第7話 朝の風景
シズクは救急車に運ばれた。
字面だけ見れば、恐怖を駆られるものだが俺の心にはチリ一つもその気持ちが湧かなかった。
こういう事態は珍しくなくて、結構頻繁に救急車を呼んでいるからだ。
救急隊員の人にもちろん顔は覚えられてるし、119を使いすぎて、その救急側が俺の連絡先を登録しているくらいだ。
いまでは、「事故ですか、事件ですか」という前置きはなく「いまどこ?」とだけ聞かれるまでになった。……友達かな?
俺は机に突っ伏し、体中の力が抜けるのを感じていた。
疲れた。マジで疲れた。朝にこれだけ疲れるのはいつものことだけれども、慣れる気がしない。
項垂れながら、ほっぺたを冷たい机に押しつけて熱い身体に涼みを得る。
……あっ、そういえば田中さん(顔見知りの救急隊員)におみあげを渡すの忘れてた。
そんなことを考えていると、後ろから声がかけられた。
「ケンタ君。今日もいつも通り、疲れてる顔してるね」
「おー、マル。まぁ〜な。そんないつも通りは嫌だけど……んなぁ?!」
後ろを振り向くと、俺は目がつぶれるかと思った。
マルはアルカイックスマイルをまき散らし、とんでもなく顔が腑抜けていたのだ。
俺がその輝きに目を瞑っていると、マルはその笑顔のまま首をこてんと傾げた。
「どうしたの?」
「お前、何があったんだ。表情がとろけてるぞ。なんか、嬉しいことでもあったのか?」
「えっ?! い、いやぁ、別にうれしいことなんて何もないですけどぉ~」
「嘘つくな、わかりやすすぎる。表情だけでなく、語尾もとろけてるぞ」
マルは体の輪郭すらグニャグニャとさせて、喜びをまるで隠しきれていなかった。いつもの陰気な雰囲気は見る影もなく、輝きまくっている。
俺が追求すると、マルは「ばれちゃった」とでも言いたげな得意げな表情になり、俺はごくりと唾をのむ。いったい、マルに何が……っ。
「こんなにうれしいのは初めて学年一位取ったとき以来だよぉ」
マジかよ。相当だ。もしかして、宝くじに当たったのだろうか。それとも、念願の「クロシロ」の新刊が出たのか。
俺はなんとなくマルの姿を見て、何が起きたか推測する。しかし、そのどれもが彼をここまで喜ばせる動機になる気がしない。
俺が興味深そうにマルをじっと見つめていると、マルはその期待に応えようと、口を開き始めた。
「じ…実はさ」
「あ、あぁ」
「昨日、―――例の…あ、あの子とリアルで話すことに成功したんだっ!」
マルは言い終えると、顔を真っ赤にして掌で顔を覆う。
「ま、まぁ…訳ありではあるん…あっいや、なんでもない。けど、話せたのは事実だし…」
マルが今までに見たことのないくらい、興奮している。
例のあの子? 例のあの子と言ったら……要は、昨日話していた気になる女の子ってやつか。なるほどなるほど。その子と『リアル』で話した、と。なるほどね。
「それは……おめでとう」
俺の口から自然とその言葉が漏れた。
シンプルな祝いの言葉だった。それはもう、心からの祝福。俺はぱちぱち、と手から祝福の音を鳴らした。
すると、マルは俺の反応が意外だったのか、目を丸くして驚いていた。
「あれ? 祝ってくれるんだ」
「あぁ、それはそうだろう。今まで人類ができなかったことをやってのけたんだから」
俺がそう誉めると、ぽかん、とマルは呆気に取られていた。
「え? 自分で言うのもなんだけどそこまで偉大なことじゃ……」
「いーや。偉大なことさ。お前の愛が次元を超えて相手に伝わったってことだからな」
「そ、そうかな……そう言われればそうかも?」
「あぁ、だから。もっと自分に自信を持て」
俺は夢見る英雄に現実を見せないよう、肩にそっと触れて問いかけた。
「それで……画面の中の彼女はなんて言ってたんだ?」
「いや、ボクの好きな女の子、画面の中にいないから」
俺が笑顔で問いかえた質問に、マルは真顔になってばっさり切り捨てて答えた。
俺はそのマルの対応もどこ吹く風、逆鱗に触れてしまわないように
「あぁ…すまん、悪かった。お前の好きな人は現実にもいるよな」
「本当にいるからね! あの、ほんとに二次元とかじゃないから!」
「はっははっ。嘘をつくなって。今回はなんだ?『シロクロ』のクロたそか? シロたんか? この色ボケ野郎め」
「いやだから、二次元じゃないって」
「そんなわけがない。お前が現実の好きな女子に積極的に話しかけられる肝っ玉を持ってるわけがない。『今度こそ話しかける』って言っといて、二十年は話しかけられないのがお前だろ?」
「二十年後って逆にそっちの方が勇気いるよ!」
マルがじっと、視線で睨んでくる。
「え? 本当に?」
俺は疑心暗鬼を隠せずに問いただすと、マルは「だから、そう言ってるじゃん」とおおきく頷いた。
しかし、俺はそのマルの反応の本質を脳が理解すまで膨大な遅れが出て……ようやく。
「ええええええええええええっ!」
大声と共に理解が追いついた。
え? うそ。マルの好きな人って三次元なの? リアルに存在するの⁉
「えっ? 例のあの子って三次元なのか?」
「そうだよ? 当たり前じゃん」
「それで、その子に話しかけたのか⁉」
「ま、まぁ。結果的には…そうかな」
マルのその返答に俺は膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……馬鹿な……っ」
「え? なに。もしかして、二次元キャラに恋をしてるとか思われてたの? あげく、そのキャラにリアルであったとか言うやばい人だと思われたの?」
「あぁ!」
「『あぁ!』じゃないけど⁉」
そんなわけがない。マルが三次元の女子と普通にしゃべっただと……? 今の話はきっと夢の中での話だ。それか、マルは幻覚を見ているに違いない。都合のいい幻覚を見たんだ。
「お、俺は信じないぞ」
「頑なだね。そこまでのこと…?」
マルはやれやれ、といったように首を横に振る。
この余裕の表情。まさか…本当なのか? しかし、それが、本当ならばマルに先を越されたことに……っ!
俺が悔しさに唇をかみしめると、マルはにやりと意地悪い顔で俺を見る。
「それで…? 男気一筋のケンタママはどこまで進んだのかな?」
「ぐっ」
「まぁ、まだ勝負開始から一日しか経ってないしね。僕が早すぎるだけか」
「ぐがが」
怒涛のあおりを致命傷でかわしながら、唇を噛みしめ悔しさを必死に押し殺す。
「じゃあ、仕切り直してもう一回、祝ってくれるかな?」
「ぐっ……がぁ」
俺は精一杯不協和音が出るように掌を重ねて音を出しながら、恨みを詰めて言葉を発する。
「まぁ……おめでとうとは言っておこう。この下衆野郎」
「最初とずいぶん対応が違うじゃん」
マルはそう言いつつも、気持ちよさそうに口元を緩めていた。
「それで……好きな人って誰なんだ?」
「それは…言えない」
俺が聞くと、マルはぷいっとそっぽを向いて口を固めた。
「なんでだ」
「だって……今教えたら、いろいろ妨害されそう」
「はははっ、そんな最低なことするわけないじゃないか」
くそ、感づかれたか。
俺は小さく舌打ちし、ひそかに電源を入れていた盗聴器の電源を切った。
まぁ…いい。好きな人を特定するなぞ、造作もないことよ。必ず、近日中に見つけ出して、関係性をめちゃくちゃにしてやる。
しかし、思ったよりもだいぶハイペースだな。これはなにか遅延策を練らないとな。最低でもプランを十個は作るぞ。
「それで、ケンタ君は進展がないことに疲れてそんな顔をしてたの?」
「ふふっ。冗談きついぜ。俺が疲れた顔してるのは今日だけじゃないだろ?」
いじわるそうにニヤけ面を浮かべるマルを尻目に俺は笑いながら、額に青筋を立てる。
(見てろよ、この色男が……っ、俺の受けた惨めさ、同等いや倍以上にして返してやる)
俺は神に復讐を誓っていると、俺は苦し紛れに言葉を続ける。
「そもそもの問題、俺が彼女を作るのは難易度が高いんだ」
「性格が悪いからね、近づいてくる女子が少ないのも無理はないよ」
「そうじゃない、ぶちのめすぞ」
俺のどこが性格が悪いんだ。少なくとも、マルよりかは性格は良い。ってそうじゃなくて、
「俺にはシズクがいる。あいつの面倒を見なきゃなんねぇから。彼女を作るんだったら、彼女側にそのことを理解してもらう必要がある」
俺にとって、彼女を作ることももちろん重要だが、シズクのことも重要だ。
俺が神妙な顔で言うと、マルも神妙な顔になって、
「なるほど、つまり…―――二股かけるのが前提ってことだね。最低だよ、ケンタ君」
「ちげぇよ! シズクの母親と約束してんだ、あいつが高校三年間楽しくいれるように、見といてくれないかって、だからそのためにこれは必要な条件なんだ」
そう言うと、マルは「二股みたいなものでは?」と小首を傾げる。
俺はすぐさま否定すると、「だから」と話を続けた。
「俺の彼女理想としては…シズクも一緒に引き取る覚悟で一緒にいてくれる人だな」
「なんか条件が再婚する子持ちの母親みたいだよ、ケンタ君」
「これだけは譲れない。せめて、高校三年生が終わるまでは我慢してほしい」
「さっきから高校二年生が背負うものじゃないよ…」
マルがそう言うと、力なくしゃがんで額を俺の机にくっつけた。
力や体力のないマルは数分立っていると、この状態になる。
シズクの病院送りと同じくいつものことなので黙っていると、マルは急に顔を上げた。
その表情は何だかワクワクしており、眼鏡の奥の瞳がキラキラと光っている。
「というかさ、シズクさんと付き合ったらだめなの?」
「………またか」
俺はつい、面倒臭さ全開のため息をつく。いったい、何回この問答をしたことか。
「いや、だってさ。いつも仲いいし。お似合いだし、そうしたら色々解決するじゃん」
色々って……俺が彼女できたら困るんじゃないのか、お前は……
キラキラ瞳を光らせるマルを呆れた目で見やる。
マルはラブコメが好きだから、そういうものに理想があるのだろう。
進んでくっつけてこようとはしないものの、こういう風によく二人の仲を聞いてくる。
この際、言っておくか。ここは現実、お前の見てる世界とは違うのだと。
俺は空気を肺に入れ、溜めて話し出した。
「あのな、この際言っておくぞ。見た目は大人しくてクールガールのシズクだが、中身は―――小学生だ」
「真面目に酷いこと言うよね、ケンタ君」
「だから、さっきの『二股』とか言ってが、そんな不健全なことじゃなくて。―――子供が一人ついてくるって考えてくれ」
「高校生が抱える条件としては、十分不健全だよ」
「それに、一番気にしないといけないことが抜けてるぞ」
「気にしないといけないこと?」
小首を傾げて疑問符を浮かべるマルに、俺は指を刺して答える。
「シズクの気持ちだよ。あいつも一応高校生なんだから、俺じゃなくて気になる異性とかいるだろ」
『付き合う』ことに対して一番重要なのは、やはりその当人同士の気持ちだろう。
やれ、お似合いだとか、いつも一緒だとか。そんなの第三者視点から見た感想でしかない。
当人たちにとっては普通のことでも、周りが勝手に特別にして「付き合えばいいじゃん」なんてお節介以外の何者でもないのだ。
周りの勝手なお節介のせいで、好きでもない相手と交際する羽目になる。そんなのバッドエンド以外の結末はあるのか?
断言する、ない。
元々あった、友達関係すら崩壊して、何も残らなくなるだけだ。
すると、マルが露骨にジト目になり、まるで俺をお咎めるような視線を向けてきた。
「……なんだよ」
「いや、くたばれと切に願っただけ」
「なんで?」
本当になんで?
今のでくたばれと思われなきゃならないんだ。
今度は俺が頭に疑問符を浮かべていると、マルはハッとした顔で周りを見回す。
「それで、今日はそのシズクさんが見えないんだけど、なにかあったの?」
「今日は…頭から階段を転げ落ちて、今病院だ」
「ん? 守れてなくない?」
マルの指摘に、俺はそっぽを向く。
「……まぁ、シズクは大型トラックに引かれても、一時間後には無傷になって帰ってくるからな。これくらい平気だ」
「守る必要ある?」
「……今更だろ、それにいつも通り感あるだろ」
「そうなんだけどさ、それをケンタ君が言ったらおしまいだと思う」
しかし、ふとマルが言った。
「でもさ、このいつも通りって思う感性、わりと異常だよね」
「あぁ。それは俺も最近思う。シズクが救急車の運ばれてるとき、いつも通り過ぎて、心の中で『平和だなぁ』って思ったときは自分でもびっくりした」
「重症だね」
「あぁ、間違いなく」
「でも、僕も受け入れつつあるのが怖いよ。最初会った時、冷泉さん体中包帯ぐるぐる巻きで腰を抜かしたのが懐かしく感じる。本物のミイラが出てきたと思ったんだから」
あぁ、それは確か、東西南北すべての方向から、シズクに向って車がぶつかってきたときの話だな。なつかしい、もう一年も前か。
「そうそう、全身包帯の人間が現れることなんてないからな」
「まぁ、そうだよね」
二人で笑いあっていると、
「〝お〝はよう」
また、後ろから声を掛けられた。この声はトモだ。
しかし、その声はしゃがれていて、覇気がない。なんだろう、風でも引いたのだろうか。
「あれ? トモ君、なにそのこ……」
マルが声の聞こえた方向に顔を向けると、その瞬間、マルの表情が停止した。
「ん? どうした? マル」
俺はそれを怪訝そうな表情で見た後に、俺もその声が聞こえた方向に首を動かした。
そこにいたのは―――ミイラ男だった。比喩でもなんでもなく、ミイラがそこにはいた。
体中は包帯で巻かれて、髪の毛は焦げ落ち、ふさふさだった髪がダメージを受けて、変色している。
俺たちが何も言えずにいると、ミイラ男は包帯の隙間から少し見える瞳から、一粒の涙を流す。
「こんなん…なっちゃった…」
その声はしゃがれていて、悲しさを帯びていた。まるで、すべてを失った人間のようなそんな悲壮感が彼を包んでいた。
「そう……か」
何があったかは怖くて聞けなかった。でも、とりあえず、俺はミイラ男にハンカチを差し出した。
「あっ……かぁっ……」
そして、マルは腰を抜かせていた。
***
<健太視点>のようなマークがタイトルにあれば、そのキャラとヒロインの関係がメインの話になります。
今回の場合のように、何も書かれてなければ、キャラクター同士の交流が主になります。
第一章は<丸喜視点>が多いです。
気になるキャラクターが一人でもいれば、とてもとても嬉しいです……っ!
ハート、フォロー、ホシ、はちゃめちゃにください! 夜に吠えるほど、喜びます。
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