薔薇色のチャイルドフッズ・エンド

倉木さとし

第1話 色盲少女は薔薇の色がわからない

五味ごみくん? 屁こいだ?」


「こいでませんよ。そうやって、聖里菜せりなはえげつないにおいを僕のせいにしようとして」


「アホか。自分ちゃうんやったら、うちやのうて翼やろ――ホンマに、この子は。毎日、ママが教習中のタイミングで、狙ったようにブリブリしよってからに」


 悪臭の源と共に移動しながらも、一歳の山地翼やまじつばさは一切動じない。プラスチックの哺乳瓶を酒瓶のように煽って飲む姿は、酒好きママドル山地魔夜やまじまやの姿と重なる。

 オムツ汚れを自覚して泣かれる前に、五味と聖里菜は手分けしてマザーズバッグから必要なものを取り出していく。新しいオムツ、おしり拭き、オムツ用袋、オムツ替えシート、うるおいクリーム。

 準備ができ次第、五味は翼をオムツ替えシートの上に寝かせる。すぐに寝返りを打とうとするので、おしゃぶり代わりに哺乳瓶をくわえさせておく。


「さてさて、今日はどんな感じかな――うわっ、はははははは」


 覚悟を持って、翼の腰の両サイドから紙おむつを裂いて下に広げた。予想以上の量に、五味は笑うしかなかった。

 前開きになった状態のオムツの内側部分で、あらかたのを巻き込む。オムツを二つ折りにし、外側の面をお尻の下に敷いた。

 聖里菜がおしり拭きを何枚も翼の股の上に投げてくれた。教習所の託児スペースは暖房が効いているとはいえ、冬のウェットシートは冷たかったのだろう。シートに触れた瞬間に、いやだいやだと、全身で抵抗する。


「はーい。ちょっと我慢してね。じっとしてたら、すぐに終わるからさ」


 おしり拭きはふんだんに使っていく。長引いたらろくなことにならないので、まだ拭けるスペースがあるのに、おしり拭きがもったいないとか、ケチケチいっていられないのだ。


「にしても、手慣れたもんやなぁ。うちよりオムツ交換うまいやん」


「同じ条件下なら、聖里菜のほうがうまくオムツ交換しそうだけどな」


 聖里菜は髪の先端から足のつま先まで、美人なギャルだ。当然のように手の爪も長く伸びており、オムツ交換の難易度を自ら上げている状態だった。

 いまは五味のサポートに徹し、翼の手が股間をいじらないように抑えているのだが、いまの聖里菜には、それさえも難しそうだ。


「謙遜せずに、素直に喜んどけ。それが男子高校生ってもんやろうが」


「一理ある――じゃあ、僕ならイクメンの役も出来ちゃうかなと、調子にのっとこうかな」


「その言葉嫌いやねん。イクメンパパやらなんやら」


「オムツ交換なんざ、やって当然のことだもんな。なのに、手伝った男連中を褒めるための名前を用意しましたって感じが嫌いなのか?」


「ちゃうわ。やる方が多数派になったら、少数派の吊し上げがはじまるん目にみえとるやろ。育児に参加せーへん、あほんだらはこいつやってな感じでな。仕事の都合や病気とかで、育児に参加できへん理由とか、そいつらは耳貸さんタイプやん?」


 少数派が肩身の狭い思いをするのは想像が容易い。マニュアル免許取得をしようとしている五味や聖里菜は、この自動車免許教習所では少数派だ。

「わざわざマニュアルをとると、時間とお金がオートマ限定よりかかる」役者仲間の言う通りだ。「どうしてもマニュアルが欲しいなら、オートマ限定を先にとっていて、必要に応じて解放すればいいではないか」ダンサーよ、それも正しい。

 そんな中、聖里菜は「付き合っとった男が走り屋やったねん。運転免許ならマニュアル一択やろ」と迷いがなかった。


 共通した教習の先生がついた時に、五味は聖里菜と比べられてしまう。どこかで運転の経験がなければ、納得ができないほどに、聖里菜の筋がいいと先生も太鼓判を押している。

 あの長い爪は、運転の時も邪魔だと思う。ものともしないのは、昔の男の影響に決まっている。


「なんにせよ、自分の子どもとちゃうのに、オムツ替えやるアンタはすごいで。終わりにクリームまで塗ってやりよるしな」


「一二月の乾燥したお尻に潤いは必要だからな」


「ほな、あとオムツとズボン履かせるんは、うちがやっとくで。ごみ捨てして、手、洗ってきーや」


「おっけー、さんきゅー」


 折りたたんでテープでとめたオムツと、汚れたおしり拭きをオムツ用のゴミ袋に入れる。

 ゴミ袋をみていると、山地親子と初めて会った日を思い出してしまう。


『パンが入ってる袋は、オムツ用のゴミ袋に代用できるのよ』


 オムツを捨てる袋がマザーズバッグに入っていないのに気付いた魔夜は、テレビ番組に出演した際に得た知識を五味にいきなり語ってきたのだ。あとからきくと、教習前の腹ごしらえに菓子パンをちょうど食べていたから、五味に話しかけたそうだ。

