第45話 母との時間

  ◇



「おい」

 プリメラへの折檻が終わった後。私はママに呼び止められた。……今までだったらまずあり得なかったことだし、もし声を掛けられても逃げ出していたかもしれない。

「ママ……何?」

 でも、私はもう逃げない。ママは威圧感が強いけど、それでも私を愛してくれているんだから、怖がる必要なんてない。……そんな簡単に切り替えられるものでもないけど、それでも逃げ出さずに話を聞くくらいは出来た。

「ちょっと面貸せ」

 ママはそう言って、私に背を向けて歩き出す。この方向は多分、ママの部屋だろう。

「……」

 私はちょっとだけ躊躇いながらも、ママの後をついていった。案の定、ママは自室に入っていく。ドアを少し開けたままにしてあるので、入ってこいということなんだろう。

「お邪魔します……」

 恐る恐る中に入ると、ママは部屋の窓から外を眺めていた。……初めて入るママの部屋は、色んな書類や本が散乱した、とても乱雑な空間だった。それらは多分、授業で使う資料なんかなのだろう。数学関係の本がやたらと多かった。ママって意外と片づけとか苦手なのかな?

「ほら」

 私に気づいたママは、窓枠を叩いて私を促す。隣に来いということだろう。

「失礼しまーす……」

 私はちょっと緊張しながらも、ママの隣に向かう。取って食われるなんてことはないと分かっていても、やっぱり少しだけ怖い。……ママに対する苦手意識は、私の人生に等しい時間を掛けて醸成されたものだ。頭では怖がる必要がないと分かっていても、体に染みついた感覚は完全に消えはしなかった。

「……」

「……」

 私とママ、しばらく二人揃って無言で外を眺めていた。何の変哲もない住宅街だし、綺麗な夜景や星空もないけど、いつもと違う部屋から見る光景というだけでどこか新鮮だった。そんなことを考えて、どうにか緊張を誤魔化していた。

「……怪我、してないか?」

 そうしていると、ママが呟くように問い掛けてきた。……今日の戦闘で負傷していないか聞かれた、ってことでいいんだよね?

「大丈夫だよ。……私、魔法少女なんだよ? そんなに柔じゃないよ」

「私が来るまで苦戦してた奴が言うか」

「うっ……」

 私の言葉に、ママが鋭い突っ込みを返してきた。……確かに、あの時の私は絶体絶命だった。ママが庇ってくれて、それでエボリューションフォームが覚醒したから何とかなっただけだ。そこを突っ込まれると痛い。

「で、でも、これからは大丈夫だから……多分」

「多分じゃ駄目だろ」

「うっ……」

 それでも何とか取り繕おうとするけど、相変わらずママは厳しかった。苦手意識がぶり返してくるけど、でもママは私のために厳しいことを言っているんだ。ここは堪えないと……。

「普段はあの馬鹿がいるからまだ安心出来たが、今日はそうじゃなかったからな……さすがに肝が冷えたぞ」

 ママが言っているのは、パパのことだろう。確かに、今日はパパが不在だった。どうやら、残ったボスクラスのアルに足止めされていたらしい。……パパがいない状態で戦うのは初めてだった。パパだけじゃなくて仲間とも分断されて、とても心細かった。そんな中、ママは体を張って私を守ってくれたのだ。

「ごめん……心配掛けて」

「ったく……」

 これ以上は見栄も張れないし大人しく認めるべきだと謝ると、ママは溜息を漏らした。

「……確かに、今はまだ未熟だけど、さ」

 それでも、私は言わないといけないことがあった。……私はまだ頼りない。ママからすれば、自立した大人とは到底思えないだろう。だから心配してくれるんだ。それは分かってる。

「でも、これからは。ちょっとずつだけど、私も少しずつ強くなっていくから。だから、これからは見守ってて欲しい」

 だけど、自立するって決めたんだ。仲間やパパに頼りきりになるんじゃなくて、私自身が強くなるって。その覚悟を、ママに宣言する。そうしないと、ママが安心できないから。

「言われなくても……今までも、これからも、どうせ私は見守ることしか出来ねぇよ」

「あ……」

 そう思った宣言だったけど、言葉を間違えたかもしれない。……ママは今まで、私を見守る以上のことは出来なかったのに。

「直接どうこうするのは、最初からあの馬鹿の役目だ。……そういうことは、あいつに言えよ。私に、見守る以外のことをさせるな」

 でも違った。ママは徹頭徹尾、私のことは陰から見守るスタンスだったのだ。今日は私が不甲斐ないばかりに、そのスタンスを崩させてしまっただけで。

「うん……そうする」

 だったらこれ以上は必要ない。あんまり言葉を重ねても、ママを不安にさせるだけだ。……もう二度と、ママが私を直接守らなくていいようにする。それが私のやるべきことなのだから。

「ったく……にしても、あの馬鹿といると人生退屈しねぇな。まさかこの歳で娘が増えるとは思わなんだ」

 私との話が一区切りついて、ママはそんな言葉を漏らした。……増えた娘というのは、プリメラのことだろう。やっぱりママにとっても彼女のことは色々衝撃的だったみたいだ。

「そういえば……ママ、プリメラのこと、娘って認めるんだね?」

 そこでふと気になって、私はママに尋ねてみた。……プリメラの登場は、ママからすれば完全に青天の霹靂だった。あれから日を跨いでるとはいえ、こんなにすんなり受け入れるのは意外だった。

