ひなまつりを猫登場で考える。

 ひなまつりを猫登場で考える。

 もし、猫を飼っていたら。さらに、猫を飼っている家で、ひな人形を飾っていたとしたら、やつらはきっと、ひな壇をのぼる可能性がある。たとば、かりに、三、四段あるひな人形を飾っていたとして、猫が段をのぼる可能性はありえる。そして、段の頂上にたどり着いた猫が、ひな人形の合間に鎮座しかねない。頂上にいるメインの人形の合間に入って、鎮座したとして、そうなったとなると、もはや、ひなまつりは、ひな猫まつりになってしまうのではないか、別のまつりになる恐れがある。すなわち、屋内出入り自由な猫を飼うということは、ひなまつりを別のまつりに変えてしまう、つね、その危険性を含んでいる。さあ、ひなまつりだ、ひなまつろうぜ、みんな、と、意気込んで人形を設置してみたら、ふと見ると、猫が参加している、猫が合流している、そこにいる。いや、猫、猫よ、これは、きみをまつるために用意したんじゃないんだ、と、人語で説得したところで、猫に通じる可能性は低い、やつらは前足をなめているだけで、聞いていないこともある。むろん、未来になれば、猫と人をつなぐ言語疎通水準の技術が開発されているかもしてない。なあ、おい、猫、そこはちょっとだめだから、と伝えれば、猫側からも、あ、すいません、なんか、ここのトップの段にいれえば、特別に猫として、まつられるんじゃないかって欲が出て、、つい、その、出来心で、あの、いますぐどきますから、ええ、どきますから。という、会話ができるかもしれない。しかし、いまはまだその未来は来ていない。来てほしい未来だが、来ていない。だから、我々は、いまる手持ちにカードだけで、ひなまつりへ沈黙参加をしようとする猫と向かい合わなければいけない。かりに、猫が、ひな人形本体、あるいはひな壇に飾るレギュラー的な飾り、または準レギュラー的な飾りを倒す、破壊するという事態を引き起こした場合、猫を強制抱っこで、ひなまつりから遠ざける理由にもなる。しかし、それをしない猫もいる。状況はつねに、その猫の個々の資質によって一様に定義できず、語れず、解決方法も単一に設定できない。

 だったらさ、猫が入らない部屋に、ひな人形を飾ればいいじゃないのか。

 と、言ったとする。

 んー、ごめんね、うちには、そんなたくさん部屋がないんだ、家がせまくて、ごめんね。

 と、家族に悲しいことを言わせてしまうかもしれない。

 だから、いえない。

 だから、今年もまた、ひな猫まつり。

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