白鬮木綿とお付き合いを始めて暫くは、とても楽しかった。何故なら白鬮木綿は、俺の求めていた彼女像を完璧に体現していたからだ。可愛くて、家事全般も得意で、それでいて束縛もしない。今まで付き合ったヒステリックな彼女たちとは全く違う。白鬮木綿と出会えたこと、そして付き合えたことは、運命とすら思った。そう本気で思っていた時期もあったのに。

 しかし時間の流れは、いつしか馬鹿で間抜けな俺の気持ちを変容させたのだった。付き合って1年ほどが過ぎると、「完璧な彼女」は「都合の良い彼女」へと変わってしまった。

 俺は何をしても怒らない白鬮木綿を良いことに、友人との予定を優先するようになった。それだけならまだしも、俺は最低なことに、自分に言い寄る面倒な人々のヘイトを、白鬮木綿へと向けてしまった。「実は彼女がいるから、残念だけど、本当に残念だけどキミとは付き合えない」と、そう言って。白鬮木綿へと向けられるやっかみ。一部過激な連中からは、直接的な嫌がらせを受けているようだ。

 それでも白鬮木綿は俺に一切相談することは無かった。だから俺は対策を何も講じなかったし、なんならさほど重要な案件だとは思っていなかった。最低なことに、女避けに役立つ「都合の良い彼女」であると、飲み会で話のネタにしてたくらいだ。


「久しぶりに行こっかな〜」


 思い出したかのように、俺は時々白鬮木綿の家に行く。一人暮らしの彼女の家はワンルーム。どんな時間に連絡しても、突然家に訪問しても、白鬮木綿は俺を温かく迎えてくれた。だから今日も今日とて、飲み会帰りの深夜、2週間ぶりに彼女へと会いに行くのだった。


「ゆーちゃーん!」


 ドアが開いて1番、俺は白鬮木綿へと勢いよく抱きついた。


「わっ! 木綿君? 久しぶり。夕飯は食べた? 何か作ろうか?」


 ほらやっぱり。彼女は俺を優しく出迎えてくれた。


「──あれ? 怪我したの〜?」


 白鬮木綿から離れると、彼女の頬が赤く腫れていることに気が付いた。口元も切れて、かさぶたができている。


「あ……。ちょっとね」

「大丈夫?」

「うん、大したことないよ」


 白鬮木綿がいつも通り笑う。多分この怪我も俺のせいで出来たのだろう。それでも俺は、全てから逃げるように、核心をつく質問はしないのだった。


「お家入って? 寒いでしょ?」

「うん! お邪魔しまーす!」


 白鬮木綿の部屋は、一言で表すと可愛らしい。薄い桃色を基調とした可愛らしい家具が敷き詰められ、バニラのような甘い香りがする。それでいて本が好きなようで、本棚にはぎゅうぎゅうに書物が詰まっていた。どうやら恋愛小説が多いようだ。そんなところも可愛らしい。

