第6話 あの娘はお嬢様
十月になると学校は文化祭の準備で忙しくなる。受験を控えた三年生もこの時ばかりはと、学園生活最後のビッグイベントを心待ちにしていた。そんな浮わついた慌ただしい季節に、もうひとつ大きなイベントが行われる。二年生と一年生が参加する、聖ライラック学園との合同文化交流会だ。
聖ライラック学園は私立のミッション系の学校で、お嬢様が多い。昨年僕たちがライラック学園に招待されたときは、校舎のあまりの広さに驚いた。建物もきれいだし、学生食堂のメニューも豊富だ。中庭もきれいに整備され、色とりどりのバラが咲き誇っている。生徒とすれ違うたびに「ごきげんよう」などと挨拶され、秘密の花園に行った気分だ。
話によるとライラック学園の創設者と緑風館の初代校長が兄弟で、そこから交流会が始まったらしい。うちの学校の創設が百年ほど前だからかなり昔からあるイベントのようだ。交流会は、毎年交互にお互いの学校に出向き、音楽や文化交流を通して親睦を深める。今年は緑風館高校で開催されることになっていた。
普段他校の生徒と知り合う機会も少なく、僕たちは出会いに飢えていた。それは男子のみならず女子もそうだ。お嬢様とお近づきになれるまたとないチャンスだから、みんなこのイベントに期待するものが多いのだ。
体育館は準備部隊でごった返し、教師の骨川が大声で椅子の配置の指示をしていた。暑苦しいのは苦手だし、できるだけ早々に立ち去りたかった。目立たないように椅子を並べ、教室に戻ろうとすると骨川の「そこ、並べ方がなってない」という大声が飛んでくる。僕は身を縮めてこそこそ体育館の出口へと急ぐ。
「かわいい子いるかなあ」
「あんたなんか相手にされないよ」
優作が体育館に椅子を運びながらそう言うと、メグが後ろで口を膨らませた。この二人のやりとりはいかにも幼馴染といった感じで聞いていて心地いい。
「浩介も恋を探さないとね」
メグの言葉に一瞬摩耶が浮かんできて息が止まる。
「間違っても妹に手を出したらだめだからね。あんたの雛乃を見る目の生温かさは、最近限度を超えてるよ」
視線の先に、友だちと楽しそうにお喋りをする雛乃が映る。妹ルートなんてありえないけど、ひいき目に見てもあんなに可愛らしい女子高生は他にいない。
「でもまあ、ちゃんと見ててあげるのは大事だね。前みたいに誘拐事件に巻き込まれたら大変だし」
雛乃は五年前に誘拐事件に巻き込まれたことがある。誘拐というか、神隠しというか。しばらく行方不明になって、諦めかけた頃に突然お寺の境内に座っているところを発見されたのだ。けがもなく服も汚れておらず、しばらくは神隠し事件として町でも話題になった。僕は久しぶりにそのことを思い出した。
「ま、大丈夫だろ。僕よりしっかりしてるし」
「いやいや、あんたって力の入れどころがたまにわかってないよねぇ」
十時のチャイムが鳴り、緑風館高校の生徒たちはざわめきながら体育館に集まり始めた。足音が響き渡る中、緊張と期待が入り混じった空気が体育館を満たし、やがて静寂が訪れる。歓迎の飾りで装飾された体育館は長テーブルがずらりと並べられ、両校の生徒が向かい合って座れるようになっている。全員が息を飲むようにして、ライラック学園の生徒たちが入場するのを待っていた。司会の「聖ライラック学園の生徒さん、入場です。拍手でお迎えください」という声に呼応して、一斉に大きな拍手が巻き起こる。
ライラックの生徒は上下白のワンピースの制服を身にまとい、拍手と黄色い歓声が湧きおこる中を静かな足取りで進んで行く。全員が座り終わると、ライラックの代表生徒から歓待のお礼の挨拶が行われた。
「あの代表の子、なかなかかわいいな」
後ろの席の優作が話しかけてくるから、苦笑いして「そうだね」と返事をする。僕からすればライラックの女子たちはみんな可愛く清楚で可憐だ。周りの男たちは紳士ぶってはいるが、きっと内心は下心にまみれているのだろう。でも女子たちも意外ときらきらした目をしている。高嶺の花は見るだけでも価値があるということか。女の子にとっても、ライラックは憧れの存在なのだ。
向かい合った女子たちと歓談する時間がやってきた。体育館中で自己紹介が始まっていた。すぐに打ち解けている生徒もいれば、ぎこちない生徒もいる。優作は持ち前の明るさを発揮し、すでに向かいの女子のみならず、他の子からも質問を受けていた。
