第20話
「アルト、ハルヒちゃん。そろそろ浴衣の準備をしましょう」
「はーい!」
アルトの部屋をノックしたのは律子。リップブラシを手にしたハルヒは勢いよく振り返った。
部屋の中央ではアルトが正座をしていた。テーブルの上には大きな鏡。
「あらま、アルト。お化粧してもらったの?」
アルトは気まずそうに律子を見上げた。
肌にはきめ細かなパウダー、ほんのりピンクに染めたまぶた、くっきりとしたアイライン。
彼女は頬をかこうとしたが、爪にファンデーションが詰まったのに気づいて手をしまった。
「……なんか違和感」
「その内慣れるってー! ほら、リップの色選んで!」
ハルヒは昨日からアルトの家に泊まっている。二人で宿題をやったり、パン作りの手伝いもした。
眠くなるまでタイムの話なんかもした。内容によっては言わされた感があるが。
『明日の夏祭り、メイクしようよ!』
『化粧品持ってないよ』
『あたしの貸すから! タイムにいつもと違うアルトを見せよ!』
というわけでハルヒのキャンバスになった。
いつもはハーフアップにしている髪は下ろし、アイロンでミックス巻きにしてもらった。
見たことないアルトの姿に律子は小さく拍手した。
「髪型もいいじゃない。歌子と響子が使ってた髪飾りもあるから使うといいわ」
「あ、アクセは作戦があるの。 あの神社の……」
「おーいミカゲ君が来たぞ」
ハルヒが言いかけたところで弦二郎が顔をのぞかせた。その後ろにはミカゲも。
「お邪魔します……。って、俺までいいんですか? 浴衣借りちゃって」
「いーのいーの。それより丈、足りるかしら……」
毎年行われる町の夏祭り。会場は菊理神社と中学校。屋台はPTAや町の自治会や飲食店によって運営される。もちろんベーカリーREIONも毎年出店している。
アルトはいつもそちらを手伝っていたが、今年はハルヒたちと楽しんでおいでと手伝いを断られた。律子と仲がいいご近所さんが手伝ってくれるらしい。
アルトとハルヒは和室へ、ミカゲは弦二郎の部屋にそれぞれ入った。
「ミカゲ似合ってんじゃん」
「おじいちゃんがいいヤツ選んでくれたんだよ」
ミカゲが着ているのは、様々な太さの白い線が入った紺色の浴衣。足元は黒い鼻緒の下駄。
長身の彼の着こなしはさすがと言うべきか。大人の男に間違えられそうだ。先程から道行く女性たちが彼を振り返っている。その誰もが頬を染めていた。
「私は丈がギリギリなのが多かったけど、これはぴったりだったの」
ハルヒは白地に大きなピンクの花が舞っているもの。”推しカラーのあるかな!?”と張り切っていたが、これはこれで気に入ってるらしい。二人共、浴衣を着るのは初めてだそうだ。
「アルトもいい感じだな」
彼女は水色の浴衣。生地のグラデーションが美しく、白と赤とピンクの菊があしらわれていた。
これを選んだ時、律子は目の端を光らせながら着付けてくれた。
『これは歌子のお気に入りよ。トウジ君とデートの時に着てたわ』
「エピソードもよかったし! アルトのお母さん、センスいいね~」
それにはアルトも同感だ。彼女は目をとじ、髪をなびかせる風を感じた。
昼間の熱が若干残っているが、日没が近づくと風の温度が下がる。柔らかく吹き付ける風が気持ちいい。
三人は神社の前まで歩いてきた。ハルヒが”まずは神社に行きたい!”とリクエストしたからだ。
カラコロ、と三人で音を鳴らしながら歩いていると、小学生くらいの女の子がスタターと横切った。その後を母親が必死で追いかけている。
「待って! 帯ほどけてる!」
フリルがついた浴衣は少女の身長に対して丈があり余っている。帯がゆるんでいるせいで、今にも裾を踏んづけて転びそうだ。見ているこっちがひやひやする。
神社に向かって歩いていると、浴衣を着た人をたくさん見かけた。
中には思い思いに着こなし、目を引く格好をしている女子もいた。浴衣に厚底地雷靴を合わせた高校生を見た時は思わず二度見した。
「私も今度はサンダルとか合わせてみようかな」
「ハルヒも似合いそう。……うぐっ」
「アルト!?」
ぎらついた浴衣にチェーンのバッグを合わせた高校生を見ながら歩いていたせいか、階段を踏み外した。とっさにミカゲが腕を掴んでくれたおかげで転ぶことはなかった。
「すぐ転ぶな……」
「転んでないもん」
笑うミカゲにムッとしたが、お礼は忘れない。アルトは再び歩き出そうとしたが立ち止まった。
「あー……」
「足ひねったか? あ、これは……」
