第9話
「ぅぐッ!!」
「あれは……まさか、月さん気を付けてください!」
月はどうにか風の刃を受け流す。振動で少し痺れたような腕には小さな切り傷ができていた。
「風の刃……? マジで防いだのに、危なかった」
先ほどの素早い動きはまるで獣の、例えば以前戦ったルーポのような動きだった。そして今しがた受けた風の刃、あれは光に聞いた
「見覚えがあるかな? これは多様な人造人間を作り出してきた副産物だよ。少し私の体をいじってあるんだ。他の種族の遺伝子を体に打ち込むことでその種族の特徴を発現させることができる」
「自分の体を……そんなこと……」つぶやく光の声は少し震えていた。
「可能さ。私も
「なッ!? アンタもホムンクルス……!?」
来栖の言葉に驚きを隠せない月だったが、光は来栖へと声を荒げ、
「それならなぜ人造人間を作り道具のように使役させるなんてことができるのですか!?」
来栖は落ち着きはらった声で答える。
「私自身もその道具に過ぎないからだ。この世界をより豊かに、争いを限りなく減らし、人々が安心して暮らせる平穏を作りだすには誰かが犠牲にならねばならない。そして私は平穏な世界にとって、その犠牲への贄を作るだけの駒に過ぎない」
「そんなの誰だって平和を望んでる! でも、だからって誰かが一方的に犠牲になって報われない平和なんてあっちゃいけないでしょ!! アタシは絶対、そんなの認めない!!」
月の思いに呼応するかのように、体を包む影は天井に達するほど膨れ上がる。
「ほう、これが吸血鬼の力か。ぜひとも君の力も取り込みたいものだ」
「おっさんに血なんて飲ませるかよ!!」
伸ばした影を来栖の脇腹へとたたきつける。予想外の攻撃にノーガードだった来栖はたまらず苦悶の表情を浮かべ後退する。
月はルーポと戦った際の影を伸ばして敵を攻撃する方法を初めて実戦で――意識のある状態で使ったが思いのほかうまく扱えた。これなら
月は小さく、「よし、一気に畳みかける……!!」つぶやき来栖へとインファイトを仕掛ける。自身は格闘戦をしつつ影を多方向から繰り出し来栖をかく乱していく。
しかし来栖も月に対し反撃を繰り出し、そのうちのいくつかは着実に月の体へとダメージを蓄積させていく。
両者の根競べがしばらく続き一進一退の攻防が繰り広げられたが、その時は突然やってきた。
「はぁはぁ……アイツもマジに弱ってきてる、ここで仕留めきる!」
影を全開にして来栖へと一気に距離を縮めてドンピシャの位置へと拳を叩き込む。
だが――
「影が弱まったな」
当たってはいる、それでもダメージはほぼゼロに近く、来栖はすぐさま反撃にと月に膝蹴りを喰らわす。
月は自分の纏う影が薄くなっていることに気付いた。
「吸血鬼の力が無ければ戦えまい、諦めろ」
片膝を着き来栖を見上げるとスーツのあちこちに血の痕や破れがあり最初に見たものとは最早別物のようだった。だがその表情はに変化は無く、自分の信じる正義を貫こうとしているようにも見える。
「だれがっ! それに不本意だけどアンタの血を使って……ッ!!」
来栖を何度か殴りつけた右腕に薄く張り付いた血を舐めとる。しかし――
「まッッッず!! マジなにこれ!? アンタ毒でも混ぜた!?」
光の血はもちろん、
だがそれは今までに感じたことのない味だった。とてもじゃないが
「人造……人間……!? だからこんな味なの!?」
月の影は血を飲んだにも関わらず何の変化も起こらない。
「私たち人造人間の血は生きた血ではない。まがい物に上品さなどあるわけがないだろう」
「待ってください! それなら……それなら私は一体……私を作ったという話はどうなるのですか? この体は作り物の体では……」
月は光の血を何度か飲んでいるが今回のような反応はしたことがない。
来栖は慎重に、ゆっくりと口を開き、
「……人造人間が作った子は、果たしてどちらなのだろうな、光」
「作ったって、そういう……それじゃあ光は……ッ」
光は思いもしない言葉に呼吸が荒くなる。ありえない。自分は人造人間だ、父親がこんな人間のはずがない。自分のなかで何度もそう言い聞かせる。
