第15話

「せんせー! 難波のカラオケから推し漫才師出てきた!」


「いない」


 近鉄奈良駅、午後十八時ちょっと前。


 各々で大阪や尼崎から集合し、今日の出来事を先生に報告したい生徒が続出していた。


「合間はカラオケか満喫で時間つぶしてるってYou〇ubeとかで言ってたもん」


「いねえって。仕事前にカラオケ行くヤツ」


 ベンチに座っている川添は虎の絵が描かれた扇子を扇いでいる。さっそくお土産を買った生徒に借りたようだ。そのそばでは女子生徒が興奮気味に飛び跳ねている。


「とにかく身長デカくてメジャーのTシャツ着てました! びぃ声でありがとうございますって笑ってくれた!」


 駅のホームの外にはちょっとした広場があり、生徒たちは班ごとに固まっていた。


 アルトたちはタイムの案内のおかげで余裕を持って奈良に到着した。


 しかし、タイムはどこか浮かない顔で行基菩薩像を見上げている。


(電車で酔ったのかな……? 食べ過ぎたし)


 アルトは声をかけられずもやもやしていた。移動している時からタイムはこんな調子だった。ぼーっと隙を見せる瞬間はあまり見たことがない。表情も読めなかった。


「どうしたータイム。疲れた?」


 声をかけたのはヒデだった。彼らは通天閣の下でお茶をして以来、一緒に行動している。


「俺ら、電車で爆睡してごめん。タイムだけ寝てなかっただろ」


 ヒデが眉を落とすと、タイムはハッとした様子でいつもの笑みを浮かべた。


「いいんだよ。お腹空いたなーって思ってただけだし」


「なんだよ。ハルヒのせいでめちゃくちゃ腹いっぱいとか言ってなかったっけ?」


「俺ら中学生男子だよ?」


 お腹をさする様子にヒデは笑った。タイムも照れ笑いを浮かべている。


 近くで様子を伺っていたアルトもホッとした。そして、自分も移動中にカロリーを消費したのかお腹が鳴るのを感じた。











 近鉄奈良駅から猿沢池を目指して歩いた。今夜はクラスごとに旅館が違う。アルトたちは猿沢池から二番目に近い旅館の暖簾をくぐった。


 ここも貸し切りらしい。入口にはバスで運ばれてきたのであろう荷物が積まれている。


 部屋に荷物を運び、足の疲れを癒していたらすぐに晩御飯の時間になった。


 畳の広い部屋にお膳が並べられ、生徒たちは来た順に座っていく。


 お膳には古代米と呼ばれる赤っぽいご飯、豆乳鍋、奈良漬け、天ぷら。天ぷらのそばには天つゆだけでなく抹茶塩が添えられていた。


 アルトは食べたことないものばかりのせいか、一口一口に感動が走った。こんなにもおいしいものがあるのか。食べたことがあるものでも、味付けが違うだけで新しい食べ物に出会えた気分になる。特に奈良漬けが気に入った。


 箸を動かすたびに固まるアルトに、両隣の双子は”またウチでご飯食べよう”と誘った。


 食後に運ばれてきたわらび餅とパイナップルも、無表情を崩しそうなおいしさだった。






 晩御飯の後、土産屋が並ぶ通りに出向いた。ここから一時間は範囲を決められているが自由時間だ。


 きらびやかな灯りのせいかどの店も黄金色に見える。眩しさに目を細めながらアルトは双子と練り歩いた。気になる店があればのぞき、商品を手に取る。歩き進める度にお土産が入った紙袋が増えた。


 土産屋の店主たちは箱入りの八つ橋や、ドラゴンが剣に巻き付いたキーホルダーを片手に声を張り上げている。ウチが一番安い、とかこれはウチにしかない、とか。


 さすが奈良、と言ったところだろうか。鹿をモチーフにしたグッズや食べ物が多い。ぬいぐるみやキーホルダー、ちりめん細工、クッキー、大福。どれも鹿のキャラクターが描かれている。


「……あ」


 アルトはある店の前で足を止めた。それに合わせて双子も立ち止まる。店に近寄ると、元気な店主が”らっしゃい!”と声を上げた。


 彼女がぺこっと頭を下げて手に取ったのは、浅葱色と白のだんだら模様の手拭い。それは店の軒先にも吊るされている。白の背景に黒文字で新選組と大きく印刷されていた。その横に近藤勇、土方歳三、沖田総司……と続いている。


