はりぼてプロムナード
田作たづさ
上
このサークルは文字通り、天体観測を主な活動としている。しかし本当に星の好きな連中は、天文部(大学公認)に入部するのが通例だった。天文サークル(大学非公認)に集まる連中は所詮、「星を観察する」という夜に集まる正当っぽい理由を獲得し、そして悪用した、楽しいことや騒ぐことが好きな有象無象だった。
ここの通称は遊び人サークルであり、真の活動は星空の下でのバーベキュー。大学生活をエンジョイしたいボンクラでチャランポランの俺にとっては、ピッタリなサークルだった。
「はじめまして、よろしくお願いします。私の名前は白鬮木綿です。えっと、苗字は……
初めて白鬮木綿と話した時のことは、今でも鮮明に覚えている。サークルの新入生歓迎コンパで、席が隣となった時だ。この時は全員、胸元にガムテープを付けて、そこに太い油性ペンで自身の名前を記載していた。彼女は僕の名前を見て、恥じらうように、それでいて
「木綿って書いてユウって読むんだね。ユウちゃんって呼んで良いかな?」
彼女の胸元には、丁寧な美しい筆跡で自身の名前が記載されていた。
「えぇ、構いませんよ」
「もー! 俺達同学年なんだから、タメ口にしようよ!」
「あ……。うん、わ、分かった!」
彼女は照れくさそうに、俺に微笑みかけた。白鬮木綿の第一印象は「ちょうど良い」だった。話のトーンや俺との距離感に、全くストレスを感じなかったからだ。それでも彼女は、この有象無象の中では、浮いているように見えた。純粋で無垢な印象を受けて、心配にすらなった。
「木綿くーん! 一緒に飲もうよ〜」
「ちょっ! 先輩!? 飲み過ぎじゃないですか!?」
3つ年上の先輩女性が抱き付いてきて、俺はぞくりと鳥肌が立った。この人の名前は鈴木さん。天文サークルに入会すると決める前から、俺に何かとちょっかいをかけてくる人だった。
「おうおう! もうカップル成立か!?」
「木綿君イケメンだもんね〜」
周りが俺と鈴木さんを冷やかす。俺はげんなりとした。こういったノリは大嫌いだった。
「木綿くーん。ちゅーしよ? ちゅー」
鈴木さんの腕が、俺の首に回った。俺はやんわり解こうとしたが、全く逃げられる気がしなかった。つまり、この女性は本当に酔っているわけではないのだ。それが分かった途端、俺の背筋に冷たいものが走った。
「おー! キスしちゃえ!」
「キース! キース! キース!」
周りは熱に酔ったかのように、どんどんと盛り上がっていく。この流れはもう止められないのだと思った。だから諦めの境地で、俺は抵抗をやめた。キスだって初めてではない。別に減るものでもない。自身にそう言い聞かせて。
しかし本当は、大学では恋や愛だのとは関わり合いになりたくなかったのだ。それらとは無縁の所で、ただ大学生活を適当に楽しみたかったのに。
「あ……」
白鬮木綿が小さく呟いた。
「は!?」
「タオルある!?」
白鬮木綿の手にあったグラスが、するりと机に自由落下した。すると、不思議な連鎖が起きて次々とグラスが倒れ、机の上がベシャベシャに濡れてしまった。そして机の上からコロコロと転がり落ちたグラスが、大きな音を立てて次々と割れる。先ほどまでの嫌な熱は一気に冷め、誰もが掃除へと動いた。
「やべーぞ! この店も出禁になっちまう!」
ここにいる全ての人が、顔を真っ青にした。鈴木さんも例外ではない。俺の首に回る腕が少し緩んだので、その隙に俺はこの牢獄から抜け出した。そして何事も無かったように、掃除へと参加をしたのだった。
◇◆◇
ことの顛末。
あの事件の後、案の定白鬮木綿は非難される形となった。
しかし意外なことに、この話が広がり大きくなるほど、鈴木さんへの非難が強まっていった。鈴木さんは新入生に無理矢理キスを迫ったのだ。「そんなモノを見せられては、動揺してグラスを落としても致しかたない!」と、まともな感性の人々は白鬮木綿を擁護した。
最終的に、この件は大学側も動くこととなった。コンプライアンスにうるさい時代だ。大学不公認のサークルといえど、無視するわけにはいかなかったのだろう。後になって、大学側が非難されないために。
俺は何度か学生課に呼び出されて事実確認をされた。多分、白鬮木綿も同様に。鈴木さんは酔っていて記憶が曖昧だと弁解したようだった。本当は酔っていなかったなどとは、口が裂けても言えなかったのだろう。
しかし酔っていたという言い訳で許されるわけはない。天文サークル(大学非公認)は1ヶ月の活動停止処分となった。そして鈴木さん並びに他のメンバーは、俺と白鬮木綿に謝罪をした。
「本当に辞めちゃうの? 天文サークル」
俺は同じベンチに座る白鬮木綿に声をかけた。正式な謝罪を受けた後、俺たち2人は、なんとなく流れで一緒に歩いた。そして誰もいない公園のベンチにどちらともなく座った。彼女はこの2週間ほどで、少しやつれたように思う。
「えぇ……。あ、うん。私のせいで不快になった人もいるわけだし、これから先活動に参加しにくいし。それにサークルの雰囲気は私に合っていなかったと思うし」
サークルに合っていないという点においては、深く共感できた。
「そっか……。あのさ、ずっと気になってたんだけど」
俺は一度言葉を切って、そして黙り込んだ。ずっと聞こうと思っていて、今まで先延ばしにしてしまったことがある。俺は白鬮木綿の目を真っ直ぐに見つめた。
「あ、あのさ。俺のこと、もしかして助けてくれた?」
「──え?」
白鬮木綿はポカンとした顔をする。
「あ、うーん。俺のことを鈴木さんから助けようと思って、わざとグラスを落としたんじゃ……」
そこまで聞くと、白鬮木綿の表情は花が咲いたようにほころんだ。その表情に、俺は不覚にもドキッとしてしまう。
「ううん! あれは偶然でたまたまだよ!」
白鬮木綿は笑う。美しく笑う。
「でもね、木綿君。嫌だったら嫌って言わないとダメだと思うよ。そうしないと、心が摩耗しちゃうよ? きっと心に、見えない傷も残っちゃう」
俺は目を見開いた。白鬮木綿は分かっていたのだ。俺があの時何を考えていたのかを。
「じゃあ私はもう行くね。木綿君さようなら」
「──あっ! 待って!」
俺は咄嗟に白鬮木綿の手首を掴んでいた。このまま「さよなら」なんて、そんな悲しいことはないじゃないか。
「木綿君?」
「あ、あのさ。もし良ければ、連絡先を教えてくれないかな」
白鬮木綿は目を見開いた。そして恥ずかしいそうに、それでいて可愛らしく、顔を赤らめたのだった。
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