「お前は、妻にそっくりだ。その腰まで伸びた長い髪も、透き通るような優しい瞳も、困っている他人をほっておけないところも」
そして目を伏せ「……まるであの時の
来栖は胸ポケットから細かい彫刻の施されたシルバーのペンダントを取り出し光へと投げ渡す。中には楽しそうに笑う女性の映った写真が入っていた。
「『
「まさかアンタ、光のお母さんまで実験台に――」
「ふざけるな!! だれがそんなこと……ッ」
今まで冷静であり続けた来栖は月の言葉に声を張り上げた。予想外の反応に少女たちは驚いたが、それ以上に動揺したのは他でもない来栖自身だった。
「君はこれまでに一度でも“ホムンクルス”という言葉を聞いたことがあったか? いいや無いだろう、なぜか分かるか? 私たちはこの世界に認められていないからだ!! そんな奴が子供でも作ってみろ、私だけじゃない、妻も娘も好奇の目に晒されることだろう!!」
心を落ち着かせようとするも堰を切ったように言葉が溢れる。
「……だから彼女は施設のひとつ、お前が暮らしたあの場所で産むとふたりで話し合って決めた。その時はまで普通の実験施設だった。もちろん人道的なだ」
過去を語る来栖の目は時折悲しそうに遠くを見つめていた。
「お前を産んでからしばらくして彼女は病気で死んだ。別に出産が原因では無い、誰でも起こりうる病だ。その時彼女は私に約束を迫った。必ず――」
何かを言いかけたがすぐに口を閉じ、愁いを帯びた瞳で光を見つめなおす。
「必ず
「それなら、なんで実験施設になんて閉じ込めたの」
「私との関係を知られないようにしたかった。出産の際も外部の口の堅い闇医者に頼んだ。……守るなど言っておいて、私はお前を遠ざけたかったのかもな。だがそのせいで部下が娘まで商品にしようとしていたとはな……」
自分の生まれを知ってから一言も話さなかった光は静かに来栖を見上げる。
「あなたは社会をより良くするために自分自身のことをそのための道具だと、そして子供たちをも商品として扱ってきました。……なのに自分の娘だけは守りたい? ふざけないでください、あなたは間違っています」
「……あぁ、私はいつからか、いや最初から間違っていたのかもな……。だがもう後に引くわけにはいかない。光、お前は私の元へと戻ってもらおう!」
「んなことアタシがさせない!!」
ふたたび両者はにらみ合う。
――――どうにか光の血を貰わなきゃ……でも怪我させるなんて……。
とやかく言っている状況じゃないのは分かっているが、それでも戦いのために光の体に傷を作るのはどうしても考えたくなかった。
「力を失い血を求めるか? まるで欲に溺れた吸血鬼だな」
「溺れてんのはアンタのほうでしょ」
強がって見せるも限界は近かった。
「第二ラウンド開始だな……!」
その時――
――突如ビル全体が揺れた。
ふたりは体制を崩し互いに距離を取り合う。
「ちょっと、地震!?」
「いや、どうやら下のやつらがはしゃぎすぎているようだな」
絶対にキョンがやらかしたに違いない、月が考えていると、
「ル、月さん……」
後ろから小さく光の呼びかける声が聞こえる。振り返る一瞬、来栖の顔に焦りの色が見えたのを月は見逃さなかった。それにより一層光に異常事態が起きていることが容易に想像できた。
「嘘ッ、光!!」
部屋の外側に面する一面ガラス張りの、この部屋に入る際月が蹴破ってしまったあのガラス窓の、その場所で光の指が全体重を支え耐えていた。
月はすぐさま光の元へと飛び出すが元々体力のない光には耐えることなどできるはずもなかった。窓枠から離れたその手を掴もうと手を伸ばすが届かない。光はそのまま地上へと吸い込まれていく。しかし月は迷うことなく夜明けの空へ向かって飛び込んだ。
「光!!」真っ逆さまに落ちながら叫ぶ。
持てる力の全てを振り絞り影の翼で光を追う。
「月さん!!」光も月を迎えるように手を伸ばす。
徐々に互いの距離は縮まっていく。
「光のことはアタシが絶対に守るから、だからアタシの傍に、隣にいて!!」
月が光へ向かい影の翼を羽ばたかせる。しかしそれと同時に翼が、体を包むように覆っていた影が消えた。
――――ヤバッ、力使いすぎた!?
