第21話

「じゃじゃーん! 推しカラーの買っちゃった!」


 髪飾り屋では近年、推しカラーの髪飾りを選ぶ若い女子が多いらしい。


 ハルヒは自分の頭につけた髪飾りを指差した。それはガラスでできた空色の花。花びらを金色で縁取りしたもので、クリップ部分から赤い打紐がぶら下がっていた。


 空色の花は透き通っており、街灯を受けて光っている。


 アルトが見上げると、ハルヒは”最推しの男装少女イメージなの”と明るい顔で指さした。


「何つけてんの?」


 テツは妹を腕に抱え、アルトを見下ろした。


 なのかはアルトたちを待っている間に急におねむになったそうだ。朝から夏祭りを楽しみにしていてはしゃいでいたせい、らしい。”今日は昼寝してなかったから”と話すテツの顔はいいお兄ちゃんだ。


「……くれたの」


 アルトは巾着の持ち手を握りしめ、うつむいた。


「ふーん? アルトなら水色が似合うと思うけど」


「どうして?」


「水色の制服似合ってんじゃん」


 テツはなのかを抱っこし直すと、タイムのことを見た。彼はと言うと涼しい顔で歩き続けている。


 なのかがぐずって寝てしまったので、テツとタイムは一旦家に帰るそうだ。


「バイバイ、なのかちゃん」


 ぐっすり眠っているなのかをそっと撫でると、テツがあごをしゃくった。


「なんなら一緒に来るか? なのか置いたら戻るつもりだし」


「「絶対ダメ!」」


 ついていこうとしたアルトを双子は全力で引き留め、中学校の前で彼らを見送った。


 中学校も夏祭りの会場の一つだ。校門のそばのテニスコートは駐車場として開放され、誘導灯を持った法被姿の大人たちが待機している。


 校門前は臨時の自転車置き場。ここにもおそろいのTシャツ姿の大人たちがアウトドアチェアに腰かけて駄弁っている。


 そこへ小学生たちが自転車で滑り込んできた。彼らは大人に案内された場所に順序良く停める。鍵をかけるとグラウンドへ爆走した。


 彼らのようにアルトたちも夏祭り会場に入ろうとしたが、彼女だけ振り返った。


 タイムの背中はもう小さい。そんな彼と交わした言葉を思い出し、頬を包み込んだ。


『今日はいつもと違うね』


『え?』


『化粧してるの?』


 鳥居をくぐって階段を下りる時、ハルヒは先に行ったがタイムが横に並んだ。直した下駄の鼻緒がほどけないか心配だったらしい。


『ハルヒがやってくれたの。せっかくだからタ……』


 ハルヒが言ってたままを口走ってしまい、巾着の紐をかけた手で口を押さえた。


 あの時は”またそんなことを……”と呆れていたのに自分で暴露するなんて。


(本当はそうなんだ……。タイムに見てほしかった)


 タイムは顔に ? を浮かべ、アルトの横顔を見つめている。


 気づいてしまった。ハルヒの前では興味ないフリを装っていたが、本当は嬉しかった。彼にいつもと違う自分を見せられることが。自分でも知らない内に。


 だが、いざ彼を目の前にするとやっぱり似合ってないのではないのか、調子に乗りすぎたのではと後悔し始めていた。


 タイムは何も言わないアルトから視線を外すと、茶色い前髪をいじった。


『綺麗だよ』


(……!)


 中学生の褒め言葉にしては大人びてる。そんな言葉とは程遠い自分だが、タイムははにかみながら口にしてくれた。


 彼の言葉だけで心が満たされる。一緒にいられないのは残念だが、この余韻だけで十分だ。


 アルトは頬から手を離すと双子たちの後を追った。






 グラウンドでは中央のやぐらから提灯が四方に飾られ、ナイター照明で明るく照らされている。見上げると眉間が痛くなるようだった。


 グラウンドを囲むように設置されたのは学校や自治体の名前が入ったテント。その下では屋台やゲームコーナーが設けられている。


 体育館はトイレの貸し出しと休憩所として開放されている。開け放たれた出入口からは小学生が駆けまわるのが垣間見えた。


「あ、あれ……。華たちじゃない?」


 ハルヒが指さしたのはすぐそばのテント。その下には『アイスクリーム』という看板が提げられている。そろいの色のTシャツを着ているのは、肩にタオルをかけた大人たち。Tシャツには小学校の名前が書かれていた。PTAだろう。