 しかしこの部屋には、一箇所だけ、可愛らしいに不釣り合いなモノがある。


「はい、お茶をどうぞ。もしかして夕食終わった? 飲み会帰り?」

「せいかーい! そんなことまで分かっちゃうなんて、さすが俺の自慢の彼女サマだね!」

「褒めてくれてありがとう。なにか食べる? もうお腹いっぱい?」


 この瞬間、俺は1つ意地悪な考えが浮かんだ。それを実行するために、白鬮木綿には部屋から外してもらわなければならない。


「あー。俺、あれ食べたいな! ゆうちゃんの作るナポリタン!」

「え? 今から?」

「そうそう! しょっぱい食べ物欲してるんだよね〜」


 白鬮木綿は冷蔵庫を確認すると、申し訳なさそうな顔をこちらへと向けた。


「ごめん。ウインナーが無いから、今から買ってくるね」

「え!? それは申し訳ないよ!」


 俺は口に出した言葉とは裏腹に、しめしめと心の中でほくそ笑んだ。


「ううん! 他にも買いたいものがあったから大丈夫。じゃあ行ってくるけど……」


 白鬮木綿の視線が、1つの洋服箪笥へと向かった。頑丈そうな鎖と錠前で固く閉ざされた、焦茶の洋服箪笥へと。


「分かってるって〜! 開けるなって話でしょ? でも鍵が無いと開けられないんだから、心配しすぎ!」

「そ、そうだね。じゃあ行ってきます」

「はーい! 行ってらっしゃい!」


 ドアがゆっくりと優しく閉まった。そして、足音は少しずつ遠ざかっていった。


「さてとっ」


 この可愛らしい部屋に不釣り合いなモノ。それこそ、この焦茶の洋服箪笥と、それに巻きつけられた鎖と錠前であった。


「実は、鍵を見つけちゃったんだよね〜」


 俺は立ち上がると台所に向かった。コンロの下の引き出しを開けると、調味料やフライパンなどが入っている。その奥、手をグッと伸ばすと────


「あったあった」


 以前遊びに来た時に、たまたまこの鍵を見つけたのだった。その時はどこの鍵かなんて全く分からなかったが、今日は何故かピンときた。


「宝探しみたいでワクワクするな〜。本当に錠前外せちゃったらどうしよ!」


 俺はそわそわしながら、鍵を鍵穴に挿した。すると予想通りにピッタリとはまり、錠前は呆気なく外れた。鎖もスルスルと床に落ちていく。


「やっば! ゆうちゃんに怒られちゃうかな〜? まあきっと大丈夫でしょ! なんでも許してくれるはず」


 俺はワクワクして、洋服箪笥の扉に手を添えた。中身はなんであろうか? 例えば高価なもの? もし金の延べ棒が入っていたらどうしよう。それか大穴で18禁のナニカって可能性もある。それならそれで面白い。


「ご開帳ー!……って。──は?」


 そこには何十冊、いや何百冊もの、ノートらしきものが押し込められていた。ノートらしきと曖昧に言ったのは、それらが全てボロボロだったから。誰かに破られて、誰かに刃物で切りつけられて、誰かに燃やされて、誰かに水で濡らされたのだ。

 俺はそのうちでも破損がマシなものを選ぶと、それを手に取った。




 2月─日

 もう少しで私は大学生となるらしい。上手くできるだろうか。


 3月─日

 今日は大学全体の新入生オリエンテーションがあった。学科を超えて人間が集まった。だから沢山の人間がいて怖かった。私の隣に座っていた男性を、周りの人間たちが「かっこいい」って言ってた。


 4月─日

 かっこいいと言われていた男性は木綿という苗字らしい。そして、その男性は天文サークルに入るらしい。


 4月─日

 今日は天文サークルの新入生歓迎コンパがあった。木綿という男性と話をしたが、彼はピッタリだと思った。私が─────のにとてもピッタリだ。


 ─月─日

 ここ2週間は、沢山の人間と話さないといけなかった。だからボロが出ないか心配でたまらなかった。私が──────バレないか心配だった。


 ─月─日

 よく分からないから、────を沢山買った。それで勉強したところ、相手の理想に近づくことが大事だとわかった。好きな人のために「可愛く───────ことらしい。


 ─月─日

 家具を一新した。ピンクのものは一般的に────言われているから、その色のものにした。それと女の子らしい─────お香を焚くようにした。その甘い香りは──を思い出させた。なんだか気分が悪くなり、──────


 ─月─日

 彼の元カノは、ヒステリックで────多かったらしい。だからそういった人々が苦手なんだって。つまりはその逆が好きだってことだよね? 小説で出てきた子を参考に、そういった性格を───みようと思う。


 ─月─日

 彼が告白をしてくれた。やった。これで、私は─────だ。きっとこれから、もっと───なれる。


 ─月─日

 最近、彼を好きだと言う子によく話しかけられる。どんな対応をするのが普通だろうか?


 ─月─日

 最近はモノが無くなっていたり、──────と、とにかく色々される。こういった時どういった対応をするのが普通か分からず、とりあえず悲しそうな─────表情を浮かべてみた。そうすると、彼女たちは─────表情を浮かべた。私の心は多幸感で一杯になった。嬉しかった。だって、私の対応は正解だったのだ。きっと私の対応は、──────で普通だったに違いない。


 ─月─日

 私を友人だと言ってくれる同じ学科の女性に、嫌がらせ行為について、彼に相談した方が良いと言われた。それが普通なのだろうか? 


 ─月─日

 色々小説を読んでみたけど、嫌がらせ行為を受けた時は耐える───が多かった。だからそれが普通だと思うので、相談はしないことにした。


 ─月─日

 私を友人だと言ってくれる同じ学科の女性に、彼とは別れるべきだと言われた。彼は私を大事にしてないんだって。


 ─月─日

 大事にしてくれない人とは、別れるのが普通らしい。それが普通らしいけど、私も彼のこと──────から。──を学ぶために、私が──でいるために、彼を利用しているだけなのだから。



 ……ねぇ、木綿君? だからさ、これはお互い様だよね?

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