「こんにちは。私は小柴聖良といいます。二年生です。よろしくね」
ライラックらしい落ち着いた雰囲気の女の子が、垂れ目気味の目を僕に向けてそう言った。真ん中で分けた髪から覗いた額がとても賢そうな印象を受ける。僕は彼女のことをどこかで見たことがある気がしたけど、それがどこか思い出せない。
「どこかで会ったことあったっけ?」
「そうだね。久しぶりだね藤原君。懐かしいなぁ」
そう言われても、僕には覚えがない。そんな僕の困惑を感じ取ったのか彼女は
「うそうそ、冗談だって。私と藤原君は初対面……のはず。あっ、そういえば前に駅前でナンパされたかも……」
僕にナンパする度胸なんてない。それを見越してのことかわからないけど、悪い冗談だ。小柴は僕を見てクスクスと笑う。さすがライラックだけあって笑い方も上品で、しかもユーモアもある。そんな彼女に僕は親近感を覚えた。
しばらく彼女と話しているうちに、だんだん記憶が蘇ってきた。声や話すトーン、柔らかい雰囲気。そうだ、例の弁論大会で見たような気がする。彼女にそのことを尋ねると、
「藤原君もあそこにいたの? 実は弁論大会の優勝者は何を隠そうこの私です」
小柴は胸を張り、いかにも「えへん!」というような態度を取った。その仕草がとても面白くて思わず吹きだしてしまう。僕が笑うと、今度は恥ずかしそうに両手を膝の上に置きもじもじと顔を紅潮させた。小柴のお嬢様然としたたたずまいには、僕の普段の生活にはない香りがする。それとコミカルなかわいらしさのギャップに、初対面ながら強く惹かれた。
「弁論大会、すっごく上手だったよね。テーマは何だったっけ」
「アンデスに生きる人々と音楽の関わりについて。あっそうだ、私これから演奏するんだよ」
小柴はケースから縦笛を取り出した。竹でできた素朴な楽器はリコーダーともフルートとも違う。
「これ、ケーナっていう南米の楽器。私民族楽器が好きなんだ」
楽器を大事そうに抱えて彼女はそう言った。それからしばらく彼女は世界の民族音楽について熱っぽく語り出した。そこには楽器と現地の人々に対する確かな愛情が感じられ、僕は新鮮な気持ちで小柴の話に耳を傾けた。
「ごめん、話過ぎちゃったね」
小柴はそう言ってぺろっと下を出した。
「藤原君、私そろそろスタンバイだから行くね。またお話してね」
軽音楽部の演奏が始まるところで、小柴はステージ裏へと消えていった。それと時を同じくして、司会の生徒が軽やかに壇上に上り、
「さて、次はお楽しみのパフォーマンスコーナーです。まずは、緑風館軽音楽部による演奏をお聴きいただきましょう!」
と言った。一瞬の静寂が訪れ、次いで楽器を持った生徒たちがゆっくりとステージに上がる。ここから楽しいステージの時間だ。軽音楽部の面々が所定位置につくと、体育館全体にかすかな期待のさざ波が広がった。そして、合図とともに、最初の音が響き渡る。
会場は一気に熱気が高まった。緑風館高校の生徒だけでなく、ライラックの生徒たちも、
体を遠慮がちに揺らしながら大きな声援を送っている。お嬢様といっても同じ高校生、やっぱり盛り上がりたい気持ちは変わらない。僕も会場の波に呑まれ、腕を高々と振り上げる。それを見ていた優作がなぜか嬉しそうに僕に笑った。
舞台上では演劇や漫才、アカペラなどさまざまな発表が行われた。マジック研究会の発表が終わり、万雷の拍手を受け小柴たちの番が訪れた。
舞台には数本の蠟燭が立てられ、ゆらめく蝋燭は幻想的に演奏者をぼんやりと映し出している。
「えー、民族音楽研究会の小柴聖良です。メジャーな楽器ではなく、世界各地にある楽器を集めて演奏するのが私たちのモットーです。今は人数が少なく楽器も足りませんが、将来はもっと大規模にコンサートを行いたいと思っています。今日はよろしくお願いします」
彼女がゆっくりと椅子に腰掛けると体育館中が静まり返った。五人の女子たちはおもむろに楽器のスタンバイを始める。カラフルな模様が入ったポンチョに身を包み、エキゾチックな雰囲気を醸し出していた。小柴はさっき持っていたケーナを吹くようだ。他のメンバーは、太鼓や竹筒を組み合わせたような不思議な形の楽器(サンポーニャというらしい)、ギターなどを演奏する。
