第3話

 工場と思われる建物のシャッターが開き、中から現れた白衣の女はその口ぶりから探していた“協力者”であることは間違いないだろう。

「“ひかり”……そう、あなた光っていうのね。あの施設ではC-9シーナインと呼ばれていたから名前は知らなかったわ」

「この名前はルナさんが付けてくれたものです。私が自由に生きられるようにと」

 光が嬉しそうに口元を緩ませて月の方に目をやると、月も少し照れたように笑みをこぼす。

「あなたはアタシたちが探してた“協力者”ってことでいいんだよね?」

「ええ、そうよ。春鳥はるとり麗子れいこ、ここ春鳥製薬の社長よ」

 今日はちょうど休みだから、と月たちを工場の中へと案内する。休みということで生産ラインは動作を停止しており、三人の歩く音が工場の中に響いていた。

 奥の方に通路があり、その先にいくつか部屋が並んでいた。中は小規模ながらも小難しい機械が並び、机の上には注射器やらメスやらが置かれていた。どうやら薬の開発などもしているようだった。


 いくつか部屋を通り過ぎ滅多に使われないのであろう飾り気のない客間に通された月たちは、ソファに座り昨日からの事を話した。

 いくつか言葉を交わし、ついに気になっていた事を質問することにした。

「麗子さんはどうして私をあの施設から助け出してくれたのですか?」

「そうね……あんな実験のためだけに子供たちの自由を奪い、用が済んだらどこかへ売り飛ばす、もし命を失ってしまってもお構い無し。そんな事を平気でする連中から救ってあげたかったからかしらね」

 あの施設では子供たちをどこからか調達してはある程度の教育を施す一方、日常的に人体実験が繰り返されていた。月はそういう施設なんだろうという漠然としたものを感じてはいたが、本人から直接聞くわけにもいかず今初めて光の過去を知れた気がした。

「やっぱアイツらマジでサイテーじゃん、どうにか他の子たちも助けられないかな」

「それは無理ね。何人の子供たちがいるのかも分からない上に、後ろにいったいどんな組織が絡んでいるのかも分からない。助けだすなんて現実的じゃないわ」

 事実、既に何人かの“追跡者”に襲われている。最初のゴーレムにしても逃げ出した程度で街に被害が出てもお構い無しだった。余程の権力者かそれにコネを持つ者ぐらいにしか出来ないことである。

「……それなら、なぜ私だけを助けたのですか?」

 突如三人に緊張が走る。

「助け出すのが現実的ではないと理解しながら、なぜ私を? それに施設の行いを悪と言っておきながらなぜ何度も施設へ来ていたのですか?」

 月の頬を冷や汗が伝う。これは罠だったのか?

 麗子はゆっくりと口を開いた。

「……光ちゃん、あなた自分の血の力についてはどれぐらい知っているの?」

「……傷を癒すことが出来ます」

「それはどれくらいの傷まで? 病気は治せるの? それならどの程度? 力の使い方は? 直接血を飲ませるの? それとも血を使って薬か何かを作るの?」

 麗子は淡々と光に問いかけ、最後に一言、

「あなたの血はいったい、どう使うの?」

 その表情は何かを覚悟したようだった。

「……教えません」

「そう。それなら――」


「自分で見つけるわ」


 麗子は白衣のポケットから銃を取り出し光へ向けて撃ち出す。それにいち早く反応したのは月だった。

 今の今までその場の空気に飲まれ一歩も動けずにいたが、光が危機的状況であると体が反応し腕から伸ばした影で弾丸を止めた。

 否、それは注射器だった。

 麗子の銃から撃ち出されたそれは通常の弾丸ではなく何か液体の入った三、四センチ程の注射器だった。だがその注射器も月の影により光に当たることなく床へと落ちる。

「光に何してんだよ!!」

 次弾を装弾する麗子へと月は駆け出す。通常の銃ではなく注射器を撃ち出す特別製、そもそも恐らく銃そのものに慣れていないであろう麗子の手元は少し震えていた。それが不慣れが為か、はたまた――――


