アキは来る
――中学生だった頃の私にとって“アキ”は特別だった。
アキは島で旅館を営んでる家の一人息子で私より3つ年上のお兄さん。
端正な顔立ちをしていて身長も高ければ線も細く、物腰が柔らかくて温厚で面倒身がいい。
成績も良ければ運動神経も優れてる。
そんなミラクル人間だった。
普段山手の方に住んでるから海辺に住む私とは生活圏が合わず、同じ島に住んでても滅多に顔を合わすことはなかった。
だけど、夏休みになると叔父が営んでる海の家でバイトをするために、アキはひょっこり私の前に姿を見せる。
「今日も海に行くの?」
「もちろん!」
その海の家は私の家から徒歩5分。
私はアキに会いたくて夏休みになると毎日海の家に顔を出してた。
中学1年のときから3年間。
海に入れる日は1日も欠かさず。
朝から家を飛び出す私にお母さんは呆れ顔。
それでも私の足は止まらない。
――♡――♡――♡――
「アキ……!」
「あ、ナツ。今日はいつもより早かったね」
「うんっ。宿題が全部終わったから」
走って会いにいくとアキはいつも笑顔で私を出迎えてくれた。
のんびりと開店準備をやりつつ話してくれる。
朝に軽く話して海で泳ぎ、一旦帰ってお昼を食べて、また海に行って泳ぎ、夕方は少しゆっくりと話す。
それが中学のときの私の夏休みの日課だった。
アキからすれば毎日泳ぎにくる常連さんくらいにしか見えてなかっただろうし、そう見えるように毎日ちゃんとガッツリ真剣に泳いだ。
その所為で私の肌は夏の間中こんがりと日焼けしてた。海に来てる他の常連さんの中でも1番。元々の肌色はわりと白い方だから夏と他の季節じゃ印象が違って見えたと思う。
「もう宿題が終わったの?早くない?」
「だって沢山泳ぎたかったんだもん」
「ちゃんとしっかり寝た?」
「ううん。徹夜した」
「やっぱり。泳ぐならしっかり寝なきゃダメだよ」
「大丈夫。今日から寝れるから」
ヘラヘラ笑う私にアキは軽くお説教。
だけど、アキはいつだって私に優しかった。ううん。アキは私以外にも優しかった。
誰に対しても優しくて親切、そこが彼の長所でもあり短所でもあったと思う。
「ごめーん。アキ君。これ重いから持ってて〜」
「あ、うん。今、行くよ」
優しいアキは同じバイト仲間だったハルに呼ばれていつも飛んでいってた。
それこそ毎日、話す度に呼ばれてたから相当頼まれごとをされてたと思う。
ハルは近所に住む漁師の娘で私より5歳年上のお姉さん。
当時中学生だった私にとってハルは、いつもお化粧をして服装がオシャレで、ちょっとした憧れの存在だった。
大人っぽくて気さくで、いつだってキラキラと輝いて見えた。
アキにとってもそうだったんだと思う。
――♡――♡――♡――
「アキはどうして海の家でバイトをしてるの?」
碧に埋め尽くされていた世界が朱に染まる。
夕日が海を照らす中、柔らかな砂の上を音もなく素足で歩いていく。
時々アキのバイト終わりに2人だけで話すことがあった。
お店が閉まってから夕日が落ち始めるまでの少しの時間。
「んー。海が好きだからかな」
「そうなの?そのわりには泳いでなくない?」
「俺は泳ぐより見る方が好きなんだよ」
「そうなんだ?」
「皆にとって帰る場所だからね。この島は」
穏やかな顔で寂しくアキは呟いた。
波の音はいつもと変わらないのに、見ている相手が違うだけで全てがいつもと違うように思える。
心臓の音が蝉の鳴き声みたいに騒がしい。
「ナツは泳ぐ方が好きだよね」
「うん」
「泳いでるナツを見るのも好きだよ。元気いっぱいって感じで」
「本当に!?」
「うん。夏の間の楽しみだったりする」
掴んだ砂を指の隙間からサラサラと落としながらナツが呟く。
一度、意識してしまえば波に浚われゆく砂のように心が流される。
碧の方へと。
だけど、恋心かと聞かれると酷く曖昧なものだった。
だって、いつも夏が終わって秋が来ると熱い気持ちが冷める。
蝉の声が止むと同時に心の音も鳴らなくなる。
熱いのは会える夏の間だけ。
山じゃなく海に居るアキが好きだった。
いつだって夏に現れるこの感情は、私の心に鮮明な色だけを残して花火のように儚く消えていく。
また夏が来て碧に染まるまで。
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