「まあな……癪だが、どうしても他人とは思えねぇからな」

「?」

 プリメラを他人とは思えない? その言葉の真意が掴めず、私は首を傾げてしまう。

「由美には話しておくか……」

 そんな私の様子に気づいたのか、ママはそう呟くと、再び窓の外を眺めながら話し始めた。

「私とあの馬鹿の馴れ初めだよ。……それが、あいつと同じだった」

「馴れ初め?」

 始まったのは、パパとママの出会いについての話だった。それがプリメラとどう関係するのか分からないけど、とりあえず聞こう。

「当時の私は、今とは比べ物にならないくらいには荒れてたさ。喧嘩上等、何か気に入らないことがあれば、物でも人でも当たり散らした。壊した物や怪我させた相手は数知れず、自分が傷ついた数も同様に、って具合だ」

 語られる昔のママは、まるで絵に描いた不良のようだった。……ヌコワン曰く、ママは負の感情が強すぎるらしいけど、それが原因なんだろうか。

「そうやって無茶な日々を送っていたときだったよ、あの馬鹿と出会ったのは。……車道に飛び出した私が、トラックに轢かれそうになったんだ」

 それは、先日聞いたプリメラとパパのことを思い出させる内容で。だから、その先も何となく読めた。

「正直、死を覚悟するとか、そんな暇すらなかった。完全に思考が停止して、気がついたら体に衝撃が走ってて―――でも、怪我一つしてなかった。図体の馬鹿デカい野郎が、私を庇ってたからだよ」

 そして、予想は的中した。まるで、パパがプリメラを助けたときのようだ。私は現場を見てないから伝聞だけど、それをもう一度聞かされた気分になった。

「腕一本でトラックを止めて、私を庇った大馬鹿野郎。……それが、正雄だったんだ」

 そういえば、前にも似たようなことがあったって、治療をしていたお医者さんが言っていた気がする。あのお医者さんには、ママと出会ったときにお世話になったんだろうか。

「だから、あのプリメラとかいう小娘の話を聞いたときは腸が煮えくり返ったさ。……私との思い出と同じことを、他の女ともやったのかって」

 ママがプリメラと出会ったとき、パパが彼女をトラックから庇ったと聞いて明らかに機嫌が悪くなっていた。パパとそんな出会いを果たしていたのなら、それも仕方ないことだと思う。

「けれど、同時に安心したよ。……ああ、こいつは昔と同じまま、全く変わってないんだって」

 でも、パパのことを話すママは、どこか普段より目つきが優しい気がした。それだけ、パパのことが好きなんだろう。それがよく分かった。

「だから、プリメラが他人に思えないの?」

「そんなところだ。……まあ、あのクソ生意気な態度には拳の一発でも入れてやりたくなるが」

 ママもプリメラと同じシチュエーションで、パパに助けてもらっていた。だからこそ、彼女を娘と認めるしかなかったんだろう。パパとの縁の結び方が、全く同じだったんだから。

「とりあえず、あの馬鹿娘のことは任せたぞ。また粗相をしたら、容赦なくグーパン入れてやれ」

「グーパンって……」

 ママの言葉に、私は呆れつつも、その気持ちには共感してしまった。あの子はパパにベタベタしすぎだし、殴りたくなる気持ちは分からないでもない。とは言っても、さすがに本当に殴るわけにもいかないけど。

「あいつ元々人外なんだろ? だったら多少乱暴に扱っていいだろ」

「そんな無茶苦茶な……」

 プリメラは確かに元ボスクラスだけど、一応今は人間の体らしいから、そこまで粗末に扱っていいのだろうか……?

「まあ、やりすぎたらあの馬鹿が止めるさ。それに、私がやるより由美がやったほうが安全だろ。……お前も、あいつが酷い目に遭ってるとイキイキしてるだろ」

「……分かるの?」

「昔取った杵柄だよ。他人の不幸を笑う人間は見れば分かる」

 だけど、さっき折檻されてるプリメラを見ていい気味だと思っていたことは、ママには筒抜けだったらしい。……プリメラが助けを求めているのにガン無視して見物していたんだから、今更いい子ぶるなんて卑怯だったかもしれない。

「いいんだよ、それで」

 そんな私に、ママが急に優しい声色になって、そう言った。

「人間なんてそんなもんだ。普段は善人ぶって、でも気に入らない奴が苦しんでるとスカッとする。それが普通の人間だ。……私や、あの馬鹿みたいにならなくていい。由美は普通の人間でいろ。いい子に育つよりも、人間らしく育ってくれたほうが、私も安心する」

「ママ……」

 私の心を見透かしたような発言に、私はそれ以上言葉を紡げなくなる。……ママもパパも、感情が正負のどちらかに極端に偏った人間だ。ママもそれを自覚しているからこそ、私には自分のようになって欲しくないと考えているのだろうか?

「だから、あの小娘には遠慮なくグーパンしとけ」

「いやそれ、ママがして欲しいだけだよね?」

 なんかいい感じに話が纏まりそうだったけど、やたらとママがグーパン推ししてくるのを見て、「あ、これ完全にただの私怨だ……」と気づかされた。……でも、ママの言うことにも一理あるかもしれない。真っ当であろうとする心も、気に入らない相手が傷ついて喜ぶ心も、どちらも大切にしていかないと。それらに折り合いをつけていくこと。清濁併せ呑むというのが、あるべき人間の姿で、私が目指すべき大人なのかもしれない。そう思った。

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