ミカゲが心配そうにしゃがんで原因は違うと悟った。しかし、問題は問題。気まずそうな表情でアルトを見上げる。
「下駄壊れちゃったな……。戻るか」
下駄は律子が履いていたもので、古いせいか鼻緒が切れてしまった。脱いで持ち上げたが、その場で直せるような状態ではない。
「アルトと双子じゃねーか」
家に戻ることを決めた時、聞き慣れた声に呼ばれた。振り向くとテツが小さい妹の手を引いていた。その隣にはタイム。
妹のなのかは大きな双子に驚いたようだが、アルトに気がつくと顔を輝かせた。
「アルちゃ!」
なのかは舌足らずな声で腕を広げた。トテトテと走り、アルトの足に抱きつく。そのままゆっくり尻もちをつくと、アルトを見上げてにこ~と笑った。
「こんばんは、なのかちゃん」
「ばんばんは!」
返ってきたのはアルトとは違う言葉だが、そんなところがかわいらしい。アルトはしゃがむと下駄を横に置いた。
「あれが噂のテツの妹ちゃん!? 全然似てない! 可愛すぎ~」
「マジでアルトにめっちゃ懐いてるな」
「アルトと会った日は家でアルトのことばっか話してるしな。”お家にアルちゃがいたらいいのに”って言ってる」
アルトはなのかがテツに綿菓子を買ってもらったとか、後でパンを買ってもらうんだと一生懸命話すのを、目線を合わせて聞いていた。
「アルちゃ、いこ!」
無邪気に袖を引っ張るなのかの行動にキュンとする。きっとそれでも頬はぴくりとも動いていない。
「いいぞーなのか。そのままアルトをこっちに連れておいで」
「そしたらもれなくあたしたちもついてくからね?」
「逆に妹をこっちで預かってもいいぞ」
テツと双子で火花を散らしているが、なのかは素知らぬ顔。
アルトも三人の静かな争いはどうでもよかった。輪に入らず苦笑いをしているタイムのことをちらっと見上げる。
このまま六人で移動できたらいいのに、と思った。
夏祭りでタイムに会えたらいいなと願っていたし。
でもその前に……とアルトが横を向いたら、いつの間にかタイムもしゃがんでいた。彼は”あ”と口を開けると、シャツのポケットからハンカチを取り出した。
「鼻緒、切れちゃったんだね」
「うん……」
タイムはハンカチを広げ、端を歯で挟むとそのまま横に引っ張った。ハンカチは綺麗に裂け、一本の紐になる。
「う?」
なのかが興味津々に手元をのぞきこんだ。
タイムは手際よく紐をくくりつけ、鼻緒を下駄に取り付けた。それはまるで、以前もやったことあるような慣れた手つきだった。
「幕末アニメで見たヤツ……!」
ハルヒたちも何事かと見下ろしていた。ハルヒはまるで職人のようなタイムに目を輝かせている。
タイムの綺麗な手と所作に見とれていたら、彼が下駄を置いた。
「はい。これで履けると思う」
「ありがとう……!」
立ち上がると、タイムが下駄に手を添えて見上げていた。
彼の仕草に甘えてそっと足を差し込む。タイムが直してくれた、というだけで下駄の履き心地が変わったような気がした。
その時、童話のシンデレラを思い出した。
王子が忘れられない人を探しに来たシーンのよう。
下駄はガラスの靴に、水色の浴衣はドレスに、タイムの私服はタキシードに変わる幻覚も見えた。
(いや……。似合わないし)
アルトは浴衣をきゅっと掴むと、意識を現実に引き戻した。
「あの……ハンカチ、ごめん。どうしよう……」
「これくらい大丈夫だよ」
タイムは笑いながら立ち上がった。なのかは”すごい!”と、今度はタイムの足に巻き付いた。彼は幼子をひょいと抱き上げて目を合わせる。子どもを可愛がる彼は初めて見た。貴重なシーンを見せてくれたなのかには感謝せねば。
それにしてもタイムはなぜ、鼻緒のすげ替え方を知っていたのだろう。ハルヒがもらしていたように現代人で、まして少年が知ってるのは意外過ぎる。しかも手際がよかった。
それを問おうと思ったらハルヒに腕をつかまれた。
「ねね、タイム! ちょっと来てくんない?」
「? いいよ」
「ミカゲー! テツたちと待ってて! なのかちゃんのこともよろしく!」
「え? お、おう」
「じゃあお二人さん、ちょいとこっちに……」
ハルヒは二人の腕を引っ張り、階段を上がって境内に入った。
境内は普段の何倍もの人が集まっていた。人々が忙しなく行き交うせいで手水舎が切れ切れにしか見えない。
そんな中でハルヒが迷わず向かったのは、社務所の近くに構えた屋台。屋台というには立派な店構えだ。その前にはカップルや女子が集まっている。