「お嬢ちゃん、どこから来たん?」


「えっと……」


 アルトは急に話しかけられたことに心臓を跳ねさせた。


 初めてふれる関西弁なのに温かさと心地よさを感じる。むしろ懐かしいような。大阪で聞こえてきたものよりも雰囲気が優しい気がする。


 店主はアルトのたどたどしい言葉に耳を傾け、にっこりと笑った。


「これください」


「おおきに!」


 アルトが店に背を向けると、ハルヒが店の灯りに負けないくらいぎらついた目になった。アルトの手を上下に激しく振ると、手首に引っ掛けた紙袋も一緒に揺れる。


「新選組好きなの!? おすすめの乙ゲーがあるよ! アニメもある! ママも好きだから語ろ!」


「コイツはまた布教を……!」


 ミカゲは頭を抱えてため息をついた。


 しかし、ハルヒと対照的にアルトは冷静に手拭いを紙袋の奥にしまい込む。


「これはじいちゃんの。じいちゃん、新選組好きだから」


「なぁんだそっか~。で、おじいちゃん誰推しなの!?」


「鬼の副長……?」


「土方さんだぁ! 私とママはねぇ~」


 両手にお土産が入った紙袋を持ち、足は旅館のある方へ向かった。


 旅館に戻ったらお風呂に入って……と話していたら、三人の前にテツが立ちはだかった。彼も大きな紙袋を手に持ち、片手をポケットに突っ込んでいる。


「双子、アルト借りていいか」


「いいけど……。なんで!?」


 暗闇でも分かる、照れに無理やり怒りを乗せた表情。今にも表情筋が崩れそうなのか、眉がピクピク動いている。


「……別に?」


「別に、なワケあるか」


 ごまかしたテツにミカゲはアゴを持ち上げた。まるで昼間のお返し、と言わんばかりにテツのことを見下ろしている。だが、テツは動じていないようで冷めた目で見つめ返した。


 その後ろではハルヒが、”アルトの荷物、旅館に持ってくよ”と半ば奪い取った。


「……あれだよ、妹にお土産買うからアルトに相談したいんだよ」


「私そういうの向いてないと思うんだけど」


「いーからいーから」


 そう言いながらテツはミカゲを振り切ると、強引にアルトの手を取った。戸惑う彼女の言葉なんて聞こえてないらしい。一気に駆け出した。


「あ、おい!」


「だめミカゲ! 行ってらっしゃーい」


 ハルヒは追いかけようとした弟を引き留めた。去り行く二つの背中をしばらく眺めた後、”行くよ”と彼らの足跡をたどった。






「テツ? お土産屋さんあっち……」


「……察しろよ」


 テツが不機嫌そうにつぶやく。アルトは首をかしげたまま、彼に連れられた。乱暴に掴まれた手から、彼の体温が伝わってくる。ドクンドクン、と血が通っているのも。


 二人はお土産屋の通りを抜けて猿沢池を離れ、興福寺まで歩いてきた。


 夕方、駅から旅館までの道中にこの五重の塔を横目に見た。歩きながらスマホを向ける生徒もいた。


「ねぇ、テツ。こっちは自由行動の外なんじゃ……」


 テツが急に立ち止まり、アルトは彼の背中と衝突した。


 ”ごめん……”とアルトは鼻をおさえた。ぶつかったせいで地味に痛い。


 テツと距離を取ろうと足を後ろへずらしたら、彼が振り返った。


 街灯の白い光の下、口を尖らせた彼と目が合った。顔が赤い。熱でもあるのかと心配になるくらい。


 すると、彼が頭をかきむしりながら近寄ってきた。


 アルトの肩に手をそっと置く。ふれてもいいか迷った手つきで。


「なんで分かんねぇんだよ」


「テツ……?」


 その時、初めて気がついた。彼は緊張しているのだと。


 アルトはテツとクラスマッチをサボった日のことを思い出していた。あの頃の彼は声変わりがまだで、アルトと声のトーンが変わらなかった。


 それがいつの間にか大人の男性のように低くなり、身長も伸びた。体つきもたくましくなった。急接近して初めて体の違いを実感した。


「俺はアルトのこと……」


 テツは顔をかたむけ、硬直しているアルトの耳元に口を寄せた。


 低音が耳にくすぐったい。ここでそれを言ったら怒られるだろうか。彼の次の言葉を待っていると、砂利を踏む音が近づいてきた。


「なになになになに!」


 テツが激しく動揺し始め、アルトは解放された。


 辺りは街灯が少なく、人影もない。何かが近づいてくる気配にテツだけでなくアルトも怯えた。彼が離さなかったら、恐怖で背中に腕を回していたかもしれない。


「あれ? 君たちは……」


 明かりの下に現れたのは大人の男と少年。少年の方は草むらから飛んできたかと思いきや、アルトたちに背を向けて両腕を広げた。


「タイム……?」


 その後ろ姿はどう見ても同級生だった。得体の知れないものでなくてひとまず安心した。


 しかし、大人の男の方は知らない。どことなくタイムに似ているような気がし、テツとアルトの警戒心が薄れていった。彼は呆けた表情でタイムのことを見つめている。


「あれ、父さん?」


「「父さん?」」


 タイムの素っ頓狂な声に思わず、テツとアルトは繰り返した。


 父さん、と呼ばれた男は表情を和らげた。整った顔立ちや黄みがかった茶色の髪はさることながら、笑顔もタイムにそっくりだ。


「そんな怖い顔してどうした?」


「あ、いや……」


 タイムは腕を下ろすと後ろ手で頭をかいた。


