梅に鶯、少年少女
霧朽
笑う門には福きたる
窓際の花瓶に活けられた二本の梅の枝が、小ぶりな蕾を開いていた。友人が持ってきてくれたものだった。少年が鼻を鳴らして空気を吸い込むと、部屋に充満する消毒液の匂いを覆い隠すように、梅の香りが肺を満たす。
窓から覗く桜の芽はその姿を蕾へと変えていた。春の暖かな日差しを浴びて、その体躯を膨らませる蕾とは対照的に、少年の体は痩せこけている。腕は少し力を入れれば折れてしまいそうなほど細く、肌は不健康を象徴するかのように白かった。
ぼーっと蕾を眺めていると、軽やかなノックの音が病室に響く。
「邪魔するでー」
「邪魔するなら帰ってー」
質素な白色の病室に綺麗な桃色の髪が弛んだかと思えば、一瞬の間に翻る。 少し前、黒かった髪を桃色に染め上げて、「かわええやろ」と自慢してきたことは記憶に新しかった。
少しの間を置いたのちに再び扉が開き、少女はベッド近くの丸椅子へ腰を降ろした。
「調子はどうや?」少女は言った。
「まあまあかな」少年は寝かねていた上半身を起こして言う。
「ホンマは?」
「ちょっと怖い」
少年の顔に混じった僅かな恐怖を見逃さなかった少女は笑みを貼り付け、無言の圧力で少年を問い詰める。
「すごく怖いです……」
「はい、よーできました。何度も言うとるけど、もっと頼ってくれてもええねんで。あんたが思うとるより、頼られるんは嬉しいんもんなんやで」
「ホントに辛くなったら頼ってるよ」
「アホか、それじゃ手遅れや」少女はわざとらしく肩を落とし、ため息を吐いた。
「うちらはそない頼りないか?」少年が口を開く前に、少女は食い気味に続ける。
「きっとそうやないんやろ? だったら強がらんと頼ってや。うちらは病人に気遣われるほど弱くあらへん」
「この前、似たようなこと言われたよ」
「くははっ、みんなあんたのこと心配なんや。さっさと元気になってくれや」
「なんでみんなしてこんなに優しいんだろうね」
「なんや、優しさが苦しいんか。贅沢なやつやな」
「ホントにね」少年は困ったという風に自嘲した。
「あいつらのことは知らんけど、うちなら簡単や。あんたの笑った顔が好きやから、あんたには笑っててほしいんや」
「素直に僕が好きって言えばいいのに」
「うっさいわ、相変わらず減らず口叩きよってからに……」
紅潮した体の熱を吐き出すように少女の口からため息がこぼれた。
「話戻すで。うちはあんたの笑った顔が好きやけど、あんたが無理に笑う必要はないんや。うちがおもろい話すればいいだけやしな」
ポフっと少年の顔が華奢な少女の肩へ押し付けられる。少年の頭には少女の手が回されていた。少女の手が少年の頭を優しく叩く。
「だから、好きなだけ泣いたらええよ。安心せえ。皆の前に出るときには、うちの爆笑一発ギャグでちゃーんと笑かしたるから」
「ごめん」
少年の声は震えていた。
「ええよ」
少年は少女の背へ手を回して抱き寄せると、小さく嗚咽した。少女の肩には斑模様に染みができていた。
少女が病室を訪れてから数十分後、病室には五人ほどの人が集い、少年のお見舞いと称したゲーム大会が開かれた。ゲーム大会は大いに盛り上がったが、少年の眠気が限界に達したところでお開きとなった。
寝息を立てる少年の胸にそっと少女の手が乗せられる。泣いて笑って騒いで疲れきった少年はそれに気づかない。
少女以外の友人たちは先に外に出ており、病室は先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
少女にとって、少年は儚いと言うにはあまりに危うげに感じられた。こうしていないと、消えてしまいそうで。トクントクンと音を刻む心臓が、次の瞬間には何の音も刻まずにいそうで。少女はそれがたまらなく怖かった。
手のひらから伝わってくる少年の確かな心音が少女の心を溶かす。
朝になってもまだここにおったら驚くやろか、と少女は想いを馳せる。
きっと少年のほうが早く起きて、優しい「おはよう」が少女の耳朶を揺らす。少女は嬉しくなって「おはよう」と笑う。
春は出会いと別れの季節なんて言うけれど、出会いも別れもない春があったっていいと。少女は思う。
「おーい、大丈夫かー」
ドア越しに少女を呼ぶ声が響き、少女を現実へと引き戻す。
少年の頬に軽くキスをすると、少しの名残惜しさを覚えながら少女は病室を後にした。
梅に鶯、少年少女 霧朽 @mukuti_
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