった。熱はないかと聞くと、ろれつが回らない口で「らいじょうぶ。らいじょうぶ」と言った。僕もなぜか頭が熱い。

「摩耶って名前はお父さんがつけたの?」

「そうだよ。お母さんの名前が亜耶だから、そこから一字とって摩耶にしたんだって」

 さらに頭は回らなくなる。

「シャンメリーにお酒混ぜなかった?」

 ラベルを確認したけど、アルコールの文字はない。それならなぜこんなにふらふらしているのだ? そう思ってケーキの匂いをかいでみる。ケーキの上に乗っているチョコから、ウィスキーの匂いがした。そうか、これはボンボンだ。酒が入っているから注意して食べるように言うと摩耶はほろ酔い顔で、

「うそぉ、藤原君、私を酔わせようとしたの?」

 と言った。話しがずれていきそうだから、これ以上摩耶とケーキの話しをするのはやめた。もう一つ口に放り込んでみる。確かにウィスキーボンボンだ。あの店長、一言も言っていなかった。

 ボンボンのせいで足が覚束ない。このまま長居すると帰れなくなる。終電に間に合うように帰らないと家族が心配するし、雛乃に朝帰りを責められる。思わずよろけてソファーに倒れこんでしまった。僕もしっかりと酔いが回っている。せいら、まや、せいら、まや。女の子の間を行ったり来たり。最近どうかしてる。僕の脳裏にキャンプファイヤーとケーキキャンドルの火が交互にゆらめいていた。このままではいけない。「刺されますよ」と奏子の忠告が聞こえてくる。いつか時限爆弾が破裂してしまう。そうならないように帰らなくては。

「ちょっと待って。お腹すかない?」

 帰ろうとする僕を摩耶が呼び止める。よく考えたら、昼からケーキ以外何も食べていなかった。忙しくて食事をするのも忘れていたけど、急にお腹が空いてきた。

 摩耶は冷蔵庫から玉ねぎとピーマン、ケチャップ、それとベーコンを出す。

「ナポリタン作るけど、食べる?」

 僕はお湯を沸かしパスタを茹でた。摩耶は慣れない手つきで玉ねぎをざくざくと切っている。不揃いな切り口が、なんだか微笑ましかった。

「ここからは私がやるから」

 フライパンに油を入れ、摩耶は切った野菜を炒め始める。

「よく料理するの?」

「お父さんと二人暮らしだから。家事はひと通りできる。上手じゃないけどね。お父さんは味音痴だから、作らせるとおかしな味になるの」

 その時、摩耶と放夢蘭軒のラーメンを食べた時のことを思い出していた。あんなまずいラーメンを食べる摩耶は味覚がおかしいと思ったけど、今まさにあの時の危機が再現されつつあるのではないか? 摩耶が間違った調味料を入れないか観察した。手元にあるのは塩、胡椒、醤油、それにケチャップ。ナポリタンを作るのに必要なのはケチャップと胡椒ぐらいだ。「なに? そんなじっと見て」

 と言った矢先に摩耶の手が醤油に伸びる。かくし味に醤油なんて聞いたことがない。危険だ、僕は摩耶よりも早く醤油をつかんだ。

「ナポリタンに醤油はいらないんじゃないかな」

「これがおいしいんだから」

 まだボンボンが残っているし、ふらふらな状態で料理するのは危ないと、摩耶に休むように言った。丁重に彼女を台所から追い出し、ケチャップと胡椒を適度に入れ、ナポリタンを完成させた。できあがったことを摩耶に告げると、ソファから立ち上がり食器の準備を始める。

