第一章 清継復縁プロジェクト
第2話 友達になろうなんてわざわざ言葉にする人は友達になろうとしていない
「なあ、元カノ。男女の友情って成立すると思うか?」
「次その呼び方したら殺すわよ」
淡白に脅迫されると同時に、俺の左手の甲に
まだ人の心はあるらしい。
「
「私がマジだったら、芯を突き刺してるところよ。眼球にね」
わーい、それに比べたらすごく優しいや! なんてなるわけないだろう。発言者が男女逆ならDV容疑で捕まりそうだ。
初めての失恋から一カ月と少し経った四月。この俺、
高校二年の春、最初の登校日。
行き交う生徒たちのざわめきに連れられて体育館へ向かえば、その壁面には新しい季節を告げるように、クラス分け表が大きく掲げられていた。
指先で自分の名前をなぞり、その名簿に従って二年一組の教室へ歩みを進める。
そして、扉を開いた瞬間——
貼り出されたばかりの席札の隣には、かつて心を重ねた元彼女。向崎 恋花が、まるで時だけそっと置き去りにしたかのように座っていたのである。
最初に俺を目にした恋花は、この偶然を呪うかのように一瞬顔を歪めて見せたが、それきり挨拶や談笑の一つもありはしない。
別れてから会話は勿論、電話もメッセージも一度もしていなかった。まだ振られて一カ月、正直未だに未練があると言えなくもない。
俺は嘆くようなため息を吐く。
「あれから俺達、一度も会って無かったろ。だからこっちから気を遣って話題を振ったんだよ」
「気が利いてるのかそうでないのか分からない呼び方しないでくれる? 周りの子たちに清継君と付き合ってたなんてあまり知られたくないんだけど」
「何故だ、誇っても良いくらいだろう。」
「あなたのそういうところは普通に嫌いだった。自信家で俺様気質。外見と人あたりが良くなかったら人間として終わってたわよ」
言葉の一つ一つが刺々しくて心臓が痛い。別れて以降、俺はもはや『良い人』から『どうでも良い人』にクラスチェンジしてしまったらしい。普段から気遣いの欠かさない恋花にここまで正直に貶されたのは初めてだ。こいつ、俺と交際中は猫被ってやがったな。
眉を引きつらせる俺を気にせず、恋花が続ける。
「女子の世界はね、清継君が思っている以上に色々面倒なの。ほらあなた、学年の人気者でしょ? 私達が付き合い始めたって噂が広まった時も大変だったのに、その人気者を私が振ったなんて知られたらどうなる事か」
恋花がどこか遠い目をしている。もしかして俺の知らないところで一悶着あったのかも知れない。『私達の唯一神、清継君に何してくれてんの、ちょっと校舎裏来なさいよ』的な。
いやしかし、恋花は男女問わずクラスの人気者だったし、誰にでも可愛がられる羨ましい特性を持ったやつだ。いじめようだなんて考える不届き者がいれば、伏兵達によって逆に返り討ちに合って晒し首にされているだろう。その線は無さそうだ。
「女の友情はハムより薄くて角砂糖より
「そ。私が清継君を捨てたーみたいな噂になれば流石に印象悪いかな。応援してくれてた子もいっぱいいたし」
「じゃあ俺に振られたって事にすればいいだろ」
この愉快で素敵な俺を手離した事を不服に思う者がいるのなら、いっそ俺に捨てられたとでも言った方が都合が良いだろう。別にその後俺がどのような言われをされようとも気にはならんし。
そんな意図で言ったつもりなのだが、恋花は虚を突かれたように目を丸くしていた。
「あなたって本当に人が良いのね」
「それが俺のモットーだからな」
「でもお断り。私が決めたことだし。その後の事は都合良く清継君に押し付けるのなんて出来ないわ」
まあ、そんな事を言うだろうなとは思っていた。繰り返しになるが恋花は清廉潔白を体現したような人だ。都合の良い時だけ他人の背にもたれ掛かろうとは決してしないのだ。
そういう所も好きだった。なんて虚しい感情だ。
俺はふむ、と鼻を鳴らして納得した事を示す。
「それは俺達が友達でいたいからか?」
「は? そんな訳ないでしょ」
え、何それ語気が冷たい。言葉鋭い。胸痛い。
一瞬にして、向けられた視線が道にへばり付いたガムでも見るかのように、冷酷なものへと変わる。『友達に戻らない?』一ヶ月前にそう言ったのは
恋花は苛立ちを表すように、手にしていたシャープペンシルで机をカツカツと叩いて音を鳴らす。
「清継君さっき言ってたよね。男女の友情って成立すると思うか、だっけ?」
俺が最初に振った話題だ。何の気無しに問いかけたつもりが、恋花のお気には召さなかったらしい。
表情だけは写真で永久保存したくなるくらいとびきりの笑顔なのだが、向けられたそれは元恋人に向けられた物でも、ましてや友達に向けるような物でも無かった。質問の答えを続ける。
「あり得ないわね」
「何でだよ」
「どちらかが必要以上に歩み寄ろうとするからよ。友達だったつもりでいても、いつかどちらかがその均衡を崩すでしょうね。」
「そんなのわからないだろ。お互いが一線を
別に恋人になる事ばかりが男女の付き合いでは無い筈だ。そう信じていたのだが、恋花は俺の心を見透かしたような顔をする。
「じゃあ清継君、私達がこれから友達として仲良くなったとして、今までみたいに一緒にご飯食べたり、ゲーセン行ったりしたとしましょう。その帰りで私がこう言ったならどうする?」
「何だよ」
少しだけ俺の耳元に近づいて、恋花はその耳先を撫で上げるような声で色っぽく囁いた。
「私の家に来ない? って」
「襲いますね」
「死ねば」
即答だった。光の速さだった。俺が脊髄反射で答える事も恋花に見透かされていたのであれば、自分自身が惨めでならない。
でも今は敢えてそう答えて、この殺伐とした空気をアットホームな雰囲気にしてやるのが正解でしょうよ……
ほんの少しの間だけ無の時間が流れ、俺は笑って取り繕う。
「いや冗談冗談。前みたいに気兼ね無く遊びに行ける関係、それだけで十分じゃないか」
半分以上冗談だったのは本当だ。襲うどころか手を繋いだ記憶があったかも怪しいぞ。
「どーだか。結局、女の友情がハムだとか砂糖だとか言う前に、男女の友情なんて蜃気楼よ。実体なんてありはしないの」
「友達に戻らないかって言ったのは恋花の方だろ」
俺がほとんど負け惜しみのようにそう言うと、恋花はこの世全てに失望したかの如く特大のため息を吐いた。
「信じられない。もしかして私が文字通りの意味で友達に戻りたいって言ったと思ってるんじゃないでしょうね」
「さ、流石にそこまで俺も馬鹿じゃないぞ。でもワンチャン友達でいたい説もあるかなーって」
「ワンチャンもツーチャンも無いわよ。私達は今日からただのクラスメイト。それ以下はあってもそれ以上はないの。仕方ないから一年仲良くしましょ、はい自己紹介終わり。あとこれから私の事は恋花じゃなく
一秒でも早く会話を終わらせたいのか矢継ぎ早にまくし立てられると、窓をぴしゃりと閉めたようにそっぽを向かれる。
これほどまでに心の距離を置いた自己紹介があるか。これでは石を投げながら仲良くしようと言ってるようなものではないか。
俺は一カ月前から何の進歩も無いのか、更に遠い存在となった恋花の様子を呆然と見つめ言葉を宙に浮かせるのだった。
見計らっていたように、予鈴が鳴って、いよいよ新学期が始まる。
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