「おかあ、さん……?」


「――ッ!?」

 月の拳が麗子を捉えようかとするその時、部屋の入口にひとりの少女が現れた。

小鳥ことり!!」

 麗子はその小鳥と呼ぶ少女の元へ駆け寄る。

「あなた体は、体は大丈夫なの!?」

「だいじょうぶ、だよ……おかあさんこそ、どうしたの?」

 小鳥の顔は青白く、その姿を見るに立っているのがやっとの状態だと分かる。

「大丈夫、大丈夫だから。もうすぐ良くなるからね、だからベッドで寝てよう、ね?」

 小鳥はチラリとふたりを見た。この状況を理解したのか、それとも何かを感じ取ったのか、力を振り絞り言葉を発する。

「……わたしのために、だれかを傷つけるのは……やだよ」

「小鳥……大丈夫、絶対良くなるからね。お母さんが必ず治すからね」

 麗子がそう告げると体力の切れた小鳥は糸が切れたように倒れ込む。

「小鳥!!」

 麗子は倒れた小鳥を抱きかかえベッドへと運ぼうとした。

 月は状況を飲み込めぬ中、目の前の少女をなんとか助けようとした。

 そのふたりがそれらの行動へと移す前に、既に光は自らの手をメスで切りつけその血を小鳥の口へと含ませていた。

「光!?」

「光ちゃん、あなた……」

「私は……あなたに一度救われています。私の血がどれ程効くのかは分かりませんがやれるだけのことはやります」

 この部屋へと着く前にいくつかの部屋を通り過ぎた際、その内の一部屋からこっそりとメスを拝借していた。

 小鳥は口に含まれた光の血をなんとか飲み込む。すると徐々にだが小鳥の顔に血の色が戻り始め呼吸が安定し始めた。まだ幼い少女にとって、失われた体力を取り戻すにはまだ時間が掛かるようで今はただ静かに寝ているようだった。


 

「よかった、血を飲ませるだけで治ったみたいですね」

 安堵の表情で小鳥を見つめる光は血を失ったこととこれまでの疲労とで体力が底を尽きかけていた。

「大丈夫? とりあえずソファに座って」

 月がソファへと手を引こうとすると、

「こっちに空きのベッドがあるわ、使って」

 麗子は眠ったままの小鳥を抱き抱え別室へとふたりを案内する。

 その部屋にはベッドがふたつ置いてあった。小鳥を寝かせたベッドには、すぐ隣に点滴スタンドや数種類の薬の乗った台などが置かれている。所々血のようなもので汚れていることから小鳥の症状は重度のものであったことが伺えた。

 月は空いている方のベッドへ光を寝かせ髪を優しく撫でた。あの時ふたりの作り出した空気に気圧されギリギリまで動けずにいた自分が情けなく、また苛立ちを感じていた。

 また同じような事が起きた時に自分は動けるのだろうか。今回はたまたま実弾ではなかったから無事だっただけではないのか。もし次に光になにかあったら――――

「ごめんなさい、月ちゃん。私はふたりに酷いことを……」

 麗子の言葉でハッと我に返る。 

「まぁ……そうだね。確かに良くないことだったと思うけど麗子さんにも事情があったんだよね? 今度こそ、ちゃんと聞かせて欲しいかな」

 ベッドで横になる光もふたりの会話に耳だけは傾ける。

 麗子は小鳥の頭を撫でながら静かに語り出す。

「わかったわ。まずは私がこの子にの話――――」




 それは七年前の事、あの日は少し曇り空だった。

 会社に寝泊まりをすることの多い私は、その日の朝もこの会社で目が覚めた。いつも通りの、なにも変わらない朝だと思っていた。

 だけど、事務所のドアを開け外に出ると足元に木のかごが置いてあった。そこには白い布に巻かれた生まれて半年程の赤ちゃんが眠っていた。私はすぐ、この子は親に見捨てられたのだと思った。私の両親は既に他界しているし、他に頼れるような友人もいなかったからどうしていいのか分からなかった。

 私が右往左往している間に最初寝ていたその子もいつの間にか起き出し、挙句泣き始めた。とりあえず赤ちゃんを抱き上げ体を揺らしてみた。それでも泣くばかりで、もしかしたらお腹が空いているのかも知れないと思った。ミルクなんて無いから冷蔵庫に入っていたリンゴをすり潰してあげてみた。するとその子は懸命に口を動かし生きようとした。

 あぁ、この子はまだ何も知らない。だから前だけを見ていられるのだ、と。

 私はこの子を守りたいと思った。見守っていきたいと。

 程なくして正式に養子として私の娘になることが決まった。どれほど嬉しかったことか。

 この子は人間では無かった。有翼人ゆうよくじん、恐らくハーピーだろう。それでも、ハイハイを覚え、立ち上がり、歩き、言葉も覚え私に花冠を作ってくれた。それだけでこの子は私の子であると、誇らしかった。

