第7話
桜が満開の頃だった。歌子がやっていた廓の女がいじめられて、小間物屋惣兵衛のところに逃げ込んだところから事は始まった。廓の中でも、七文字屋の出す草子本は人気があり、遊女たちは競って買った。下働きの者はそれを見せて貰っていた。歌子は、それらの巻末の投票用紙を回収していた。遊女二人ほどがこれに異を唱えた。見せしめにいじめられ、我慢ができず、出入りしていた惣兵衛のところに泣きついたという次第であった。
「いえね、相談を持ちかけられて、あっしは関わりを持ちたくなかったのですよ。相手が悪いですやね。でも、聞けば聞くほどやり方がひどいので同情していました。家に逃げ込まれて来ちゃ、追い返す訳にもいかず。ここは紋太郎さんに知恵を借りたくって来たのですよ。何せあっしら〈かたぎ〉にはどうしたものかと思案八方なんです」と、惣兵衛から相談を持ちかけられたのである。かたぎの惣兵衛に迷惑かけるわけにもいかず、逃げ出した女から話を聞けば、紺屋のやり方にも腹が立ち、ここは中を取り持つしかないと、紋太郎は乗り出した。
七文字屋重兵衛に相談すると、金で解決するしかない。宇都宮宿の廓の亭主に知り合いがあるから話して見ると言うことであった。
その話を惣兵衛にすると、「乗りかかった船です、金子(きんす)なら、買値の上に幾分か積んでよぅござんす」と言ってくれ、宇都宮宿は引き取っていいという返事であった。惣兵衛が言ってくれた金子を上乗せして、歌子に話をつけに行った。
「ウチの子はどこにもやらないよ」と、云っていた歌子であったが、紋太郎が「じゃー、仕方がない。鬼怒川に話を持ち込むぜ」と云ったら、歌子は渋い顔をしたが、紋太郎の話で手を打ってきた。それはそれで解決したのであるが、歌子は頼母子講を使って順位表の票を買っていると惣兵衛から告げられたのだ。講とは当時身分や地域に問わず大衆的な金融手段として確立していた。紺屋はこの講元を引き受けていたのである。掛金を少し安くしてやる方法で投票用紙を買集めていたのである。
皆が、真剣になってこの順位に入りたいと研鑽、修行しているのに、許せないと紋太郎は思った。紋太郎は越山和尚のところに居た時に読み書きは教わっていた。書いてみたいと思ったこともあったが二行か、三行書いたらもう先には進めない。読むことに専念した。五位以下の人の作品も、毎回変わって楽しみにしていた。歌子の妖艶な恋物語は苦手であったが、飛翔の股旅ものは好きであった。孤独な無宿人の「あっしには、関わりないことで・・・」と吐くセリフにしびれた。勿論、一番好きなのはお夏の文であった。何時も歌子がトップでお夏は二位か三位であった。あんなに人気があるお夏が、どうして一番になれないかを紋太郎は知ったのである。
廓のいじめの話はいわば身内の話だが、この件は、皆がちょっとでも、上位になりたいものと、研鑽、努力しているというのに「許せない話」と紋太郎は思った。これを、『評判記』に投稿したのである。たどたどしい文だけ読者の共感を得た。次の巻には紋太郎を支持する文がずらりと載った。七文字屋も見過ごせないと思ったのであろう。
鬼怒川一家はここぞとばかり、この事実をあちこちに立札で宿の皆に知らした。票の一件、そして廓でのいじめの件もであった。役所以外の立札は禁止されていたが、代官は〈居眠り権兵衛〉と言われるぐらい能無しで、勿論、鬼怒川一家の鼻薬は十分に効いていた。
歌子からは、鬼怒川がいじめの件まで知っているのは、紋太郎が約束を破って鬼怒川に垂れ込んだと考えた。かくて、紋太郎は紺屋から「信用出来ない裏切り者」と、睨まれるようになった。いじめの件は惣兵衛しか知らないはず、「おかしな話だ」と紋太郎は思った。
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