近づくにつれて人がはけていき、屋台の商品が姿を現す。ストリングライトが商品の近くを這っているので、暗くても見やすかった。まるでイルミネーションだ。
「わ~可愛い!」
ハルヒはアルトとタイムの腕を離すと店先に駆け寄った。店主は若い女性で、目を輝かせたハルヒに笑いかけた。
彼女の前に並んでいるのは花の髪飾り。花はちりめんやガラスで作られており、水引や紐に通したビーズと一緒にヘアクリップにくっついている。
ここは毎年、夏祭りと秋祭りに現れる屋台だ。律子によると何十年も続いており、歌子はトウジに髪飾りを買ってもらったと聞いた。
(もしかしてハルヒ……!)
自分は縁はないと思っていた。
この屋台は昔から、それこそ歌子が中学生の頃よりずっと前から言われていることがある。
『髪飾りを好きな人に選んでもらうと結ばれる、っていう伝説があるのよ。だから歌子はトウジ君と結婚できた、っていつも言ってたわ』
お泊り会の間にハルヒは律子に教わり、それを実行しようとしたのだろう。自分ではなくアルトに。
アルトはハルヒが髪飾りに夢中になっているのを見て後ずさった。
この町に住む女子のほぼ全員が伝説を知っているだろうが、タイムはどうかは知らない。が、知っていたらめちゃくちゃ恥ずかしいことになる。
ハルヒが余計なことを言う前に逃げようとしたら、後ろから肩を叩かれた。
「アルトちゃん! いらっしゃい!」
蘭花だ。いつもの赤いカチューシャと巫女装束姿でアルトに笑いかけた。
彼女が今日も社務所でお守りやお札を授与しているのは知っていた。誰からも好かれている彼女は、老若男女問わず話が弾んでいるようだったので、今夜は挨拶できないと思っていた。
社務所から出てきたということは休憩だろうか。
「こんばんは、蘭花ちゃん」
「浴衣可愛いね。菊……かな?」
「おっ。この子が蘭花の妹みたいな子?」
彼女の後ろからひょいと現れたのは、緑の袴をつけた男子。初めて見るが、蘭花との距離感には察するものがある。
「蘭花ちゃんの……彼氏?」
「そうなの。そういえば初めてだったね」
「どうも、
「あ……。ども」
アルトは小さい声で頭を下げた。知らない年上の男なので人見知りが出てしまった。
蘭花の彼氏は二個下と聞いてるので二十歳そこそこだろう。蘭花よりも背が高く、笑った顔は子どもっぽいが声は低くて男らしかった。
「蘭花、剣介や。ちょいといいかね」
人でごった返している中、その老婆の周りからは人が引いていく。周りの人たちは知らず知らずのうちに道を作っているだなんて気づいていないだろう。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「拝殿に来てくれんか? 剣介には買い出しに行ってほしいんだが」
菖蒲は丸めた腰を叩きながら蘭花に目配せし、剣介には小さな巾着を渡した。
「分かった。菖蒲ばあちゃん、何食べたい?」
「未来の婿殿にまかせるよ」
「りょ!」
まるで家族のような会話を交わすと、剣介は人の波を縫って神社から出ていった。
「律子さんも弦二郎さんもお元気かね?」
剣介が振った手に振り返していたら、祖父母の名前を出されて話しかけられたことに気がついた。
「はい。今年も夏祭りで店を出すのに張り切っています」
「そうかそうか。あの二人はいつもはつらつとしておるの」
菖蒲はうなずきながら笑っている。人のよさそうな笑みだが、アルトは彼女のことが少し苦手だった。
蘭花に会いに行くと必ずいる彼女だが、アルトに話しかけるわけでもなく遠くから見ていることが多い。
時々その視線が鋭くなるのだ。普段はまるで感情を隠すような仮面を被っているのに。
「アルトー。どうしたのー?」
「友だちと一緒だったか。それは邪魔をしてすまなんだ」
「あ、いえ……」
ハルヒの声に心底ホッとした。菖蒲から話しかけられることがなければ、アルトから話しかけることはない。何を話したらいいかも分からないので、解放されるきっかけができて助かった。
「今日は男の子と一緒なんだ?」
菖蒲はさっさと歩き出したが、蘭花はそっと近づいてきた。その表情ははしゃいでるようだが、からかうつもりはなさそうだ。
「いや、たまたま……」
「そうなの? ずっと一緒にいるんじゃないの?」
「どういうこと……?」
「あ……。お、お似合いだなぁと思ったから! じゃあまたね!」
蘭花は不自然に会話をぶった切ると、人の波に消えた菖蒲を追った。
彼女が妙なことを言うのは初めてかもしれない。
(ずっと一緒にいる……?)
三人で鳥居をくぐったのを見ていたのだろうか。
アルトはうつむき、はらりと落ちてきた横髪を耳にかけた。普段は後ろでまとめている髪なので違和感がある。
「これで留めようか?」
顔を上げたら、タイムがすぐ目の前でほほえんでいた。距離が近すぎて後ずさると、横からハルヒも現れた。
「タイムが髪飾りを選んでくれたんだよ! アルトに似合いそうだね~って」
彼女はニマニマしながらウインクした。やはりそれか……。アルトは半目でハルヒを小突いたが、正直嬉しい。
タイムが差し出したのは、白い星形の花に銀色の水引とバロック真珠風のビーズを合わせたもの。大人っぽいデザインで心惹かれた。
「桔梗、っていう花なんだって」
「綺麗……」
桔梗と言ったら青紫の花が一般的だが、色違いもあるのか。ちりめん細工の桔梗は摘みたてのようにみずみずしい。周りを彩るのがまん丸のパールビーズではないのがまた、美しいと思った。波の跡を刻んだバロック真珠はどれも違う形をしている。
髪飾りにふれてみたくて手を伸ばしたら消えた。否、タイムがアルトの髪をさらっとなでて髪飾りで留めた。
横ではハルヒが”キャー!”と声にならない叫びを押し殺している。浴衣の袖で。
いつもだったらハルヒのその様子にため息をつくところだろう。今日はそれどころではなかった。
タイムの細い指でなでられ、彼が選んだ髪飾りを彼につけてもらう。ときめきが重なりすぎて、アルトの心臓はこの夏一番跳ね上がった。もう、跳ね上がったどころではないだろう。
「よく似合ってる。これにしてよかったよ」
「あり……がと……」
(このままも死んでもいいかもしんない……)
アルトはぼうっとしそうなのをこらえ、タイムのほほえみを脳裏に焼き付けた。これが最期の記憶だったらどんなに幸せなことだろう。
蘭花は気づいていた。あの少年、タイムが近づいてきた時に菖蒲が何かを感じ取ったことを。
もう少しで自分も目を見開き、アルトをますます訝しくさせるところだった。
(タイム君、か……)
その少年はアルトと同じく魂の穢れが見えなかった。まるで彼の前で扉が閉まっているように。
蘭花は菖蒲と拝殿に上がった。今日は夏祭りのため、拝殿は終日灯りをつけたままだ。
「先ほど夕方の儀式をした時に震えておったよ」
何が、とは聞かずとも分かる。拝殿に上がった時からカタカタという音が漏れ聴こえている。
蘭花は細長い箱を棚から下ろした。
玲嵐だ。アルトがここに訪れる度に震える刀。それはまるで自分の所在を示すかのよう。
蘭花は箱にくくった紐をほどいて箱を開けた。
「一体アルトちゃんとなんの関係が……あつっ」
玲嵐にふれようとして、慌てて手を引っ込めた。
「どうした?」
「玲嵐が熱くなってるの……」
こんなことは今までで初めてだ。一人でに震えるのも不思議だが、とうとう熱を帯びるとは。それは真夏に閉めきった車内のシートベルトの金具の比ではない。
アルトと同じく魂を見せない少年と、一人でに震えたり熱くなる刀。
(ずっと一緒にいるように思えたのは、ただの思い過ごしじゃないってことかな……)
蘭花は少しずつ震えが収まっていく玲嵐に顔を曇らせた。
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