「いただきます」

 味はどうだろう。僕も料理には自信がない。摩耶がちゅるると麺をすする音が聞こえる。

「おいしい。でもこのナポリタンは八十%は私が作ったんだからね。藤原君は味を付けだけ」

 味付けが料理の命運を左右することに気づいていないようだ。でもここは花を持たせてあげることにする。

「そうだね、石動さんがいなかったらこのナポリタンは完成しなかったよ、ありがとう」

「ふん、わかればいいけど」

 こういう人を世間では「ツンデレ」というらしいが、実際目の前にすると正直面倒くさい。

「ナポリタンてナポリで食べられているんだよね。やっぱり死ぬ前にナポリは見ておくべきだと思う?」

 誕生日に不吉な事を言う。僕の乏しい知識によると、確かナポリタンはイタリアのナポリとは全然関係ないはずだ。でもそれは今の話の本質とずれている。

「まあ、死ぬつもりはないけど。最後の一葉って小説にもナポリが出てくるし、きっと素敵なところなんだろうなと思って」

 何気ない会話の中に「死」という言葉が出てきて些か心が乱れた。

「私って子供の頃病気がちだったから、長く生きられないと思っていたの」

「今は元気そうだけどね」

「うん、いろいろな人の助けがあって、ここまで生き延びてこられたんだ。助けというか、犠牲というか……」

「そうなんだ。昔のことはわからないけど、君の誕生日にこうして二人でナポリタンが食べられてよかったと思ってるよ」

「でも今日の藤原君からは女の子の匂いがするけど」

 猫並みの嗅覚だ。聖良の香りが服についているのだろうか。くんくん匂いを嗅いだらバレてしまいそうだ。

「ま、いいけどね」

 摩耶は素っ気なくそう言って、食器を流しに運んだ。そして洗い物が終わるまで僕の方を見なかった。でも鼻歌を歌っていたから機嫌は悪くなかったと思う。

「実はさ、今日こんなことがあったんだ」

 僕はここに来るまでのいきさつを摩耶に話した。ケーキが盗まれて男にこなごなにされたこと、ケーキ屋を探し回ってようやく手に入れられたこと……。

「藤原君はそのケーキを盗んだ男に心当たりはないの?」

 僕はそんな恨まれるようなことはしていない。摩耶はしばらく考え込み、

「実は最近、誰かに見られている感じがするの。もしかして藤原君が私をストーキングしてるんじゃないかと思ったんだけど、違うみたいね」

 何気に失礼なことを言う。僕がそんなことをするわけないじゃないか。でも摩耶が付け狙われているなんて物騒な話だ。


 食事が終わり帰り支度を始めた。雛乃に「今から帰ります」とメッセージし、摩耶に別れの挨拶をしようとした。すると摩耶は、

「今日はとてもさびしいの。一緒にいてくれない?」

 と僕の服の裾を掴み目を潤ませてそう言った。懇願するような瞳は僕の心のリミットを解除する。あと一押しすれば僕の心のけものは檻から出てしまう。

「ただ、さびしいの。誰かと一緒にいたい時って、あるでしょう?」

 その言葉に一瞬、時間が止まったように感じた。普段とは違う、摩耶の素直で脆い部分を垣間見てしまった気がした。いつもはクールでミステリアスな雰囲気だけど、こんな顔もするんだ。彼女の期待に応えるべきなのか。

「ほら、早く妹さんにメッセージして。今日は帰れません、て。もたもたしないで、早くしてよ。友だちのうちに泊まります。明日の朝帰ります」

 彼女の目は潤んだままなのに、言葉は何だか強気だ。摩耶は僕のスマホを奪い、勝手に雛乃にメッセージを送り始めた。僕はいつのまにか羊みたいに、生殺与奪の権利を彼女に奪われていたのだ。しまったと思った時にはもう遅く、摩耶の家に泊まることになってしまった。

「わかったよ、メッセージは自分で打つから。スマホを返してくれ」

 雛乃には、「文化祭の打ち上げで友だちの家に泊まる」とメッセージした。そして「今日のダンス、最高だったよ」と付け足しておいた。それと聖良にも、「今日はありがとう、楽しかったよ」と摩耶に見つからないように送った。

 どこで寝るのか論争が起こり、結局摩耶の部屋に布団が敷かれた。勿論彼女はベッドで、僕は床で。摩耶の部屋はきれいに片付いていて、無駄なものがなかった。勉強机と本棚、それとベッド。カーテンやシーツは青や紫など寒色系のものが多く、ひんやりとした印象だった。

「どうぞ、ここで寝てね」

 隣の部屋から布団一式を運び出し、僕の寝床を作ってくれた。広いスペースではないけど、寝るには十分だ。でも彼女が着替えをしたり、クローゼットを開けたりする度に部屋を出された。仕方ないとはいえ、やはり理不尽を感じる。摩耶はパジャマ姿になってベッドに座っていた。僕は布団の上であぐらをかいている。妹がいるから女の子には慣れているはずだったけど、やはり落ち着かない。視線を本棚に向けると、整然といろいろなジャンルの本が並べられていた。でもミステリー関係の本が多いような気がする。

「ミステリー好きなんだ?」

「うん、昔から好き。ポーとかクリスティとか古典も読むし、最近のも読むよ」

「石動さん自体がミステリアスだからねぇ」

 僕がそう言うと摩耶は、

「ミステリアスと思っているうちがミステリアスなんだよ。男の子は女子に不思議を求めるけど、そう思いたいからなんじゃないかな。謎が解けたら魅力は終わり?」

 と皮肉めいた口調でそう言った。確かに摩耶はミステリアスだし、そこが魅力だけどそれだけではない。彼女を知れば知るほど、複雑でわからなくなってくる。

「石動さんくらいこんがらがってる人なら、一生謎は解けないね」

「それって褒めてる?」

 納得できないと言った表情だ。僕は視線をどこに合わせるべきかわからず、再び本棚を見る。すると一冊の分厚いノートが目に入ってきた。僕はそのノートをどこかで見たことがあった。そうだ、雛乃の机の上にあったのと同じ日記だ。なぜ摩耶が同じ日記を持っているのか聞こうと口を開いたところに、彼女は突然全然関係ない話をし出した。それはとてつもなく他愛のない話で、どうでもいいことだった。でもその話が予想以上に長引き、日記のことを聞きそびれてしまった。

 話が終わると摩耶はごろんと僕のほうを向いてベッドに横たわった。そしてふっと息を吸い込み真剣な顔で、

「ねえ藤原君、君が私を殺したいほど憎んでいる理由、わかった?」

 と言った。摩耶の目は座っている。僕にどんな答えを求めているのか。

「いや、わからない。というか、石動さんを憎んでいない……と思う」

「そんなことないよ。憎んでるって。教えてあげようか、君が私を憎んでいる理由。実はね……」

 そう言いかけて急に眠気が襲ってきたのか、摩耶はそのまま眠ってしまった。呼びかけても応答がない。摩耶の体を横に転がし、毛布をかけてあげた。彼女は僕が彼女を憎んでいる理由を知っているのだろうか。そのことを考えるとなかなか眠れなかった。横ですうすうと寝息を立てる摩耶を少し恨めしく思ったのだった。

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