 パンを微糖珈琲で流し込んだ五味は、そのままなし崩し的に翼のオムツ交換を手伝うことになった。

 はじめての手伝いは、さきほどの聖里菜のように腕をおさえるぐらいだった。それすら、うまくできずおっかなびっくりだったのを思えば、ずいぶんと進歩した。五味の才能は運転よりも子育てで光るのかもしれない。

 可能であるならば、俳優として輝きたいものだ。少なくとも、この芸能人御用達の教習所での中では、せめて一番になりたかった。


 ゴミを捨ててから石鹸で手を洗っていると、どこかからクラクションが聞こえてきた。おおかた、魔夜が間違って押してしまったのだろう。教習中に、一日一回は押しているのだから、彼女もマニュアル免許取得に手こずっているようだ。

 一九七六年産まれの魔夜の世代は、男女関係なくマニュアルをとるのが常識だったそうだ。オートマをとるのが少数派だった時代も、あるにはあったのだから面白い。これから先の時代だと、古代スキルになりそうな予感があるというのに。

 なんにせよ、主流派というのは、時代によって入れ替わるのだ。だから、育児に協力的な男性が将来的に増えたっておかしくはない。それが、一時的なブームとなるのか、定着するのかはまた別問題である。

 つまり、定着するためには、一度はブームを起こして浸透しなければならないのだ。

 それを芸能界ではと呼ぶ。


 アイドル冬の時代に歌っていた魔夜にも、一度は売れるチャンスがあった。

 魔夜の曲の中で一番売れた『らびあんろーず♡』は、アイドルソングのMVには珍しく、魔夜が一秒も登場しない。話題性に全賭けした方法で勝負して、一部で狙い通り話題になった。

 ただし、それは曲ではなく、ドラマ仕立てのMVが評価されただけだった。

 MVを撮影したのは、カーアクションのVシネマのシリーズを劇場版までこぎつけた実力派の監督だ。

 ストーリーとしては、色盲の少女がオレンジ色のバラを、青色のバラだと嘘をつかれてプレゼントされる。少女はバラを大事にするのだが、騙されているのを知っている周囲は憐れんだり、バカにしたりする。だが、実は少女は青色のバラではないとわかっていた。青いバラの花言葉である『奇跡』ではなく、オレンジ色のバラの花言葉である『無邪気』さを肯定していたのだと最後にわかる。


 わずか五分足らずの映像で、もちろんセリフなんてものはない。通常の味付けならば、ネガティブな物語になりそうな要素も多いのだが、魔夜の歌う希望に満ちたアイドルソングと見事にマッチしている。スイカに塩をかけることで、甘みが強化される感じだ。

 二〇一二年の現在、違法アップロードされたものでなければ、この映像は視聴できない。

 色盲の役を見事に演じた子役が、大手事務所の若手アイドル俳優と揉めたせいで、色々と面倒なことになったせいだ。

 本人が笑い話のように語っていた。

 色盲の少女を演じたのは、当時中学生の星野里菜ほしのりなだ。いまでは免許をとれる年齢となり、一歳の魔夜の子どもと見慣れぬ玩具で遊んでいた。

 星野里菜は芸名で、本名は空野そらの聖里菜だ。


「お、帰ってきた。ほな、さっき出来たポットン落とし見せたげよーや」


 聖里菜の長い爪が、プラスチック製のバケツの蓋を叩いた。かぶせているだけで簡単に取り外せそうな蓋には、三角、丸、四角、星、十字と五種類の穴が空いている。

 翼は自分のまわりに散らばっていた円柱形のブロックを拾い上げると、器用に丸のところに通していった。


「おお、すごい天才や」


「ほんとだ、すごい、すごい」


 得意げになった翼は、聖里菜が差し出してきた別の円柱を受け取って、また丸い穴にポットンと落とす。

 二人でまた褒めて拍手すると、翼も真似して拍手をしながら、喜びの奇声をあげる。

 穴と同じ形をしたブロックは二個しかないようで、次に翼が手にしたのは星の形のブロックだ。ブロックの形が変わったのに、丸い穴に力任せに入れようとする。いくら体重をかけても入っていくはずもない。


「そない、無理やりやっても入らんで。やさしーしたっても入るんやで。ほれほれ」


 お手本として、星型のブロックを優しく聖里菜が落とす。翼はまじまじと見ていたのに、変わらず丸いところに押し込もとうとする。

 五味が星型以外の四つの穴を手で隠すと、ようやく星型の穴にブロックを入れはじめる。だが、星は丸とは違って向きを合わす必要もあるので、正しい穴なのに、まだまだ苦戦している。

 何度も諦めずに繰り返すうちに、結果は実る。ようやく星型のブロックがバケツの中に落下する。落下音のなんと心地良いことか。


「ほらな? 正しい穴はいつでも、受け入れる準備しとるんやから」


 一度で理解することも飽きることもなかった。翼は何度も試して覚えていく。ブロックが全てバケツの中に収納されると、蓋を取り外して中のブロックを再び外に出す。

 ときおり、五味や聖里菜がサポートしたり、お手本をみせたりする。そうやって、少しずつ翼が覚えていくのに、確かな手応えを感じていた。自分の子供ではないという無責任さが、育児にゲーム感覚をもたらしているのだ。

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