「曲は、アンデスの夜明けと、コンドルは飛んでいくです」
彼女たちは演奏を始めた。アンデスの夜明けはタイトル通り、暗闇のなかからアンデス山脈にうっすらと光が差し、しらじらと夜が開けていく様を奏でていた。遠くアンデスの山々の静かな夜明けが浮かんでくる。次の「コンドルは飛んでいく」は、郷愁を誘う響きに胸が痛くなり何か懐かしい感情を呼び起こした。
曲が終わると、少し遅れてパチパチと拍手の音が聞こえた。みんな曲に聞き惚れて、拍手も忘れてしまうようだった。遠く南米の先住民たちの息吹が僕たちの心を満たしていった。
南米パートが終わると、進行役の生徒を残して演奏メンバーは舞台袖に戻っていった。次はどんな演奏が聴けるのだろうと、場内は不思議な期待であふれている。そして次の演奏が始まった。今度は小柴たちはウクレレとアロハシャツのいでたちだ。
「次はハワイアンな曲をお届けします。聴いてください、カイマナヒラ」
小柴がウクレレをかき鳴らすと、フラダンス隊が横に並び、ムードのあるダンスを披露した。三人のウクレレ隊はお互いに顔を見合わせながら、実に楽しそうに演奏している。小柴は二番から歌をつけて演奏し出した。ハワイ語の不思議な響きが甘いウクレレと相まって、温かなハワイの風を運んで来る。南米の音楽は肌を刺す厳しさがあったけど、うって変わってのどかで優しい雰囲気だ。
小柴の歌は単に甘く優しいだけでなく、穏やかな中にも生きる悲しみなどが感じられた。そしてそんな人生の酸い甘い、複雑な感情を全て時のかなたに流していくような大きな波を感じた。僕だけがそう思ったのかもしれない。でも彼女の音楽に、まだ体験したことがない人生の喜びや悲しみを見出した。何だろう、胸の奥にある感情が静かに目を覚ます感じ。つまり小柴に魅了されたのだ。何気ない朝に突然自分の運命と出会うような、僕には初めての体験だった。
曲は続いていたが、しばらく上の空だった。三パート目はアフリカの民族音楽が披露され、そして彼女たちの演奏は終わった。拍手に見送られ舞台袖へと消えてゆく小柴聖良を、ずっと目で追っていた。
恍惚の時間は過ぎ去り、交流会もクライマックスを迎える。最後は花とメッセージの交換会だ。緑風館高校は赤い花、ライラックは紫色の花を一本ずつ手に持ち、メッセージカードとともにお互いの生徒に渡すのだ。
演奏を終えた小柴がようやく席に戻ってきた。
「演奏聴いてくれたかな」
「ああ、素晴らしかったよ。僕もあんな楽器ができたらいいと思ったよ」
「本当? じゃ、もしよかったらうちの楽器店に遊びに来てよ」
小柴はポケットからペンを取り出し、メッセージカードに店の名前をさらさらと書いた。
「KOSHIBA楽器店」。有名な楽器チェーンの店だ。
「うちの両親の店なの。よかったら来てね。今日は藤原君と話せて楽しかった。ありがとうね」
僕らは花とメッセージカードをお互いに交換した。僕が書いたメッセージはありきたりのものだったけれど、小柴は嬉しそうに「ありがとう」と言って顔を赤らめた。
そしてライラックの生徒たちは拍手で体育館を後にした。小柴のメッセージカードを開いて見ると、もともとのメッセージの下に「今日は楽しかったよ。また会いたいな」と書かれている。そのカードをなくさないように鞄の中に大切にしまった。
交流会終了後、雛乃が話しかけてきた。
「お兄ちゃんが今日ずっと話してた人誰だったの。ずいぶん仲がよさそうだったよね、知り合い?」
「知り合いってわけじゃないけど……。弁論大会で優勝した人だったよ」
「そうなんだ。私もあの人見たことあるかも。弁論大会以外でね。どこだったかな。ま、いいか。後で思い出すかも」
雛乃は体育館の撤収作業に吸収されていった。僕も椅子の片づけを手伝いながら、小柴との出会いを思い返していた。彼女の音楽、言葉、優しい笑顔。それらは僕の心に温かな火を灯し、僕を新しい未来へと運んでゆく予感がした。
後日談として、五人ほどライラックの女子に告白した猛者たちがいたそうだが、全員あえなく玉砕したそうだ。これは毎年恒例の交流会後の打ち上げ花火、秋の風物詩。犠牲者たちは新たな歴史の一ページとなり、後世まで語り継がれることとなるのだった。
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