第13話 「ヴェルドニア芸術祭」に招かれる
半年ほど前エトワール広場で行われたアートコンテストは、毎年盛大に開催される芸術祭の一環で、多くの街の住民や訪れた観光客が集まる一大イベントだ。今年もまた、色とりどりの作品が並び、芸術家たちの技が競い合っていた。その中で、ひときわ異彩を放っていたのは、メリーの飴細工だった。
透明感のある飴が、光を反射してきらきらと輝く。細やかな手仕事で作られた花々や葉っぱ、そして小さな動物たちが、まるで生きているかのように生き生きと展示されていた。そのシンプルでありながらも心に深く響く美しさは、他の豪華で目を引く作品に負けることなく、見る者すべての心を掴んだ。
その光景を静かに見守っていたのが、アラミス・アルデリオ伯爵だった。彼は、ヴェルドニアの近郊に広がる広大な領地を治めるアルデリオ家の当主であり、芸術家たちと深い繋がりを持ち、毎年「ヴェルドニア芸術祭」を支援している。音楽家としても名を馳せ、作曲家としての名声も高いが、彼はその美意識の鋭さでも知られ、芸術作品に対しては常に深い情熱を持って接していた。
メリーの飴細工を前にして、アラミスはその美しさに思わず見入ってしまった。どこか儚く、壊れてしまいそうなその作品は、まさに心に響くものだった。彼はその時、メリーの飴細工が持つ力強さと優しさを同時に感じ取った。
その後、アラミスはすぐにでも彼女に声をかけたくなったが、周囲の人々の目を気にして少し立ち止まった。しかし、最終的に彼は決意し、とうとうメリーが働いている店「ラ・ドゥース」へ足を運ぶことにした。
店の扉を開けると、甘い香りとともにメリーが忙しそうに飴細工を作っている姿が目に入る。彼女は驚きの表情を浮かべながらも、すぐに笑顔を浮かべてアラミスを迎え入れた。
「こんにちは、メリーさん。」アラミスは穏やかな声で話しかける。
「ご、ごきげんよう、伯爵様。お越しいただいて…どうなさいましたか?」メリーは緊張しながらも、丁寧に応じた。
アラミスは少し間をおいてから、真剣な眼差しで言葉を続けた。「実は、先日の芸術祭であなたの飴細工を見て、非常に感銘を受けました。あなたの作品は、ただの飴細工にとどまらず、心を打つ美しさを持っている。ぜひ、来年の『ヴェルドニア芸術祭』にご参加いただきたいと思い、こうしてお伺いしました。」
メリーはその言葉に驚き、しばらく言葉を失った。芸術祭と言えば、名だたるアーティストたちが集まる場であり、そんな場所に自分の作品が並ぶなんて想像もしていなかった。
「えっ…芸術祭に、私がですか?」彼女は戸惑いながらも、心の中で嬉しさと不安が交錯していた。
「はい。」アラミスは優しく微笑みながら言った。「あなたの作品は他のどんなアートとも違う。あなたの飴細工が、芸術祭に新しい風を吹き込むことを確信しています。どうか、私の招待を受け入れてください。」
メリーはその言葉に胸が高鳴るのを感じたが、同時に不安も押し寄せてきた。自分の飴細工が他の大きな作品と並ぶなんて、ただの飴職人である自分にはふさわしくないのではないかと思ってしまう。
「私…そんな大それたこと、できるのでしょうか。」彼女は小さく呟いた。
アラミスはしばらく黙って彼女を見つめ、そして静かに答えた。「メリーさん、あなたの作品には特別な力があります。その力をもっと多くの人に知ってもらうべきだと思っています。」
メリーはしばらく黙ったままだったが、アラミスの真摯な眼差しに心を動かされ、次第にその気持ちが伝わってくるのを感じていた。
メリーはアラミスの言葉に驚き、ただただ言葉を失った。店の中に漂う甘い飴の香りが、今はどこか遠く感じられる。彼女はしばらく沈黙し、アラミスの顔を見つめていた。おそらく、彼は自分のような飴細工職人が、名だたるアーティストたちが集まる「ヴェルドニア芸術祭」に招かれることに、どんな意味があるのか理解していないのだろう。
「私、どうして…私のような飴細工職人が…芸術祭に?」彼女は小さく呟いた。心の中で、招待されるに値するのはもっと大きなアーティストだと思っていた。彼女の作るものは、あくまでも飴細工。芸術と言われるにはあまりにも単純で、他の豪華で複雑な作品に比べて、到底並べられるものではない。
アラミスはメリーの不安を感じ取ったように、静かにそして確信を持って言葉を続けた。「メリーさん、あなたの作品は他のものとは違います。飴細工という手法を通じて、あなたが生み出すのはただの装飾ではなく、魂のこもった美しさです。」
彼は一歩前に出るようにして、優雅に話し始めた。メリーはその言葉がどこか心に響くのを感じたが、同時に自分がその場に立つことができるのか、未だに確信が持てなかった。
「あなたの飴細工には透明感があり、繊細さがあります。それは、この芸術祭に新しい風を吹き込むと私は確信しています。あの素晴らしい作品に宿る光と影、それを見たとき、ただ美しいと思うだけではなく、心に何かが触れる感覚があった。」アラミスの瞳が、どこか遠くを見つめるように輝きながら、さらに続けた。「あの透明で繊細な美しさが、他の豪華で複雑な作品たちの中で、ひときわ際立つことでしょう。」
メリーはしばらく黙っていた。アラミスの言葉が、心の中でこだまするように響いた。確かに、自分の飴細工はシンプルだ。豪華な装飾もなければ、複雑な技法を使っているわけでもない。それでも、あの作品を見てくれた誰かが感じてくれるような、「心に響く美しさ」こそが、彼女が追い求めてきたものだった。
「でも…」メリーは声を絞り出すように言った。「私の作るものは、他のアーティストたちと比べると、あまりにもシンプルで、劣っているのではないかと思ってしまいます。」
彼女の胸の中で、不安が消え去ることはなかった。自分が招待されることで、周りの目がどう変わるのか、他のアーティストたちの期待に応えられるのか、そのことが心の中で大きな疑問となっていた。
アラミスはその言葉を聞いて、微笑んだ。「シンプルであることこそ、あなたの強さです。飾り立てる必要はありません。あなたの飴細工が持つ美しさは、まさにそのシンプルさに宿っているのです。無駄なものを削ぎ落とした、純粋な美しさ。私は、それが芸術祭にとって、非常に貴重だと感じています。」
その真摯な言葉に、メリーは心を動かされるのを感じた。アラミスの目に浮かぶ情熱が、彼女の心に少しずつ火を灯していくようだった。しかし、それでもなお、彼女は恐れていた。自分がそこにふさわしいのか、果たしてその舞台に立つべきなのか、まだ決めきれなかった。
アラミスはその様子を見て、優しく続けた。「メリーさん、もしあなたがこの機会を受け入れてくれるなら、私が全力でサポートします。あなたの作品が、この芸術祭でどう生きるか、私も一緒に考え、手伝いたいと思っています。」
その言葉に、メリーは少しずつ心の中で決意を固めていった。彼女の手が、自然と飴細工の道具に触れる。アラミスの言葉が、彼女の作品を新たな場所に導いてくれる可能性があると感じ始めていた。
「…わかりました。」メリーはゆっくりと頷いた。「私、参加させていただきます。」
アラミスの顔に、ほんの少しだけ驚きの表情が浮かぶが、すぐに彼の優雅な微笑みに変わった。それは、彼女が一歩踏み出した瞬間だった。
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