 そのテントの前で華、ショウ、肇というお馴染みの三人が、スプーンが突き刺さったカップを受け取っていた。


「アイツ……また三人かよ。度胸ねぇな」


 彼らもアルトたちに気がついたらしい。カップを片手に歩み寄った。


「やっほーアルトたち! 浴衣いいねぇ」


「華こそ」


 華は紺地に白と赤の撫子がプリントされた浴衣。真っ赤な造り帯が似合っている。その横には私服姿のショウと肇。


「アイス? いいなぁ」


「見ろよショウの。一口アイスを三種類選べるのに全部抹茶にしたぞ」


「ぶっ……。本当だ!」


「だって抹茶好きなんだもん!」


 ショウの手元をのぞきこみ、アルト以外が爆笑した。彼女のカップだけ中が真緑だ。


「で……。肇? 夏祭りデート?」


 ミカゲが小声で肇の脇腹をはたく。彼は財布をしまいながら顔を赤らめた。


「ショウが誘ってくれたんだよ……」


『肇! 華と二人きりになれるチャンスだよ!』


『え、ショウちゃん夏祭り行かないの? 中学最後の夏祭りだよ……?』


『……行く! 私も一緒に行く!』


 瞳をうるませた華をショウは抱きしめた。


 ショウは華と肇をくっつけようと躍起になっているが、大抵はこれが理由で三人での行動が増える。


「それで? 告白の予定は」


「お前ら三人、ホントそれしか話さねぇよな!?」


 肇のことをいじって満足した。彼らと別れ、冷たいものが食べたいと屋台を物色し始めた。


「かき氷にしようよ! 味は何がいい?」


「んーなんでも」


「俺も。味の違いが分からん」


「じゃっ、私の推しカプカラーで頼んできちゃお! 待ってて~」


 ハルヒがかき氷の列に並んでいる間、アルトとミカゲは他の屋台を見て回った。


 ゲームコーナーの景品である、きらきら光るおもちゃが人気なようだ。小学生たちはハートやダイヤ、恐竜の形をしたペンダントを首から提げている。ペンダントトップは青、緑、赤と順番に光っていた。


 細いサイリウムライトを腕に巻いた中学生も多い。それを何個もつなげて大きな輪にし、高く飛ばして遊んでいた。暗い場所ではそれが綺麗で、アルトは無言で手首を見つめた。


 あれ欲しいのか、とミカゲに言われた。もの欲しそうな視線がバレたのが恥ずかしい。


 気まずくて進行方向を変えたら、目の前にばんじゅうを持った男が滑り現れた。


「おーアルトちゃん! 冷やしパインはどうだ!? あと三個だぞ!」


「わっ」


「誰!?」


 その男は額にねじりはちまき、法被の袖をまくりあげた、いかにもなお祭り男。


 根元は暗い色だが金髪という派手な頭で、白い歯を見せて笑っている。


「し……知り合い?」


「ショウのお父さんだよ。シノブさん」


 若干引いているミカゲにアルトが紹介した。


 シノブは娘が小学校に上がったときから毎年PTAに入り、最上級生の年にはPTA会長を務めた。今年もそうだ。


 社交的で賑やかな性格ゆえ、男女問わず娘の同級生たちから人気だ。名前で呼ばれるほど。


「こんばんは。俺は……」


「ミカゲ君だろ? 双子でハルヒちゃんの弟」


「なんで俺らの名前……」


 これも子どもたちに好かれる理由だ、とアルトは思っている。


 ショウいわく、シノブは春に撮るクラス写真を見て娘のクラスメイトの名前を覚えるそうだ。


 アルトも初めてシノブに会った時、名前を呼ばれて大層驚いた。グイグイ来る人は苦手だったが、シノブのは嫌じゃなかった。


「シノブさん、残りのパインください」


「まいどあり!」


 アルトは代金と交換し、個包装にされた冷やしパインを受け取った。


 ”最後の年だけど娘をよろしく”と彼に見送られ、二人はあるテントへ向かった。


 そこはREIONベーカリーのテント。テントの前には行列ができており、店の名前が入ったばんじゅうの中はほとんど空だ。テントの隅には空になったばんじゅうが積まれている。