 このままふたりで幸せな暮らしをしていくのだと思っていた。

 だが、それは突然だった。

 小鳥が吐血し意識を失った。

 私は頭の中が真っ白になった。

 ただそばで小鳥を見つめることしか出来なかった。その時は工場の作業員たちが私の代わりに色々としてくれた。

 一時的に入院となったがいくら検査をしても原因は分からず、次第に検査のためにと病院を転々とするようになった。

 最初は元気だった小鳥も段々と口数が減り、目を開けている時間が減っていった。

 その間も医者は皆、原因が分からないから対処のしようがないと口を揃えて言った。

 そんな時ある噂が耳に入った。

「なんでも治る薬がある」

 それはとある実験施設で作られている。製造方法も、原料も、明確な効能も分からない。だがその薬は、と。

 噂を聞き、最初こそ疑っていたがその存在を追うごとにその薬へとのめり込んでいった。

 ついに薬を見つけることが出来た私はその施設にコンタクトをとった。施設の職員らしい男に連れられ向かった先は、表向きには使われなくなった廃工場のような場所だった。

 そこから地下へと降り、長い通路を歩いた。そこは壁も、床も、天井も、全てが鉄で覆われた場所だった。

 時折子供が目に入った。実験施設にいる子供たち。それだけでここで何が行われているのか想像に容易かった。

 しばらくするととある部屋の前で止められた。どうやらそこに薬はあるようだった。扉には“C-9”と書かれていて、中にはひとりの少女がいた。その顔に笑顔は見えなかった。

 男は血を欲する理由を聞いてきた。だがそこで正直に答えたら、小鳥は危険にさらされてしまうのではないか。この施設にはたくさんの子供たちが実験の素材として使われている。もし小鳥がそうなってしまったら……。

 だから、私も実験のために血が欲しい、と嘘をついた。

 だがそのために血を渡すことは出来ないと断られた。

 小鳥には……私には時間が無い。

 その“血”に対する知識もない。量はどれ程必要か、血を元に薬を作るのか、摂取方法は、効力は。

 そもそも本当に治るのか。

 幸いなことに、施設は製薬会社を経営している私に興味をもってくれたらしく施設への出入りを許可してくれた。何度か施設を訪れどうにか少女を連れ出す方法はないかと考えたが、やはり警備は厳重でどうするにしても危険が付きまとう。

 色々と考えるうちに、施設の悪行から少女は外に出たいと考えているのではないか、私が連れ出すのではなく自分から脱走したならば――


「後はあなたたちの知る通り。小鳥のために罪のない少女を傷つけようとし、あまつさえ施設に私の行いはバレて結局小鳥を危険に晒している。私は最低な親だ」

 

 静まり返った部屋の中、月がやっと口を開こうとした時、

「私はあなたを許します」

 ゆっくりと体を起こし優しい口調で光が話す。

「方法は良くなかったのかもしれませんが、自分の子供を守るためにあなたは必死だった。母としての愛情に嘘はなかったはずです」

 隣で光の瞳を見つめながら、あぁ、これが“光”なのか、と月は静かにその言葉を聞いた。

「私は両親に会ったことがありません。だから親の愛を知りません。でも、あなたが小鳥ちゃんを心の底から愛している事は分かりました。次は間違えないようにすればいいだけだと、私は思います」

「光ちゃん……本当に、ごめんなさい」 

 月は完全には麗子を許せないでいたが、自分がもし同じ立場なら、もし光の身に何かあったのなら、自分も冷静でいられるか分からなかった。

 もしもそんな時が来たとして、光のためなら――きっと自分は麗子と同じ事をするだろう。たとえ周りの人間を危険に晒してでも。

 

「……ねぇ、これからどうするつもりなの?」

 当初の目的であった協力者のもとへ向かうことは達成した。しかし未だ“追跡者”への不安は残ったままだ。このまま隠れ続ける訳には行かないし、光と二人で逃げ続けるのも無理だろう。 

「私は……まだあの施設にはたくさんの子供たちがいます。その子たちを、私は助けたい」

「アタシは……」

 光に危険な目にあって欲しくない。

 そう言いたかった。だが光の目を見てその覚悟の大きさを知り、自分も共に歩いていきたいと思う。

「やっぱり光たちをこんな目にあわせてるヤツが許せない! マジで一発ぶん殴ってやんないと!!」

「あなたたちを巻き込んだのは私、何でも協力するわ」

「まずは施設を動かしている人物の手がかりを探さないとですね」

 光の言葉に、麗子はひとつの手がかりを伝える。

「そういえば私、あの施設で聞き覚えのある声を聞いたのよね」

「聞き覚えのある声、だれの声なの?」

「それが思い出せないのよね……」

「聞き間違いとかじゃ――」

 

 その時、建物内に警報音が鳴り響いた。

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