それでもふたりは手が触れ合う距離まで近づくことができた。
「それなら月さんのことは私が守ります!」
ついに互いの手は固く結ばれた。そしてすぐ、月は光にぐっと引き寄せられ――
柔らかな朝日の中、ふたつの唇が重なった。
「光……」突然のことに驚く月。
それは光の行動に対してもだが、またあの時と同じ現象が起きたからだった。
「血を飲んでないのに、また……」体からあふれ出る赤黒い影で翼を作り宙に止まる。
「麗子さんに教えてもらったんです。唾液は血液とほぼ同じ成分だと。だから血を飲まずとも力が出せるのではないかとも言っていました」
これだと持続時間は短いですけどね、と申し訳なさそうに光ははにかむ。
「これなら、光を傷つけなくても戦える……!」
光は少し驚き、「月さんそんなこと考えていたんですか?」困ったように照れ笑いをする。
「~~ッ! だって、光を守るために光を傷つけて戦うなんておかしいじゃん!」
「ふふっ、でももうこれからはそんなこと考えなくても済みますね」
その言葉に月は顔を真っ赤に染めながらはぐらかす。
「とにかく!! ふたりで来栖を止めに行こう!」
光は力強くうなずく。月と出会ってまだたった数日、それでももう何年も共にしてきたような感覚だった。最初は施設から逃がしてくれた麗子のもとへ向かうための護衛から始まったこの関係も、ついにはすべての黒幕である来栖京也を倒すというところまできた。これが終われば月はまた普通の高校生活に戻るだろう。そして自分自身は来栖の手により作り出された『
つまり、これがふたりの最後の――。
「光、行くよ!!」
いつの間にか来栖のいる階層まで飛び上がっていたらしく、月に掴まっている光は同じく部屋の中へと飛び込んだ。
「生きていたか。それにまた、
「……傷はつけてない」
来栖は鼻で笑い、「そうか、まぁなんでもいい」建物全体が軋む。外からはサイレンの音が聞こえ始める。
「……もう終わりだな。どいつもこいつも……私自身も、流石に暴れすぎた。今回のことで
来栖は何かを小さくつぶやき、「さぁ来い! これで最後だ。一発、殴りたかったのだろう?」
両腕を広げ迎え入れるかのようにふたりを見下ろす。
「君たちがこれから戦おうとしている相手はたかが一企業ではない。もっと巨大なものだ。その覚悟があるのなら、ここで私を降していけ!」
光はその言葉に迷いが生じる。このまま月を更なる戦いに巻き込んでしまっていいのだろうか。月には月の生活がある、“これから”がある。こんな社会の闇の部分に引きずり込むようなことを――
「光!!」
初めて月と会った時、迷うことなく自分に手を差し伸べてくれた。危険を顧みず自分を守ってくれた。そう、この月という少女とは――
「コイツぶっ倒して子供たち全員助けよう、ふたりで!!」
「はい!!」
ふたりは互いの手を固く結びあい、来栖の元へ走り出す。月の影は月自身だけでなく結ばれた手を伝い光をも覆っていく。ふたりの大きく後ろに引かれた拳には赤黒い影が纏われ、同時に来栖へと伸びていく。
ゴッ、と鈍い音とともに来栖の腹にふたりの拳がめり込む。足の踏ん張りの効かなかった来栖は耐えきれず後ろへと吹き飛ばされ壁に叩きつけられるも、それでも勢いは止まらず壁さえも壊し隣の部屋まで転がっていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます