あこがれについて要請で考える。
あこがれについて要請で考える。
なにかに、あこがれることはある。しかし、これまで、あこがれられる側になったことはあるだろうか。至極、安直かつ単調かつ、頭脳を焦がさない範囲で想像するに、あこがれられるためには、あこがれられるに値する、いわば、いまにもあふれでるあこがれ感を無責任のまま放ち、気軽に光溢れる午後の町を歩いただけでも、あこがれがアスファルトへこぼれおち、さらに、あこがれられることにより、応募全員サービスくらいの特別なことでもなれば、あこがれられることは、難しいのではないか。では、なぜ、あこがれられなければならないのか。いや、べつに、どうしても、あこがれられたいという気持ちはない。
どこにも、ない。
そうさ、わたしには、なにもない。
だが、そこはあえて、深堀せずに、気ままにコマを先に進めてみれば、いまの自分には手に入らない、他者からあこがれ、それを手に入れたいと心の渇望がしたとして、その渇望が心臓付近で踊り出し、騒ぎ出し、ゆくゆくは制御不能となって、言語、および行動で外部出力されたけっか、なんかさ、あの人、さいきん、奇妙な言動が目立つんだよね、と人から思われる人生がここに仕上がってしまうこともありえる。しかしそれでも、見てくれている人は見ている、まあまあ、しかたないさ、あの人には、あこがれがあるんだよ、あこがれがね。と、奇妙な言動が目立つ評価した人に対して、救済的な情報を放ってくれるかもしれない。そして、そういう人をみつけたら、あ、よし、あの人は味方だ、と思い、ついつい、全身全霊を持って、すり寄り、あこがれられる側になるための協力を要請をしてしまうかもしれない。しかし、そうした要請をしたことで、あ、いやいやいやいや、ごめんごめんごめんね、あの、でもそういうんじゃないんで。と、それまで味方だった、あるいは味方ではないにしろ、少なくとも敵ではなかった人が、ぱき、と、クリスピーな音を立てるように、味方とは真反対の敵に転じ、けっきょく、そうさ、この世界には、自分の味方なんて、誰もいないんだ、と、世界という単位の大きい絶望を登場させる方向になりかねない。しかし、それでも、きみはひとりで、でも、やるしかない、あこがれる側になるために、この歩みを止めるわけにはいかない。となる。
だってさ、このままじゃあ、故郷へ帰れないじゃないか。
でも、まあ、帰るけど。実家で飼っている犬に会いたいし。
だから、あこがれられる側になるための、あれこれは、ほどほどに。
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