第4話

 鳴り響く警報音に三人は驚いたが、この春鳥製薬の社長である麗子れいこにはこの音の意味がすぐに理解出来た。

「誰かがここの敷地内に入り込んだみたいね」

「え、昼間会ったふたりかな!? あのキョンって子マジ強かったから次はヤバいかも」

 そう言ったあと、去り際までずっとやかましく暴れていたことを思い出し自然と苦笑いが出た。

「大丈夫ですよ、また私の血を使ってください。ルナさんが血を飲めば勝てない相手なんていませんよ!!」

 光の顔色はまだ本調子からは程遠く、それでも月のことを気遣い勇気付けるひかりらしさが見て取れる。

「でも……アタシは――」

「ふたりとも、すぐにこの工場から出るわよ!」

 麗子の言葉に遮られた月はどこかホッとしたような表情で、気にしないで、と呟くように声を出す。光もそれ以上は何も言わず――何も言えずに後を追う。


 三人は息を切らしながら生産ラインのある作業場へと辿り着く。ここまで侵入者に会うことはなく、このまま気付かれずに工場を出て安全な所へ身を隠そう――

「どこ行くつもりかなぁ、お嬢ちゃんたち」

 この作業場唯一の外への出入口にその男は立っていた。

「悪いけど多少手荒いのは勘弁してねぇ」

 月たちの後方、研究所へ通じるこれまた唯一のシャッターが締まり始めた。と同時に出入口に立つライダースジャケットを着た四十代ぐらいの赤毛の男が徐にシャッターの開閉ボタンを押し外への道も塞がり始める。

「閉じ込めてアタシたちと戦うつもり?」

「私も援護するわ!」

 臨戦態勢に入った月を援護するため、麗子は眠ったままの小鳥ことりを光に預ける。そして白衣の内側から特別製の注射銃シリンジガンを取り出し目の前の男へと銃口を向けた、その時。

「おかあ、さん……?」

「小鳥ちゃん、目が覚めたんですね!」

「小鳥!!」

 今まで弱っていく一方だった愛しの娘へ視線を移すが見違えるほど良くなった顔色に安堵しすぐ銃口の先へと視線を戻す。

「小鳥ちゃん、体に痛いところとか変だなって感じるようなところはありませんか?」

「お姉ちゃん……? ううん、大丈夫」

 小鳥のキョトンとした表情に光はホッとした。今まで施設で幾度となく採血が行われてきたが、その血が何に使われてきたかは詳しくは知らされていなかった。だからこそ今初めて、自分の手でひとりの少女を助けることが出来た実感を得て未だかつてないほどの喜びを感じていた。

「このお姉ちゃんが小鳥を治してくれたの?」

「そうよ、光ちゃんっていうのよ。とても心の綺麗な子よ」

 麗子は長かった地獄のような日々の終わりとふたりの少女への償いの気持ちで目の前が滲んで見えた。

「光お姉ちゃん……ありがとう!」

 小鳥は笑顔いっぱいの感謝を光に伝え、麗子は目の前の戦いに集中すべく必死に涙をこらえ、月は自らに影を纏い全神経を目の前の男に向けていた。

 四人の背後のシャッターは完全に閉まり、外への出入口も閉ざされようとした時――


 のすぐ脇を風が追い越していった。


 麗子にはただ風が吹いたようにしか感じなかったが月にはそれが見えていた。何者かが光を攫っていく瞬間が。

「光!!」

 閉まるシャッターをくぐるように、何者かは光とともに外へ飛び出していった。

 攫われた光、攫っていった何者か、目の前にいる赤毛の男、麗子、小鳥。一瞬だが月がこの状況に理解し最適解を導き出そうとした時、小鳥の後ろ姿が閉まるシャッターの向こう側へと消えていった。

「お姉ちゃん!!」

「小鳥!! 待ちなさい!!」

 麗子が叫んだが既に遅く、工場内には月、麗子、赤毛の男の三人になっていた。

「麗子さん、早くコイツ倒してふたりを追わなきゃ!」

「ええ、そうするしかなさそうね」

 赤毛の男は背後にあるシャッターを振り返りニヤついた表情で、

「可哀想に。あのちっこいの、こっちに残っていれば優しくしてあげたのになぁ」

 赤毛の男はゆっくりとした足取りで距離を詰める。

「そっちの子、結構若いよねぇ。もしかしてJKってやつ? おじさん緊張しちゃうなぁ」

 舌なめずりをしながら革の指ぬきグローブを付けた手をコキコキと鳴らす。

「麗子さん、戦闘が始まったら下がって援護お願い」

「分かってるわ……月ちゃん、ごめんなさいね、まだ子供のあなたに前に出て戦わせるなんて」

「ふふっ、知ってるでしょ? アタシ、マジで結構強いってこと」

 十メートル、九メートルと次第に距離が縮まっていく。

「へぇ、月ちゃんかぁ。可愛いねぇ。おじさん、ルーポ・ルーっていうのよ。よろしくね、月ちゃん」

 互いの距離が五メートル程になった瞬間、月は赤毛の男――ルーポへと向かって走り出す。同時に麗子は注射銃シリンジガンを打ちながら後ろへ下がるが、弾はルーポに難なく躱されてしまう。