 息子に警戒されても嫌な顔をせず、タイムの父は息子の隣に並ぶ。


「テツ君は会ったことあるな」


「……うっす」


「君は……アルトちゃんかい? パン屋さんの」


「はい」


「妻がお店の大ファンなんだよ。それと、息子と仲良くしてくれてありがとう」


 アルトは差し出された手をおずおずと握り返した。こういった挨拶は初めてだ。しかし、タイムと穏やかな雰囲気が似ているので人見知りすることはなかった。


「僕は大学で歴史を教えているんだ。今は刀鍛冶のことを研究していて奈良に訪れたんだよ。……そういえば君のお家は刀鍛冶だったんだってね」


「はい。言い伝えられているだけですが……」


「興味深い話があったら教えてくれよ」


 笑った時にできる目元のシワがタイムによく似ている。アルトがなんとも答えられずに会釈をすると、タイムは父が持っているレジ袋を指差した。


 その瞬間、再び草むらから何かが飛び出した。今度は二つのかたまりだ。


「さぁさ皆さん! そろそろ旅館に戻らないとー!」


「ハルヒ? ミカゲも」


「心配だったから後をつけてたんだよ」


「……絶対おもしろがるためだろ」


 テツはハルヒのニヤケ顔に舌打ちした。そんな彼をミカゲは肘でつつく。やや強めに。


「そ、その前にテツは何か言うことがあるんじゃないか!?」


「あ。ごめん、テツ。話の途中だったよね!?」


「あぁ。アルト、ぶっちゃけ俺のことどう思ってんの?」






 父親と話しているタイムを見ていたアルトが振り返った。


 少しうらやましそうな、寂しそうな目をしていた。


 彼女は喜びよりも悲しさの方が分かりやすくにじみ出る。


「テツのこと……?」


「おぉ!?」


「黙っとけハルヒ……!」


 双子が何やら騒いでいるようだが無視した。アルトも気にしていないようで、小さく首をかしげた。


「中学生になって初めてできた友だち」


 瞬間、アルトと初めて話した日のことを思い出した。


 誰よりも綺麗な横顔だと思った。慣れてくると笑顔を浮かべているように見える時がある。


 タイム以外の男子はそれに気づいていない。それが誇らしい。


 いつかその笑顔がもっと、大輪の花が咲いたようなものになって独り占めできたらと思っていた。


 だが、それを見せるのは自分ではないだろう。テツはアルトに近寄る人物に気がついて、笑みをこぼした。何かが吹っ切れたような気がした。


「それだけ?」


 口の端を上げるとアルトは困ったように”えぇ……”と力ない声を出した。


「……もう一人の数学の先生」


「タイムより頼りやすい? 双子よりも?」


「う……? うん」


 それだけ聞けたら十分だ。彼女のことだし、嘘は言っていないだろう。


 テツはくるっと背中を向けると、一人で歩き始めた。


「早く帰ろうぜ。悪魔の川添が降臨するぞ」


 その後を双子が追いかける。遅れてアルトとタイムも。


「そだ。帰りはこっちから帰ろうよ!」


「鳥の発想か!」


 ハルヒが全然違う道を指差したが、軌道修正させた。そんなことをしていたら本当に集合時間に間に合わなくなる。


「タイムのお父さん、タイムに似てるね」


 後ろの方ではタイムとアルトが話しているらしい。アルトから話のきっかけをつくるなんて滅多にない。テツはついつい聞き耳を立ててしまった。


「よく言われる」


「すごく優しかったね」


「うん、怒ったとこ見たことない」


「私のお父さんもそうだった」


 他愛もない話だが心がもやもやする。手に持つお土産より、旅館に向かう足の方が重い。


 いろいろ考え込んでいたらこのまま歩いて地元まで帰りそうだ。


「……にしても、鈍感すぎんだろ。華の比じゃねーぞ」


「テツなんか言った?」


 つい、心の声が漏れてしまった。聞こえたらしい双子がテツを挟む。これはいつものアルトの立ち位置だ。


「あー……、ミカゲ。相当頑張らねーとアイツのポジション奪えねぇぞ」


「おま……。まさか!」


 震えるミカゲに向かってニヒルな笑みを浮かべた。そしてちらっと後ろを振り向く。


 アルトとタイムが談笑している。アルトがあれだけ長く話すところは見たことない。対するタイムは穏やかな表情。話を聞くというより、アルトを優しく見つめている。


 タイムの前のアルトが一番可愛い。この二日間で痛いほど分かった事実だ。


(やっぱり幼なじみには勝てないな……)


 アルトの魅力を引き出すのも、彼女を守ることも。タイムの父が現れる直前、あっさりとアルトのことを離してしまった。あれだけ一大決心をしたのに。


 初めて大接近した彼女はほのかにいい香りがして体は小さかった。


(お前のこと、割と……)


 アルトをからかったり、数学を教えるために二人きりになった時のことを思い出す。走馬灯のように彼女の顔が現れては消えていった。比べてもそこまで変わらないが、どれもテツにとっては大切な一場面だ。


 彼はフッと静かに笑った。そして今度は、タイムをあざ笑うように振り返る。


(これからも数学、教えるからな。これくらいの嫌がらせは許されるだろ?)

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