 アルトはミカゲと後ろから回り込み、律子に声をかけた。冷やしパインを渡したらかなり喜ばれ、照れたアルトは”お客さん待ってるよ”と小さく前を指差した。


 今年はアルトの代わりに律子の友だちが店の手伝いをしていた。彼女はミカゲをアルトの彼氏だと勘違いしていたので、全否定したらミカゲが若干落ち込んでいた。


「……ハルヒ、体育館にいるらしい。行くぞ」


 スマホに目を落としたミカゲの背中は丸まっていた。


 途中で同級生にすれ違っては浴衣をほめられ、体育館の中へ入った。


 体育館の出入口は四ヵ所にあるが、今目の前にしている出入口は特別なものだ。


「まさか、再会した日に人助けをするなんてな」


「うん……。嫌な日だったよね」


 アルトが下駄を脱ごうとしたら、ミカゲは首を振った。


「そんなことねぇ。この学校に来て一番の特別な日だった」


 彼も下駄を脱ぎ、出入口前の階段に上がった。その時、体育館の明かりに照らされた顔は先程の肇とそっくりだった。


 赤くて口元がゆるんでいるのにしかめっ面。


「ミカゲ……」


「俺はアルトとまた一緒にいられて、嫌だったことなんてない」


 彼なりに何かを伝えようとしているのだろう。頭をかきむしり、メガネを押し上げた。


「だって、俺……」


「おっそーい! 何してたの!?」


 ミカゲがゆっくり振り返ろうとしたら、彼の姉がぶうたれた顔で現れた。


「かき氷買って戻ったらいないし電話つながらないし……」


「ごめん……。ちょっと寄り道してた」


 頬をふくらませたハルヒは二人の手を引くと、体育館の中をペタペタと移動した。


 体育館の中央には長机がいくつも置かれ、壁際にはパイプ椅子が並べられていた。若者は長机に買ってきたものを並べて盛り上がり、パイプ椅子ではお年寄りたちがおしゃべりを楽しんでいた。


 長机の周りでは小学生による大運動会が開催され、彼らの保護者たちがつかまえるのに躍起になっている。


「よっ。アルト、ミカゲ」


「川添先生!」


 かき氷がある長机のエリアには見慣れた男が立っていた。


「先生見つけたから誘ったんだ!」


 私服姿の川添が片手を上げた。彼の手元にはフードパックに入った食べ物やラムネの瓶が並べられている。


 ハルヒはかき氷をスプーンストローでつついた。


「川添先生は実家暮らしなんだって」


「え? 家バレたりしないんですか?」


「バレたことないな。ギリ校区内だから遠いんだよ。知ってるのアルトくらいじゃないか?」


「二学期の理科の成績を5にしてくれなかったら晒します」


「やめろ!」


 溶けて縮んだかき氷を流し込み、川添がおごってくれたたこ焼きとフランクフルトを四人で食べた。


 アルトがラムネを飲もうとしたら、うまくビー玉を外せずに苦戦していた。川添は”貸してみろ”と瓶を受け取り、ポンと景気よくビー玉を落とした。


「ありがとうございます、川添さん」

 