 直後月はルーポの頭目掛けて鋭い蹴りを放つが容易く掴まれてしまう。

「駄目じゃない、女の子がスカートでハイキックなんて。はしたないよ〜?」

「スパッツ履いてっから!!」

 足を掴まれたそのままで飛び上がり、体を捻ってルーポの手を振りほどく。そしてそのままもう一度頭目掛け蹴りを入れる。

「うぉっ、怖いねぇ、最近の子は」

 やはり容易に防がれる。

 さっきはああ言ったがやはり自分は血を飲まなければ強くなど――

「いけないねぇ、戦闘中に考え事は」

 重いボディアッパーが体全体に痛みを突き刺す。月の軽い体は空中へと持ち上がり勢いを失うことなく後方へと吹き飛ばされる。そのまま生産ラインの何かしらに使われる大型の機械に背中から叩きつけられる。

「がッ……はぁッ……!」

 影は纏っていた。だがそれでも、防御越しに月の体へと深いダメージが確実に伝わっていた。

「おじさん強くしすぎちゃったかな?」

 強い。まだこの男が本気を出していないことは分かる。だからこそ、自分との実力差が大きく開いていることも。それでも軋む体に活を入れ、どうにか立ち上がろうとする。

「女の子を殴るなんて、クズな男ね」

 ルーポの後方十メートル程の位置から麗子が注射銃シリンジガンを撃つが、先程と同じく最低限の動きで躱される。

「お姉ちゃん、さっきもそれ撃ってきたけど俺には当たらないよ――あれぇ?」

「れ……麗子、さん……?」

 ルーポの避けた注射器型の弾は月の太ももへと突き刺さっていた。

「あらあら、これ大丈夫なの? 中身毒でしょう」

「あら、ここがどこだか忘れたの? 製薬会社よ。毒より薬の方が作り慣れてるに決まっているでしょう」

 月は痛みの引いた体を跳ね上がらせ、背中を向けているルーポへと渾身の拳を叩き込む。

「ぐッ、ごぉぉッッ!!」

 ルーポの体は勢いよく前方へと大きく飛ばされ床をゴロゴロと転がっていく。

「大丈夫、月ちゃん?」

「麗子さん、なんとか……てかこれ何、アタシ何打たれたの?」

 自分の足に刺さる注射器を引き抜きながら空になったそれを麗子に渡す。

「鎮痛剤よ。ただし、私特製ちょっと強めのモノだけどね」

「そっか、ありがと……あ、でもその、アタシにうっかり毒を打つとかはマジやめてよ……?」

「あら、光ちゃんがいるじゃない」

「ちょっと!!」

 合間のガールズトークで盛り上がるふたりをよそに、ルーポは何事も無かったかのように立ち上がる。

 服に付いた汚れを払い落としながら、「まったく怖いねぇ」と月の攻撃はやはり効いてはいないようだった。

「マズイわね、この男そうとう手練よ。月ちゃん、あなた吸血鬼なら私の血を吸って強くなるとかできないの?」

「で、できるけど……できない」

「なに、それってどういう……」

「寂しいねぇ、おじさんも交ぜてよ」

 ルーポはふたりに対し回し蹴りを繰り出すが、月が麗子をかばいながら真横へと飛んで避けたためそれは只々空を切った。

「月ちゃん、一度身を隠しましょう! 何か策を考えなきゃ」

 麗子の言葉に頷き遮蔽物に身を隠しながら距離をとる。幸いにもこの空間には大小様々な機械が並び見通しも良くは無い。

「あれれ、隠れちゃうの? まぁいいよ、どうせバレてるとは思うけど、おじさんただの足止め役なのよねぇ」

 そう言いながらもルーポは少し周りを探す素振りを見せる。足止め役とあって月たちがここを脱出しなければそれだけで良かった。

「本当は遊んでたかったけど」欠伸をしながら、「まぁのんびり待ちますかねぇ」

 そして傍にあったパイプ椅子に腰掛けくつろぎ始めた。


 * * *


「これくらい離れとけば大丈夫そうね」

 月たちは少し離れた、ルーポからはすぐには見つからないであろう場所に身を隠した。

「それで、あなた結局血は飲めないの?」

「飲める、けど……ダメなんだ。アタシ血を飲むと暴走するの、理性が飛んじゃうの」

「でもそれは一時的なものなのでしょう? 今のあなたがここにいるのがその証拠だわ」

「そうだけど……」

 血を飲みルーポをいち早く撃破し光たちを追う、これが最善の策だと月は理解していた。だがどうしても過去の事が頭から離れない。

「……“血を飲む”ことじゃなく“暴走”の方に何かありそうね」

「ッ……」

 光にも話せなかった事だ。吸血鬼としておこしてしまった失敗。

「麗子さん、アタシ……」

 月の声は震えていた。だが打ち明けることで何か変わるかもしれない。

 月は話し始める。

 光と出会うまで唯一の親友であったべんあし明日華あすかとの話を――




 それは月がまだ小学三年生に上がったばかりの頃。

 今でこそ理解が広がったことや多種多様な亜人との共生のあり方が確立されたことで吸血鬼を恐れる者が減ってはきたが、当時はまだ恐れを抱くものは多かった。他者の血を吸い生きるもの、闇夜に紛れて襲うもの、眷属を増やすもの、そういう生き物であると皆恐れていたからだ。それは人間だけでなく、亜人までもがそうだった。

 もちろん月はその吸血鬼の内のひとりだ。つまり、月はいつもひとりだった。

 ある時自分の暮らす施設へと帰る途中、見知った顔を見掛ける。

「あれは……同じクラスの黽さん?」

 まだ学年が上がり二週間ほどしか経っていなかったが既に周りの子たちはそれぞれで打ち解けあっていた。だがもちろん、月には誰も近づかず、また月も周りと交友を深めようなどとはしなかった。そんな月だがクラス全員の名前はしっかりと覚えていた。本来の真面目な性格であるゆえか、やはり自分も周りと打ち解けたいと思っていたからか……。

 ともかくこの時のふたりはまだ親友ではなかった。月にとってはただのクラスメイトであり、赤の他人だった。

「隣にいるのはお父さん、じゃないよね?」

 明日華の隣を歩く肥満気味の男は父にしては少し若すぎる印象だった。それに明日華の顔からは恐怖の感情が見て取れる。間違いなくこれは何らかの事件だろう。

 月は一度も話したことの無いクラスメイトを助けるために駆け出した。震える足を無理やり黙らせて。

 路地裏へと入っていったふたりを見失わないよう急いで後を追う。何度か道を曲がりしばらくするとふたりは立ち止まり男は明日華に手を伸ばす。

「――ッ、あのッ!」

 その手が明日華に触れる寸前、月は男を呼び止める。

「うぉっ、なんだ君。こんなとこにいちゃ危ないよ」

 男は少し焦った様子で月に戻るよう指示をする。その間もチラチラと明日華の方を何度も見ては目を泳がせている。

「その子、アタシと同じクラスの子です! アナタは、その……その子の何なんですか!?」

 月は精一杯子供なりにこの男をどうにかしようと努力した。だが男は怯むどころか開き直り、

「……チッ、めんどくせぇガキだな。お前も可愛いし静かにしてれば痛くしないから、こっち来い!」

 と、月の手首を捕まえる。恐怖で体は動かず頭の中が真っ白になる、その時。

「その子を離せ!」

 明日華が男へ向かい走り出し、拳で何度も男を叩く。

「鬱陶しいな!!」

「きゃっ!!」

 ごッ、と鈍い音と共に男の拳が明日華の顔を殴り飛ばす。

「あー、やっちった……」

 明日華の口元からは血が線となり零れてゆく。その血は殴られた衝撃で辺りにも飛び散っていた。それは月の顔にも……。

「お前ももう抵抗すんな、黙ってついて――なッ、なんだ!?」

 月の体からは赤黒い影が伸びていた。そして目は赤く染まり、口からは鋭く尖った牙が二本伸び、小さくうぅぅと唸り声を上げている。

 それを見た男は逃げようとしたが自分の腕に違和感を覚えた。いつの間にか月を掴んでいた腕はあらぬ方向を向いていた。それに対し絶叫をする前に月は男が少し浮き上がるほどの力で腹を殴り上げる。絶命こそしなかったがあまりの痛みで男は気絶してしまった。

 それを見た明日華は月へと駆け寄る。

幸守こうもりさん、だよね? ありがとう、助けてくれて。怪我とかして――」

 

 バヂッ!!

 

 自我のない吸血鬼に平手で叩かれた少女はそのまま地面へと吸い込まれるように倒れていった。

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