「今日はイサギおじさんでいいぞ」


 その時の彼の笑顔は学校で見せるものとは違う、小さな子どもに向ける優しいものだった。


 川添は怒らせたら誰よりも怖いと言われているがアルトにはそうは思えなかった。幼い頃からこの笑顔を見慣れているからだろうか。


 アルトは目をぱちくりさせると両手で瓶を受け取った。


「結構です」


 川添は長机によりかかりながらズッコけた。見守っていたハルヒとミカゲも。


「だろうと思ったけどよ……」


「もう子どもじゃないんですよ」


 ラムネの瓶をあおりながら視線をそらす。子どもの時は炭酸が苦手だった。今では飲めるし、むしろ好きだ。


「川添先生はアルトのこと、そんなに小さい時から知ってるんですか?」


「お? おう。アルトがこっちに来てからずっとな。響子さんが呼んでくれるから」


「あたしも響子さんに会ってみたい~。最近は帰ってこないの?」


「仕事人間だから。滅多なことでは帰ってこない。次帰ってくるなら……」


 アルトがたこ焼きをつまむと、外から大音量の音楽が聞こえた。体育館の足元にある窓からのぞくと、やぐらの周りに円を描くように人が集まっている。


 盆踊りが始まったようだ。やぐらには太鼓が置かれ、法被姿の男二人がバチを握っている。


 太鼓の音をBGMに夏祭りグルメを楽しもうとしたら、ハルヒが突然甲高い声を上げた。周りの目がこちらに集中する気配がした。


「ちょっと待ってー! アニソン盆踊り!? すごーい!!」


 ハルヒは小さく跳びながら手を叩いている。体育館を走り回っていた小学生たちですら驚き、立ち止まった。


「びっくりした……」


「地域の盆踊りとかやらないんだ? 前住んでたとこは伝統的なヤツやってから昭和の曲やってた」


「地域の? 見たことない」


 アルトがフランクフルトに手を伸ばしたらハルヒに肩をつかまれた。そのまま外へ引きずられる。


「行くよアルト! 踊らないわけにはいかない!」


「じゃあ俺も」


「フランクフルト……」


 ”俺が見とくから行ってこい”と、川添は手を挙げて見送った。






 今年はアルトにとって初めての楽しい夏祭りだった。


 いつもは店の手伝いをし、お小遣いで屋台グルメを味わって帰る。同級生とすれ違っても話すことはなく。


 もちろん盆踊りなんて参加したことない。ハルヒがいなかったら輪に加わることはなかっただろう。


 ハルヒにとって神選曲だったようで、お手本の振り付けを踊る人をずっと真似ていた。


 運動が苦手なら踊るのも不得手なわけで。ハルヒにずっと腕をつかまれていたせいで逃げられなかった。


 曲が止まるとアルトは一足先に輪から外れた。汗だくで体育館の中に戻ると、お酒を呑む若者が増えていた。いつの間にかそこら中でプチ同窓会が開催されている。


 川添の教え子たちだろうか。アルトがいた長机の周りに大人が集まっている。中には抱っこ紐で赤子を抱えている人も。


 アルトはまた外に出ると、体育館の周りに敷かれたすのこに腰かけた。


 盆踊りは最後の一曲を選んでいる途中らしく、草むらから虫の演奏が流れてきた。


 もうじき今年の夏祭りもお開きだろう。校門へ向かう人がちらほらといる。


 その中でこちらに向かってくる人がいた。浴衣姿で下駄。暗くてよく見えないが、歩き方と背格好は見慣れたもの。


(タイム……!)


 歩を進めてナイター照明に照らされた時、ぼんやりと彼の顔が見えた。彼は渋い緑の浴衣と濃紺の帯を身に着けていた。


 アルトは目を見張り、視線をそらせなくなった。


 彼の貴重な浴衣姿だから、ではない。もちろん様になっていてかっこいいが、それだけではない。


 浴衣姿の彼は見たことないはずなのに既視感を覚えた。そして、別の誰かとダブった。


 アルトは震える手で目をこすり、もう一度目をこらした。


(誰……。あっ)


 タイムと重なって見える人は彼のように優しい表情を浮かべていた。


 緑の着物に身を包んだ男で、その黒髪には見覚えがあった。


 修学旅行で博物館へ行き、刀を見ていた時のこと。アルトの脳裏に突然流れた映像にいた男だ。その時の彼は衣服が血にまみれ、顔が青白くなっていた。


 これが生前の彼の姿なのだろうか。穏やかな表情はまるで愛しい人を見つけたよう。


 男の顔がはっきりと見えた瞬間、アルトは気づいた。彼はタイムによく似ている。違うのは服装と髪色だけなのでは、というくらい。


 あの時、映像の中でアルトは彼を胸にかき抱いて慟哭していた。


 彼に会ったことがあるのだろうか。そして、アルトにとってどういった人なのだろう。


(あなたは……誰なの?)

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